ヘリオポリス ー九柱の神々ー

第２４話𓎡𓄿𓇋𓅓𓇌𓇋〜解明〜

　ここは、どこだ……？

　ホルスは目の前に広がる景色に困惑し、立ち尽くした。

　ここはどこなのか。

　何故ここにいるのか。

　浮かんでくる疑問に何一つ答えられない。

　ただ気づいたらここにいたとしか言いようがなかった。

　不自然と言えばもう一つ。

　自分以外の人影が全く見当たらない。

　人影どころか、生き物の気配すらしないのである。

　無理もない、とホルスは思う。

　肌に感じる禍々しい空気に本能が叫んでいる。

「ここは危険だ」と——。

　——逃げるか？

　でも逃げるって、一体どこへ？

　ホルスは言いようのない不安に駆られ、ぎゅっと拳を握る。

「——っ！？」

　ふいに刺すような視線を感じてホルスは後ろをぱっと振り返った。

　ホルスは寝台から勢いよく起き上がる。

　頭に残る映像があまりにも生々しく、夢だと気づくのに数秒を要した。

　何かを見た気がする。

　おぞましい何かを——。

　ホルスは額から滴り落ちる汗を手で拭うとよろよろと立ち上がる。

　風に当たろうと外に出てみると、辺りはまだ薄暗かった。

　しかしあんな夢を見た後で二度寝する気にもなれず、ホルスはそのまま近くの小屋まで歩くことにした。

「……あれ、もう起きたの？」

　盛大な欠伸を耳にして、外で作業していたトトが声を掛ける。しかし観測に夢中なのか、その顔はずっと向こうを向いたままだ。

「お前こそ。いつもこんなに早いのか？」

「ううん。僕は寝てないだけ。」

　トトは当然のように言って尚も観測を続ける。

「人間じゃあるまいし数日寝なくたって何の支障もないよ。そんな事より——。」

　やっと後ろを振り返ったトトと目が合った瞬間、彼は目を見開いた。

「何だよ？　そんな驚いた顔して。」

　まるで異様な物でも見るような顔で固まるトトにホルスは眉を寄せた。

「……その右目どうしたの？」

　その問いにどう答えていいか分からず、ホルスはきょとんとした顔でトトを見返す。身に覚えがないのだから仕方がない。

「右目がどうかした——っ！？」

　突然襲ってきた鋭い痛みにホルスは呻いた。

　右目がまるで熱を持ったようにドクドクと脈打っている。

「ちょっと……大丈夫？」

　血の気の引いた顔で膝をつくホルスにトトが駆け寄る。

「ちょっとふらついただけだ。」

　強がってはみたものの、正直意識を保つので精一杯だった。

　右目を庇うように抑えると、ホルスはその手の感触に違和感を覚える。

　——何だ、これ。

　ホルスは目を疑った。

　その手には黒い粘液のようなものがべっとりと付いている。

「ちょっと、こっち見て。」

　——まさかこのタイミングで目を調べるなどとは言うまい。

　ホルスは警戒し、疑いの目を向けたが、思いのほか真剣なその表情に押し黙る。

　トトはホルスの目を観察するようにじっと見つめた。

　視線が合った瞬間、ホルスは思わず息を飲む。

　彼の瞳には生命の象徴『アンク』が浮かび上がっていたのである。

　トトはホルスの右目をひとしきり観察した後、成程、と言って腕を組んだ。

「……何か分かったのか？」

「そのまま、動かないで。」

　解決に淡い期待を寄せるホルスの言葉を遮りトトは患部に手をかざす。その手からじんわり温かみを感じ、ホルスは痛みが徐々に引いていくのを感じた。

「……どう？　まだ痛む？」

　トトがそう聞くまでもなくホルスの顔には血の気が戻り、その表情を見ても快方に向かっているのは明らかだった。

「何か分かんねぇけどやっぱ知恵の神ってだけの事はあるな！　痛みも引いたし。」

「……当たり前じゃん。僕を誰だと思ってるの？」

　ホルスがその能力を褒めちぎろうとも、トトは相変わらず無気力で冷めたような態度を崩さない。

　しかしその態度とは裏腹に意外と情に厚い。この数日間でホルスは彼の人となりをそう解釈していた。

　人の態度や行動が常に本心であるとは限らない。それが本意であるかどうかは本人にしか分からないのだ。

　まさに竹を割ったような性格のホルスにとってその事実は目から鱗だった。

　彼が感情を表に出すとすれば研究中かあるいは母が絡んでいる時だろうとホルスは思った。

　「ありがとな。」

　ホルスがお礼を言うと、トトは微笑むでもなく無表情で頷いた。

　あれから数日が経ち、ホルスは改めてトトの小屋に呼び出された。

　より専門的な調査により、ホルスの目について色々と分かった事があるのだと言う。

「実は君の目には3つの性質が備わっている事が分かったんだ。」

　トトは嬉々として言った。

「1つ目は『予知』未来を見る力だ。これは火事の時に判明した性質。2つ目は『破壊』これが君の右目に該当する。そして3つ目が『回復』これが君の左目だ。僕が両目で異なる性質を持っていると言ったのはこの事だよ。」

　続け様に説明され、ホルスは頭が混乱しそうになる。

「ただこの性質の詳細については本人の自覚によるところが大きいんだ。いわば個性のようなものだからね。つまり君が実際にその力を解放して、使ってみるまで分からないという事だよ。」

「じゃあその力を解放するってのはどうやるんだ？」

　ホルスの問いにトトは困った顔をして言った。

「分からない。その能力も解放のきっかけも君が解き明かすしかないんだ。」

　何だかよく分からないが、後は自分で何とかしろという事らしい。

　少しだけ残念そうな顔をするホルスにトトは付け加えるように言った。

「これは僕の場合だけど、ある日——夢を見たんだ。」

　ホルスははっとしてトトを見た。　

　そして数日前の夢の記憶が蘇ってくる。

　ホルスは思わず身を乗り出す。

「俺も——俺も見たんだ！どんな夢だったか教えてくれ！」

　その勢いに気圧されながらトトは語り始めた。

「僕はどこかに立っていて、だけどそこには何もない。その空間に漂う重苦しい空気に僕は息が詰まりそうだった。何かが迫って来る、そう思ってもそこから一歩も動けなかった。」

　——似てる。

　「そう、君も見たんだね。同じ夢を。」

　心なしか遠い目をした彼をホルスは事も無けに見つめる。

「それからだよ。この目に違うものが映るようになったのは。」

　あの夢が何かの予兆なのだとしたらホルスの目の能力もその内現れるという事なのだろうか？

「この間俺を助けた時もその目を使ったのか？」

「そうだよ。端的に言えば僕の目は病を視覚化出来る。勿論文字として出る訳じゃないから、医学的な知識と分析力は必要だ。だからこれは僕の為の能力だと言っていい。」

　その言葉にホルスはベスが言っていた事を思い出す。

　あらゆる生物の形の意味。

　この両目の能力もきっと自分が成すべき事の助けになるのだろう。

「その事なんだけど——。」

　トトは何かを言おうとして言い淀んでいるように見える。

「君に限ってはそうではないのかもしれない。」

　ホルスは眉を寄せる。

「どういう意味だ？」

「僕が思うに、この前起きた目の異変と、能力の解放は無関係だ。君の目を見た時、右目だけ酷い炎症が起きてた。これは拒絶反応だ。」

　きょとんとするホルスにトトは続けて言った。

「この国の人間達もよくやってる皮膚移植なんかと一緒だよ。他人の体から他人の体へ、その体の一部を移植するからにはそれなりのリスクがある。本来人間の体ないし半神の体には、免疫というものがある。体外から入ってきた異物を排除しようとする動き。咳やくしゃみなんかがその例だ。この反応のおかげで君たちは病気にならずに済む訳だけど、僕が言う拒絶反応っていうのは、それが他人から移植された体の一部についても起きてしまうって事なんだ。」

　かなり噛み砕いて説明したつもりだが、ホルスの顔には未だ釈然としないものが浮かんでいる。

「……でも俺の体だし俺の目だろ？その説明だとまるでこの目が他人のものみたいに——。」

　そこまで言ってホルスははっとした。

　まさか——。

「そう、そうまさかだよ。」

　トトはホルスが口を開く前に肯定を示した。

「君に限って、と言ったのはその右目が元々君のものではない可能性があるからなんだ。」

　その事実にホルスは面食らった。

　いつ？誰が？何故？

　数々の疑問がホルスの頭をぐるぐると駆け巡る。

「今のは医学的な見解。そしてもう一つは観測者としての見解だ。これは君の目の異変にも関わってくる話だよ。」