第26話𓏏𓍢𓈖𓄿𓎼𓄿𓂋𓇋〜繋がり〜

 燃え盛る炎の中、イシスはただ茫然とその扉を見つめていた。


 セトと共に消えてしまった息子。捨てられた王宮と横たわる妹、そしてそれをただ呆然と眺める事しか出来ない自分。


 セトが自ら火を放った王宮は今にも崩れ落ちようとしている。だがイシスはどうしてもそこから動けなかった。夫を殺され、血の繋がりがないとはいえ愛していた息子も彼の元へ行ってしまった。その事実を受け止めきれずにいるのだ。


「……姉、さん」

 突然背後から聞こえた消え入るようなその声にイシスははっと我に返る。


「ネフティス……!」

 イシスは弾けるように立ち上がり、妹の体を抱き上げる。


「貴方……生きていたの?」

 虚ろではあるが、その目はしっかりと自分を見据えている。


「姉さん、私あの子に救われたわ」

 溢れんばかりの涙がその頬を濡らす。


「何を言ってるの? あの子は——」

「何をしているの? 早く逃げなさい!」


 2柱の会話を遮るように突如女の声が響いた。


「イシス様、早くここからお逃げください! 出口にもじきに火が回ります。手遅れになる前に非難を!」


 イシスは入り口を振り返る。その目に飛び込んできたのはバステトとあの女神官の姿だった。


 バステト神。まさか彼女自らがこの火の海に飛び込んでくるとは思ってもみなかった。彼女が報告してくれたに違いない。イシスは神官の顔を虚ろな目で見つめる。


「彼女から話は聞いた。何があったかは後で聞くわ。今はここから逃げる事を考えなさい」


 バステトの一喝で我に返ったイシスはよろよろと立ち上がる。しかし腰が抜けてしまったのか上手く歩くことが出来ない。


「イシス様、私の肩におつかまり下さい。出口までご案内致します。」

 神官はさっと肩を差し出し、イシスの体を支えながら歩き出した。イシスが後ろを振り返るとバステトは頷き、言った。


「安心なさい。ネフティスは私が連れて行くわ」


「何とお礼を言ったらいいのか……。貴方に命を救われました」

 バステトの神殿へと避難し、正気を取り戻し始めたイシスは深々と頭を下げる。隣にいるネフティスも未だ虚ろではあるが、普段より落ち着いているように見えた。


「頭を上げて。とにかく今は休みなさい。二柱とも顔が真っ青だわ」

 

 神官に案内され、別室に通された二柱は部屋に着くなり椅子に腰掛け深く息をついた。イシスはネフティスの体調と精神状態が心配だったが、先に問い詰めなければならない事がある。


「……何があったのか、話してくれるわね?」

 イシスがそう言うとネフティスは俯き、絞り出すような声で答えた。


「あの子は私をあの牢獄から救ってくれた。感謝しているわ。例えそれが策の一つだったとしても……」

「何を言っているの?」


 一命は取り留めたものの、自分を殺そうとした息子に感謝するとは一体どういう心情なのだろう。イシスは眉をひそめる。

 

「オシリスに剣を贈った本人である貴方なら、あの剣の性質を知らない筈がないでしょう?」


 その言葉の意味をイシスは一瞬で理解し、はっと息を呑んだ。


「そう、あの子は私を殺すどころか傷つけてすらいない」


 とはいえ、その剣はもちろん全身に血を浴びていた筈だ。


「ではあの血は一体……」

「あれはあの子自身の血よ。そこまでしなければあの男を欺く事はできない。あの子はそれを分かっていた」

「……何てこと! それじゃああの子は……」

 イシスは両手で顔を覆う。震えが止まらなかった。


「セトに取り入る前日、あの子が私の部屋に来た。私には合わせる顔なんてなかったけど、あの子は冷静だった。そして私に言ったわ。『本当に悪いと思っているなら俺に協力してくれ』と」


 イシスは顔を上げネフティスを見た。


「オシリスの剣を見せてあの子は言った。死んだふりすれば貴方も、自由になれるって」


 何という事だろう。

 イシスは込み上げてくる感情を抑える事が出来なかった。あの子にそこまでの覚悟を背負わせていたなんて。


 だがそこまでしてセトに取り入る理由。それはやはり自分達への復讐以外に考えられなかった。


「あの子やっぱり私達のことが許せないのね……。」


 イシスの言葉にネフティスは首を振る。


「私はともかく、姉さんは違う。あの子が何をしようとしているのか分からないけど、姉さんを貶めようとしている訳ではないと思うわ。」

「……何故そう思うの?」


 イシスが問うとネフティスは自嘲するように言った。


「あの子私に言ったのよ。貴方を母親だと思った事は一度もない、勘違いするなって。俺の母親はイシスだけだって。当然よね。貴方に責められるのが怖くてあの子を捨てたんだもの」


 イシスは驚いて彼女を見る。


「そんな……!じゃあどうして……。」

「……分からないわ。でもあの子がセトの下につく以上もう味方同士ではいられない。」

「そんな……!あの子に救われたというのに貴方はまたあの子を見捨てるというの!?」


 イシスは今にも掴みかかる勢いでネフティスに迫った。


「……そうね。捨てたのは私なのに、あの子に言われたことがショックだった。そして目が覚めたわ。こんな所でいつまでも泣いてる場合じゃないって。これまでの償いをしなきゃって思った」


 ネフティスは顔を上げ、真っ直ぐイシスを見つめた。


「だから姉さん。私も黙っているつもりはないわ。これ以上あの子を苦しめる訳にいかない。セトの手からあの子を救い出しましょう。私何でも協力するから。母親だって認めてもらわなくたっていい。2人に罪滅ぼしがしたいの」


 そう話す彼女の目には強い光が宿っていた。何百年と続いた苦しみ。その苦しみから解き放たれ、彼女は今息子の為に変わろうとしている。その決意を目の当たりにし、イシスもまた決意した。彼女と共に息子を救い出す事を。

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