第42話𓆓𓍢𓈖𓎡𓄿𓈖 〜Circle of Life〜

 日の出と共に生まれ、船に乗り旅に出る。夜になると船は冥界ドゥアトへと渡り、その命を終える。


 太陽神ラーは幾度となく繰り返される航海の中で、命の輪廻そのものを自ら体現する事によって人々に生まれ変わりという概念を伝えたのである。また彼の一日は日の出と日の入りを表し、故に太陽は破壊と創造の象徴とされた。


 ラーはそれが創造神の性質であり宿命であると心得ており、その体を不便だと思った事は一度もなかった。

 あの忌々しい呪いにかかるまでは——。

 

 ラーは自身が生まれた原初の丘でエジプトの地を見つめていた。


 もうすぐ来るだろう。

 自分を陥れた憎き女が。


 イシスが泣きながら跪く姿を想像しラーはその顔が緩むのを抑えきれなかった。


 ここまで漕ぎ着けるのに、実に様々な策を講じてきた。しかしいずれも思うように事が運ばず、失敗に終わってきたのだ。それは単に彼女が魔術師として優れていたからではない。彼女の周りには、目には見えない障壁が存在していた。かつての王、亡き夫オシリスの加護である。


 彼女はそれを知ってか知らずか、最高神である自分に対して少しも臆する事なく向かってきた。だがその無謀な行動こそが結果的に大きな災いを生んでしまったのだという事にあの女は気付いていない。


 死して尚、その力を示し、その存在は未だ輝きを失わない。呪いによって落ちぶれてしまった自分との落差を感じて、ラーはイシス同様オシリスの事も疎ましく思っていた。


 だがその加護にも限界がある。今まで冥界ドゥアトからこの世に干渉出来ていたのは他でもないの存在があったからだ。彼はあの世とこの世を繋ぐ架け橋だった。だがあの女はそれを自ら断ち切ったのだ。


***


「——お前のせいだ。イシス」

 目の前でそう呟くのは、かつて自分の神官だった男だ。こちらを蔑むように見下ろし、その手には剣が握られている。


「……どうして……」

 男が剣を振り上げてもイシスはそこから一歩も動けなかった。神官達が命を落としたのは自分の責任でもあると感じていたからだ。


 ——憎まれていたのなら仕方がない。

 イシスは覚悟を決め、固く拳を握った。

 

 剣が振り下ろされた瞬間、イシスは深い昏睡から目を覚ました。


「これは一体……」

 イシスは目の前の光景が信じられず、自分がまだ夢を見ているのだと思った。だがズキズキと痛む頭部の痛みがそれが現実であることを教えていた。


「ホルス……。何故貴方が——」

 両手両足を鎖で繋がれ、身動きが取れない中、イシスは目の前の息子の姿に動揺する。


「いえ、違う。似ているけど貴方は……でもあの子は死んだ筈。どうして——」

「ああ。は死んだ。だが私の器として再び蘇ったのだ」


 その姿に似つかわしくない、低くしゃがれた声が響き、全身から血の気が引いていくのが分かった。


「……こんなもので私を縛れると思っているの?」

 目の前の男に精一杯の侮蔑を込めてイシスは吐き捨てるように言った。


「思っているさ。その鎖には呪いがかけてある。お前が私にかけたのと同じ呪いがな」


 一日で生を終える筈のラーが何故今も生きながらえているのか。おそらく魂の器となる肉体を探して宿り、その遺体が朽ちればまた次の遺体に移る。それを繰り返しているのだろう。


 やはり、セトとラーは繋がっていたのだ。

 

 逃げようにも、全身が弛緩してしまったように力が入らない。どうしてこんな——。


 その時、ふと妹の顔が頭をよぎる。

 そうだ。あの時最後に見たのは——。


「どういう事なの? ネフティス」

 イシスは男の背後に隠れるようにして佇む彼女を睨みつけた。


「仕方がなかった……。あの子を守る為にはこうするしかなかったの」


 私はいつもそうやって被害者のように振る舞う貴方が嫌いなの。

 その場で罵ってやりたかったが、今はそんな気力もない。


「全てお前のせいだ。息子が命を落としたのも、毎日死に怯えるようになったのもお前の——」

「自業自得よ。私は貴方に報復しただけ。ラーホルアクティ。あの子に罪はないけれど、私の息子はホルスとアヌビス、二人だけ」


「姉さん、どういう事なの?」

 その言葉に戸惑いを隠せないネフティスはおどおどと問いかける。


「二度も裏切っておきながら姉さんなんて気安く呼ばないで。この男は私に無理強いしたの。こんな風に私が意識を失っている間にね」


 イシスは自嘲するように笑みを浮かべ、目の前の男を睨みつける。


「何とでも言うといい。私はただ優秀な血を残したかっただけだ。むしろ感謝すべきだと私は思うがな」

 

 この男、性根が腐り切っている。

 イシスは血が滲む程唇を噛み締め、再び吐き捨てるように言った。


「この男がこの国の国家神だなんて聞いて呆れる。この国の人間は真実に気付くべきね」

「そうか? その息子を手にかけたお前も相当に罪深いと思うがな」

「愛情がなかった訳じゃない。あの子はただ純粋すぎたのよ。だから悪に染まる事にも何の躊躇もなかった。恐ろしい程貴方に似ていたわ」

 

 イシスの言葉にラーは心なしか苛立っていた。


「……まあいい。ここで口論した所で息子が戻ってくる訳でもあるまい。因果応報。お前はここで潔く散れ」


 イシスがかけた呪いによって神力を奪われたラーは命のサイクルを止めざるを得なくなった。


「人生は一度きり。せいぜい残りの人生を楽しむ事ね」

 

 あの時皮肉を込めて放った言葉が今、自分自身に向けられ、突き付けられているような気がしてイシスは再び自嘲した。

 

 大人しく殺されてなどやるものか。


 その唇が美しく弧を描いた瞬間、地響きと共に辺りは立っていられないほどの激しい揺れに襲われた。


「驚いたな。まさか拘束された身でここまで——。だがお前の魔術はもはや私にはきかん」

 

 その言葉にイシスは嘲笑を浮かべる。

 ——これが、私の力? 反吐が出るわ。


 その激しい揺れにより地割れが起こり、足場を無くしたラーはすかさず両翼を広げた。


「無駄よ」


 周りの砂が巻き上げられ、まるで意思を持った様にその体に纏わりついた。


 ラーは混乱した。

 一切の魔術を遮断する防御壁を張って尚、纏わりついてくるこの砂は一体——。


 ラーは目を見開く。

 砂を操っているのはこの女ではない。

 それに気づいたのはすでに全身が砂に覆われた後だった。


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