第27話𓎡𓄿𓎡𓍢𓏏𓍯𓍢〜格闘〜

「痛って!」


 ホルスは体勢を崩し熱砂に自ら飛び込んでいった。


「あっつ!」


 1人で騒いでいるホルスを呆れた顔で見下ろすトトはため息をつく。


「……ねぇ、僕まだ君の体に触れてもないんだけど何でそんなにボロボロな訳?」


 子供の背丈程の男に上から見下ろされ、ホルスは唇を噛んだ。


「うるせぇな!当たんねぇんだよ!」

 

 

 

 事の発端は数時間前に遡る。


 トトは引き続きホルスの目に対する見解を述べていた。


「僕はね、その身体的特徴からその人の過去の記憶を辿ることが出来る。……と言っても数年分だけどね。君の場合はその羽と、目だ。」


 そう言ってトトの目が羽を捉えた瞬間、ホルスは別の意味でギクリとした。


「ん?君が過去にした下らないイタズラの事なんてどうでも——。」

 

 トトは突然言葉を切り、ホルスを睨みつける様に見た。



「……君、イシスにもイタズラしたね?」


「いや、違う!あれはアヌビスに……っ!?」


 子供のものとは思えない強烈な拳が鳩尾に食い込み、ホルスは思わずその場に膝をつく。しかしトトは何事もなかったかの様に本題に戻った。



「今のは君の羽の記憶を読み取った結果。でも君の目に限ってはそれが出来ない。第三者に見られない様に——というより、僕に見られる事を想定してるね、これは。」


 トトはその顔に悔しさを滲ませる。


「そこまでして僕に見られる事を拒む理由。その目には君の記憶じゃなく、術者本人の記憶が宿ってると考えるのが妥当だ。そこには何故、君の目が入れ替わったのかその理由が隠されている筈だからね。——以上が観測者から見た僕の見解だよ。」


 ホルスは少し考えてから口を開く。


「うーんと……今分かってる事は、この目が入れ替わったのは拒絶反応が起きた日で、持ち主はトトを知ってる奴って事でいいんだよな?」

 

 ホルスが確認する様に言うとトトは少し驚いた顔をした。聞いていない様で内容はしっかり理解している様だ。


「でも入れ替わった日については定かじゃない。発症する可能性がある期間は移植してから3ヶ月以内と言われてるからね。火事が起きた日の事も考えると入れ替わったのはもっと前という可能性もある。」


 何故このタイミングで入れ替わったのか、それを追求する事は術者の目的を解明する事にも繋がる。

 その理由も含め、より厳密に精査する必要があるだろう。




「——そこで僕は君を本格的に指導する事にした。神上がる為に、そしてセトを倒す為にね。」


 不敵な笑みを浮かべるトトにホルスは苦笑した。負けず嫌いの血が騒いでしまった様だ。

 だがホルスとしてはこれ以上ないチャンスだ。知恵の神から本格的に教えを請えるとなれば、セトを倒す為の糸口も見つかる筈だ。


 意気込むホルスに対してトトは小さくため息をついた。


「でも君には課題が多い。さっそく言わせてもらうけど、君の戦い方はどうも危なっかしい。機転が利くのは認めるけど、どれもその場凌ぎだって分かる?」


 トトの指摘にぐうの音も出ない。


 確かに、今までは具現化の能力と発想力だけで何とか切り抜けてきた。そして何よりアヌビスの協力あってこそだったのだ。戦争の神を相手にする為には絶対的に何かが足りない。


「戦闘の手段も心許なければ相手を倒す為の切り札もない。これが何を示すか、分かるよね?」


 

 ホルスは息を飲んだ。

 生半可な気持ちで挑めば、そこに待っているのは「死」しかない。


 トトは頷き、言った。


「幸い、君は身体的に恵まれてる。その羽も、目も、それに見合った体格や体力も兼ね備えてる。ちゃんとした戦闘スキルを身に付ければセトと渡り合う事だって出来る筈だ。」


 トトはホルスの目を最大限活かす為の戦法をすでに見出していた。



「その体格と体力、機敏さ、そして視力。君の戦闘スタイルはまさしくピグメだ。」


 

 ピグメ……?

 その可愛らしい響きにホルスの頭の中には木の実をついばむ小鳥の姿が浮かんだ。



「ギリシャに伝わる格闘技だよ。突き詰めるとなかなか奥が深いんだ。」


 言葉の響きからは想像出来ない答えにホルスは戸惑った。


「俺格闘技なんてやった事ねぇけど、何か面白そうだな。」


 何だかよく分からないが、少なくともベスが教える原始的な修行よりか幾分か興味をそそられた。

 



「まぁ、習うより慣れろって事で、まずは僕にパンチを当ててみてよ。僕からは攻撃しないでおいてあげるからさ。」


 完全に舐められているが、実力差があるのは分かっている。ホルスはその言葉に素直に従った。


 

 案の定何度腕を振っても軌道を読まれてしまい、パンチどころか体に触れる事さえ出来ない。

 ついには避けられた際に勢い余って体勢を崩し、自ら砂の上にダイブした。


「……体に力入りすぎ。動きが硬いよ。」


 

 

 ——そして今に至るのである。


「分かった。じゃあ今度は僕の言う通りに動いてみて。」


 トトはそう言うと自ら構えて見せ、その動きを事細かに説明し始める。


「腰、引けてるよ、そんなんじゃパンチに威力が乗らない。もっと腰を落として。」


 トトはその攻撃を避けながら、構え方や動き方の癖に修正を加えていく。


「左はスナッチを利かせて打ったら素早く戻す。右は体を捻って重心を移動させるんだ。でも相手に悟られない様動きは最小限、慣れたらフェイントを掛けてみてもいい。」


 ホルスには勿論専門用語の知識はなかったが、その言葉の意味はニュアンスで何となく理解した。



 

 ——フットワークは軽く、かかとを浮かせてステップを踏むように。


 ——反撃に気を付けて。打ったら素早く戻し、すぐにディフェンス。攻撃の後の隙を最小限に。


 段々分かってきた気がする。独特な動きにも慣れてきた。

 今なら、トトの動きも読めるような気がする。

 ホルスの中に妙な自信が芽生えた瞬間だった。


 

 「——っ!」

 

 一瞬、ホルスの拳がトトの頬を掠める。

 しかしトトは怯むどころか、にやっと笑ってすかさずホルスの顔に拳を突き出した。


 

 ——入った。

 


 だがその感触がない事にトトは戸惑った。

 

 何とその腕はホルスの顔面をすり抜け、空を切っていた。


 驚くべき事に、ホルスは涼しい顔でトトのパンチをギリギリまで引きつけ、そして避けたのだ。


 トトは一瞬、信じられないという顔をしてホルスを見た。


 拳が顔を掠めただけでも驚きだというのに、攻撃してこないと分かっている相手の奇襲さえも避けるとは。


「な、んで……。」


 その問いにホルスはしばらく考えてから口を開いた。



「……勘?」



 それを聞くなりトトは俯き、その肩を震わせる。


「トト……?」


 その様子にホルスは心配になり、思わず駆け寄った。


「おい、大丈夫か?」


 肩を揺すられ、再び顔を上げたトトの表情にホルスは目を見開く。





「あっはは!! 君面白すぎ!!」

 

 目に涙を浮かべて笑うトトにホルスは戸惑いを隠せない。



「な、何がそんなに受けたんだ……?」



「トトが声を上げて笑っとる……。信じられん。」

 初めて聞くトトの笑い声に小屋で休んでいたベスも思わず顔を上げた。



「こんな気持ちは数十年、いや数百年ぶりだよ。ホルス、君の可能性には僕の人生を懸けるだけの価値がある。絶対に君をエジプト最強の神にしてみせるよ。」

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