第21話𓉔𓇋𓅓𓇋𓏏𓍢〜秘密〜

「イシスの神殿に忍び込んだのも僕だよ。」


 思いもよらぬ事実を聞かされ、ホルスは驚きの声を上げた。


「じゃ、じゃあ全身布で覆った奴ってお前だったのかよ。」


 アヌビスに聞いて不気味な奴だとは思っていたが、まさかそれが年端もいかぬ少年であったとは。

 

 しかし特筆すべき点としてその背丈が挙げられないのは不可解に思えた。


 あいつ子供なんて一言も……。


「……子供じゃない。」


 すかさず漏らす不満そうな声にホルスは忘れていた彼の能力を再認識する羽目になった。


「だってバレたらまずいじゃん。仮にも忍び込んでるんだから。」


 悪気もなくむしろ堂々と答えるトトに苦笑する。


「じゃあ何で今それを俺に話すんだよ。」


「目的は達成したし。……ちょっと油断したけど。」


 トトはそう言って包帯が巻かれた腕を悔しそうに見やる。


 ホルスにしてみれば、あのセクメトに襲われてたったそれだけの傷で済んだ事の方が奇跡のように思える。


「……まさかお前も遺体を持ち去るつもりだったんじゃねぇだろうな?」


 ホルスが訝しげに聞くとトトは蔑むような目で見返した。


「まさか。そんな悪趣味なことしないよ。僕はただ、材料を採取してただけ。」


 遺体を回収するのと何ら変わりない気がするのは気のせいだろうか。


「何だよその『材料』って。」


 人の体を材料呼ばわりするのも何だか納得いかない。

 ホルスはトトを睨みつけるように見た。


「研究材料だよ。外側の体液なんかを少し拝借しただけ。無論彼らの体を傷つけるなんて事はしてない。」


 知恵の神ともあろう者が何故人間の体液を欲しがるのかまるで見当がつかない。


「母の神殿にまで忍び込んでまで欲しがる意味も分かんねえし、タイミングだってまるで遺体が運ばれてくるのを知ってたみてえじゃねえか。」


「……君僕が監視してるって事忘れたの?イシスの神殿で何が起きてたかぐらい分かるよ。それに僕が何のために体液を採取しているか、君が知った所で何か分かる訳でもないでしょ。」


 ……まぁ確かに。

 聞いたとて何か専門的な知識を持ってでもいない限り、どうせ右から左へ受け流すだけだ。


 とここでホルスは重要な事に気づいた。


「てことはお前誰が神官達を殺したのかも知ってんじゃねえのか?」


 ホルスが詰め寄るとトトは静かに首を振った。


「僕だって常に張り付いて見てる訳じゃない。死後そんなに経っていないのは遺体を見て分かったけど、いつ殺されたのかも知らないし見ていないよ。」


 それが分かれば謎にかなり近づけたのだが。

 一瞬膨らんだ期待が外れ、ホルスはため息をついた。


 しかしホルスにはもう一つ気づいた事がある。


「てかお前、さっきから聞いてりゃイシスイシスって。そんなに母の事が好きなのかよ?」


 からかうように言うとトトは顔を真っ赤にして否定した。


「なっ!好きなんてそんな低劣な感情じゃなく僕は……!」


「何でだよ。好きな事はいい事だろ?……まぁ俺としちゃ微妙だけどさ。」


 真っ赤に赤面し狼狽えるトトにホルスは意外と可愛らしい所もあるのだなと微笑した。




 翌日

 小屋近くの寝床で眠っていたホルスが目を覚ますと隣で誰かが身支度を整えている最中だった。


 しかしその人影に見覚えはない。


「……遅かったね。悪いけど僕は呼び出しを食らったから先に出るよ。」


 まるで旧知の仲であるかのような物言いにホルスは首を傾げる。


 人の顔と名前を覚えるのは慣れていたが、過去の記憶を辿ってみてもやはり覚えがない。


 彼は女性と見紛うような顔つきで、現にホルスも声を掛けられなければ女性だと思い込んでいただろう。

 その落ち着いた雰囲気からして自分より年上なのは確かだ。



「えーと……誰だっけ。」


 ホルスは目の前の男をまじまじと見つめる。


 少しの沈黙の後、男はああ、と言って立ち上がった。



「……この姿は初めてだっけ。僕だよ。トト。」


 あの幼い印象はどこへやら、どこからどう見ても成熟した大人に見える。


 驚きを隠せないホルスにトトは苦笑した。


「……だから言ったでしょ。子供じゃないって。」


その無気力な口調はいつもの通りだが、やはり違和感を拭い去る事ができない。


「何でいつもその恰好じゃねえんだよ。びっくりさせんな。」


「……だって大人は肩が凝るし。でも今日はラーに呼ばれてるからさすがに子供の姿では行けないよ。……というかベスが許してくれない。」


「何を悠長にしゃべっておる?早く出発せんか。あの方を待たせると怖いぞ。」


 たった今話題に上がったベスが後ろから顔を出し、けしかけるように言った。


「はいはい。今行きますって。……君、まだここにいるつもりならちょっと手伝ってくれない?」


「手伝うって、何を?」

 ホルスは訝しげにトトを見た。


「薬の調合。」

 真顔でそう言ってのけるトトにホルスは一瞬頷きそうになるのを堪えた。


「調合って…どう考えても素人に出来るもんじゃねぇだろ……。」


 そもそもそんな繊細で根気のいる作業など自分には向いていない。

 どちらかと言えばアヌビスの方が向いているような気がする。

 ホルスの力量では薬どころか毒を作ってしまいかねない。


「あー、分かった。めんどくさいから後はベスに聞いてよ。じゃ、僕は行くから。」


 トトはこちらの反応などまるで気にしていないというようにそそくさと出ていってしまった。


 もはや呼び止めようのない背中をホルスは黙って見送るしかなかった。




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