第33話𓄿𓇋〜獅子の子〜

「こんな所で一体何をするんだ?」

 研究所を出てすぐ、広大な砂漠の真ん中でホルスはトトに問いかけた。


「何って、君が言ったんじゃないか。神上がりたいって」


 事の発端は数時間前。ホルスは研究材料としてこの目を提供する代わりに、トトにもう一つ質問を投げかけた。


 神上がる方法。神として生まれ落ちたものならば誰しもが直面する問題だが、その方法について明確な答えというものは存在しない。ホルスもそれは何となく理解していた。だが知恵の神ならどうだろう。ホルスは彼の答えに期待した。


「各々に個性や能力があるように、神上がる方法も人それぞれ。確実なものなんてないんだ。ただ共通している事はある。成熟した精神、その器となる肉体、そして何より大事なのは人々からの信仰、祈りの力だ。この三つが揃って初めて神と言える」

「それは誰かに認められるって事なのか?」

「いや、そこに明確な啓示はないよ。ただ――自覚するんだ」

  

 曖昧な答えに困惑するホルス。トトは構わず続ける。


「君もその時が来れば分かる。手探りだけど、相応の経験や修行を積めばいつかは辿り着けるものだよ」

 

 彼はそう言うが、様々な問題を抱える今のホルスに悠長に構えている余裕はない。一刻も早く力を付けなければ。志だけで解決する事など何もないのだから。


「……お前はどうだったんだ?」

「僕?」

 意外な質問にトトは目をしばたかせる。


「何千年も前の事だしあんまり覚えてないなあ。研究に没頭してただけだしこれといって特別な事は……。あ、でもいい場所があるよ。半神だった頃よく使っていたんだ。新しい研究の為にね」


 そう言って案内されたのがここである。見渡す限り砂漠しかないこの場所デシェレトで一体何をするというのだろう。ホルスが再びトトの方に視線を向けた瞬間異変は起きた。


「――ッ」

 悲鳴を上げる間もなく両足が地に引きずり込まれ、体ごと砂に埋もれていく。それは蟻地獄のようにあっという間に全身を飲み込み、視界から全てが消え去った。

 

「いいのか? 冥界ドゥアトは危険な所じゃぞ。もし戻らなかったら――」

 一瞬で砂の中に消えたホルス。その様子を密かに見守っていたベスが心配そうに問いかけた。


冥界ドゥアトといっても、これは僕が作った疑似的なもの。心配はいらないよ。それよりこの危機的状況が彼の目にどんな変化をもたらすか、知りたくはない? 僕は研究者として彼の目の謎を解きたい。そして彼は一刻も早く神上がり王座を奪還したい。利害は一致しているんだ。君に文句を言われる筋合いはないよ」

「それはそうじゃが……」

 まだ何か言いたげなベスを見てトトはため息をついた。


「修行ってのはこうじゃなきゃ。神上がるってのはね、いわば覚醒なんだ。命を脅かすような危機的状況に陥った時こそ、その神の真価が発揮される。その状況下で如何に自身を奮い立たせ覚醒までこぎ付けるか。そこで息絶えてしまうようならそれまで。彼に神上がるだけの力がなかったという事だよ」


 まるで突き放すような言い方だが、ベスはその言葉から全く逆の印象を受けた。


「あやつの事、えらく気に入っておるようじゃの」

「まあね。だからあの場所を教えたんだ」

「まるで我が子を崖から突き落とす獅子のようじゃの」


 からかうベスにトトは珍しく柔らかい笑みを見せる。


「彼の中に後悔と悲しみ、強い信念と情熱を見た。そしてそれら全てを包み込んでいるのは優しくて温かい光。上手く言えないけど彼の心はまるで太陽みたいだ。月である僕はそれに惹かれたのかもしれない」


 ――ここは、どこだ?

 ホルスは気が付くと地面に倒れ込んでいた。何が起きたのか全く理解できないが、ホルスはとりあえず体を起こし、顔を上げる。するとその目に飛び込んできたのは悠然と流れる巨大な川だった。


 ナイルと思しきその川には暗闇の中ぼんやり光りを放つ蓮の花ブルーロータスがゆらゆらと揺蕩っている。夢か現かホルスはその川に吸い寄せられるように歩み寄る。一瞬、川の中から声が聞こえたような気がしてホルスはその場で膝を折り、その水面を覗き込んだ。


「――お前は誰だ」

 ホルスは思わずそう呟いた。そこに映っているのは間違いなく自分の姿。瞳が黄金色という事以外その外見に違いはない。だがどうしても違和感が拭い去れなかった。この感覚どこかで――。

 

 ホルスははっとした。

 そうだあの夢。あの時も確か――。


「そこにいるべきはお前ではない。俺が必ずお前を――」


『殺してやる』

 耳元にかかる吐息。その気配にホルスが振り返ろうとすると、目の前の川が一気に氾濫し始める。まるで意思を持ったかのように盛り上がった水は津波の如くホルスに襲い掛かった。


「二度も溺れてたまるかよ」

 ホルスはすぐさま飛び上がりそれを避ける。翼を羽ばたかせ、そのまま宙に舞い上がったホルスは空中からその様子を観察したが、幸い川の水がそこまで追って来ることはなかった。


 あの声、気配、ホルスは自分がまたあの悪夢の中にいる気がして思わず顔をつねった。

 

 ……痛い。

 当然の如くそれは現実としてホルスの痛覚を刺激し、加えて彼の殺意も本物である事が証明された。


 ホルスは釈然としない思いを抱えながらも川から離れ、空中から別の場所を探索する。元いた場所に戻る為にも、ここがどこなのか知る必要があるだろう。だがその思いとは裏腹に眼前に広がるのは見た事もない景色ばかりで、自分の居場所など測りようもなかった。ここが地下でないとしたら、もはや国外にでも飛ばされてしまったのだろうか。


 そんな事を考えているうち、異変に気付いたホルスは青ざめた。いつの間にか翼が消え、落下している。


「……マジかよ」


「彼は本格的に冥界ドゥアトに足を踏み入れたようだね」


 研究所に戻った二柱は壁に掛けられた鏡に映るホルスの様子を興味深げに見つめている。


「……おぬし、また良からぬ事を考えておるな」

 何やら怪しげな笑みをたたえるトトにベスは言い得ぬ不安を覚える。


「僕が作った冥界ドゥアト、大蛇メヘンの体内に入ったって事さ。そこではあらゆる力が無力化される。だから己の体一つで全てを乗り越えなきゃならないんだ」

「本当に大丈夫かの。あやつ一人で……」

 予想が的中し、ベスは深いため息をついた。


 トトは机の下にあった木箱から何かを取り出し、机の上に置いた。木製の円盤。とぐろを巻いた蛇のような形をしたそれには双六のようにマス目がついており、トトは円の中心、蛇の頭の部分に一つ獅子の顔を模った駒を置き、それから尾の部分にもう一つ、こちらは何も模られていない円柱型の駒を置いた。


「さあ、ここからだよホルス。ここから抜け出す為に君は困難を乗り越えなくちゃならない」

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