第33話𓆓𓍢𓈖𓎡𓄿𓈖 〜Circle of Life〜

 日の出と共に生まれ、船に乗り旅に出る。夜になると船は冥界ドゥアトへと渡り、その命を終える。


 太陽神ラーは幾度となく繰り返される航海の中で、命の輪廻そのものを自ら体現する事によって人々に生まれ変わりという概念を伝えたのである。


 また彼の1日は日の出と日の入りを表し、故に太陽は破壊と創造の象徴とされた。


 ラーはそれが創造神の性質であり宿命であると心得ており、その体を不便だと思った事は一度もなかった。

 あの忌々しい呪いにかかるまでは——。

 

 ラーは自身が生まれた原初の丘でただ1人エジプトの地を見つめていた。


 

 もうすぐ来るだろう。

 自分を陥れた憎き女が。


 イシスが泣きながら跪く姿を想像しラーはその顔が緩むのを抑えきれなかった。


 ここまで漕ぎ着けるのに、実に様々な策を講じてきた。しかしいずれも思うように事が運ばず、失敗に終わってきたのだ。

 

 ——何故か。

 

 それは単に彼女が魔術師として優れていたからではない。

 彼女の周りには、目には見えない障壁が存在していた。かつての王、亡き夫オシリスの加護である。


 彼女はそれを知ってか知らずか、最高神である自分に対して少しも臆する事なく向かってきた。そしてまんまとその策略に嵌ってしまったのだ。


 死して尚、その力を示し、その存在は未だ輝きを失わない。呪いによって落ちぶれてしまった自分との落差を感じて、ラーはイシス同様オシリスの事も未だ疎ましく思っていた。


 しかしその加護にも限界がある。そもそも冥界ドゥアトからこの世に干渉する事自体に無理があるのだ。

 シュウとテフヌト、自身の子供である彼らにも根回した事が功を奏し、ようやくその障害を取り除くことが出来た。惜しくも殺す事は叶わなかったようだが、十分すぎる程の働きと言えよう。



「——来たか。」



「離しなさい!」

 セトに連れられ、標的が姿を現す。後ろ手に拘束されて尚、強気な姿勢を崩さないイシスにラーは再び笑みを浮かべる。これからそのすました顔を苦痛で歪ませてやるのだ。


 セトはフンと鼻を鳴らし、その体を突き放す。傷だらけの体がラーの前に投げ出された。


「随分痛めつけたようだな。」

 体を地面に伏せたまま顔を上げたイシスの目がはっと見開かれる。


 そこに立っていたのは夢で自分を殺そうとしたあの神官だったのである。

 しかしイシスは既にその正体に気づいていた。


 ——ヘカの呪い。

 神という神聖な立場でありながら、権力を欲した者達がこぞって会得しようとした今や禁術である。

 これは相手の神力を全て奪ってしまうという恐ろしい呪いだが、それには相手の真名が必要だ。

 

 真名というのは神がこの世に生を受けた際に生命の源ヌンから授かる名の事で、親が子につける一般的な名前とは別物だ。その一つ一つに神の力が宿っており、神の能力と同じく与えられた本人しか知りえない。


 イシスがかけた呪いによって神力を奪われたラーはその命のサイクルを止めざるを得なくなった。


「人生は一度きり。せいぜい残りの人生を楽しむ事ね。」

 

 あの時皮肉を込めてそう言ったのを覚えている。

 

 1日で生を終える筈のラーが何故今も生きながらえているのか。

 おそらく魂の器となる肉体を探して宿り、その遺体が朽ちればまた次の遺体に移る。それを繰り返しているのだろう。

 その証拠に神官の顔にまるで生気がない。


 イシスの胸に再び激しい怒りが湧いてくる。

 彼らもこんな形で殺されては死んでも死にきれないだろう。宿舎にいた神官達も含め、犠牲になった者達にイシスは深い哀悼の意を表した。



 大人しく殺されてなどやるものか。


 その唇が美しく弧を描いた瞬間、地響きと共に辺りは立っていられないほどの激しい揺れに襲われた。


「……驚いたな。まさか拘束された身でここまで——残念だがお前の魔術は私にはきかん。」

 

 

 その言葉にイシスは嘲笑を浮かべる。

 

 ——これが、私の力?笑わせるわ。


 その激しい揺れにより地割れが起こり、足場を無くしたラーはすかさず両翼を広げた。


「無駄よ。」


 周りの砂が巻き上げられ、まるで意思を持った様にその体に纏わりついた。


 ラーは混乱した。

 一切の魔術を遮断する防御壁を張って尚、纏わりついてくるこの砂は一体——。


 その時ラーははっと目を見開いた。


 砂を操っているのはこの女ではない。

 それに気づいたのは全身が砂に覆われた後だった。


「いくら最高神の貴方でも人間の体じゃ身動きも取れないでしょう。日々の儀式で多少力を取り戻したとはいえ、今の貴方の力は半神以下。それがどういう事か分かるでしょう?」


 イシスは自身を拘束していた縄を解き、地面に這いつくばった男を見下ろす。


「残念。さっきとはまるで逆ね。」



「どういう事だセト。まさか裏切った訳ではあるまい。」

 

 戸惑いを隠せないラーはイシスには目をくれずセトの方を見る。



 ——成功したようね、ネフティス。


 イシスはひとまず胸を撫で下ろす。

 ネフティスは今イシスの神殿でセトの髪を使って彼の力の一部を開放している。

 

 この砂を操る能力はセトが持って生まれた固有の神力であり、魔術ではない。防御壁などでは決して防ぐ事の出来ない力なのだ。

 気に食わないがその力の威力に今は感謝せざるを得ない。


 となると当然今目の前にいるセトは本物ではなく、彼女が同じくセトの力で作り出した砂の人形である。

 

 ——見事だわ。


 イシスは思わず感嘆した。


 遠隔で作り出した人形を操った上に攻撃までさせるとは。


 表立って行動することが出来ない彼女を使うにはこれが一番だ。ネフティスはイシスに次ぐ魔術の使い手であり、特に万物を操る能力、つまり使役術に関してはイシスを凌ぐ実力を持つ。


 しかしこの力が使えるのはネフティスが持つセトの髪が焼き切れるまで。時間にすれば粗方数分といった所だろう。

 イシスはラーの体に手をかざし、何かを唱え始めた。


 ラーが何かわめいているがイシスはそれを無視して詠唱を続ける。



「——誰だ。俺の力を使って屑を作ったのは。」


 その声にイシスは思わず詠唱を止めた。


がその手をかざすと、人形は一瞬にして形を失い砂の山と化す。



「足止めをしたつもりだったのだけど。」


「足止め? 何のことだ?」

「問題ありません。俺が始末しておきました。」


 セトの背後から現れた人影にイシスの顔が歪む。



「……アヌビス。」


 しかし足止めとして送った眷属達がことごとくやられてしまうとは。

 相手がセトならともかく、アヌビスが1人でやったとは到底思えない。


 驚きを隠せないイシスを見て、セトが笑う。


「こいつはもう神上がったんだ。1人でやったとて驚く事でもあるまい。」


「……何ですって?」


 イシスは思わず聞き返した。

 

 確かに幼少期から努力家で、魔術の筋も悪くなかったアヌビスなら多少早く神上がっても不思議ではないが、まさかセトの元で、しかも成人する前に神上がってしまうとは思ってもみなかった。


 打ちひしがれるイシスの体に衝撃が走ったのはアヌビスの目が見開かれるのを見た後だった。



「——ッ」


 一瞬、息が止まる。

 

 それから腹部に焼ける様な痛みと、アヌビスの悲痛な顔が目に焼き付いた。




***


 

 トトの小屋の中でホルスははっと顔を上げた。


「ちょっと待ってどこへ行くつもり? まだ右目が……。」


 小屋から出て行くホルスをトトが追う。


 まるで何かに急かされる様に、ホルスは荒れ狂う砂漠に足を踏み入れた。



「頼む、行かせてくれ……!見えたんだ。——未来が。」

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