第25話𓎡𓄿𓈖𓋴𓍯𓎡𓍢𓋴𓉔𓄿〜観測者〜

「トトには初対面の相手を試す癖がある。己が認めるに相応しい相手か、その力量を推し量るためにな」


 部屋に戻り、力尽きたように椅子にもたれ掛かるホルスにベスはその事情を吐露した。


 成程、俺はこいつに試されていたという訳か。その行動もさることながら、随分タチの悪い動機である。


 一方当の本人はというと、余程集中しているのか机に積まれた大量の書物と向き合ったまま身じろぎ一つしない。

 

「で、君は何が知りたいの?」

「え?」

 その視線を煩わしく思ったのか、トトは急に顔を上げ気怠そうに言った。まさか話しかけられるとは思わず、ホルスは一瞬動きを止める。


「皆、僕に知恵を授かる為にここに来る。もちろん、誰にでも教える訳じゃないけどね。君もそうじゃないの?」


 それは、そうなのだが。

 一抹の不安が心を掠める。分別のないこの少年をどこまで信用していいのか、ホルスにはそれが分からなかった。ベスを疑う訳ではないが、問題を解決するだけの豊富な知識が彼自身に備わっているかも定かではない。


「……言ってくれるね。まあ、多少はしゃぎ過ぎてしまった事は謝るよ。けどホルス、君はまず僕が何者であるかを知る必要がある」


 トトはそう言ってホルスを外へと連れ出す。そのまま建物の裏に回ると、トトはある場所で足を止めた。彼がしゃがみ込んだその肩越しに見えたもの。砂を掻き分けた地面から覗くのは暗灰色の石板だった。


 象形文字ヒエログリフが刻まれたそれに手を添えトトが何かを呟く。まるで隠し扉のようにスライドした石板の下には人為的な穴が掘られ、大人がギリギリ通れるようなその空間にトトは迷わず足を踏み入れる。ホルスは戸惑いながらも後に続いた。


 洞窟のような通路を進み、やがて辿り着いた未知の世界にホルスは息を呑む。穴の奥には巨大な隠し部屋が存在していた。壁一面を覆う棚には本がびっしりと並び、天井には壮麗かつ繊細な天体図がいくつも描かれている。


 一方中央の長机には文字や図がびっしりと書かれたパピルスの山が出来上がっており、圧巻だがまるで研究室のようだとホルスは思った。


「当たり。僕はこの国の観測者であり研究者。世間では知恵の神と呼ばれているけどね」


 俄かには信じ難い彼の言葉にホルスは疑いの目を向ける。自分より遥かに若く、幼いこの少年が神だとは到底思えなかった。それが本当だとしたら如何にして人々の信仰を集め、また神上がったというのだろう。


「例えばこの天体図。これは黄道十二宮と言って、元々バビロニアの神から伝わったものだ。ここには文字通り十二の星座が描かれてる。これを読み解く事によって暦やおおよその時間を知り、吉兆を占う事も出来るんだ。それらを調べる目印としてシリウスなどの重要な星々デカンがあり、それらは約十日で日出昇天ヘリアカルライジングして——」


 興奮したように早口で捲し立てる彼の言葉をホルスは何一つ理解出来なかった。だが知恵の神という彼の主張が真実味を帯びたのは確かだ。


「トトはこう見えてわしより遥かに古い神。月の化身である奴はラーの太陽信仰が始まる遥か昔から信仰されておった。その神格はラーにも劣らぬ」


 いつの間にか背後に立っていたベスはまるで自身の事であるかのように胸を張った。


 彼に後押しされ、ホルスはようやくその重い口を開く。ベスに話したのと同じように今までの経緯を全て打ち明けた。


「原初の丘。君が行きたいというなら手を貸してあげてもいいけど、あそこは危険だよ」


「危険ってどういう事だよ?」

 ホルスが問うとトトは苦い顔をして答えた。


「あそこはもう聖域なんかじゃない。ラーは私欲の為に命を奪いすぎたんだ。アメミットなんて怪しい組織を作ったのがそもそもの間違いだったんだ」


 アメミット、という言葉にホルスは思わず身を乗り出す。


「お前、アメミットを知ってるのか? でもリーダーはセクメトだって……」

「知ってるも何も、アメミットという組織を作るよう提案したのは僕だ。確かに主導者はセクメトだけど、彼女は組織の駒に過ぎない。実際に彼らを動かしているのはラーだよ」


 衝撃的な事実を耳にしてホルスは唖然とした。


「言っとくけど僕は悪事になんか加担してない。そんな事をしても何の利益にもならないからね。僕が提案したのはあくまでラーの盾となる組織で、それがいつの間にかあんな非道なものに成り下がってたなんて。それにアメミットなんて名前僕は反対したんだ。あの化け物が由来だなんて悪趣味にも程がある」


 トトはひとしきり文句を言った後、ホルスに向き直って言った。


「ラーが何をしようとしているのか君は知りたがっているようだけど、無茶はしない方がいい。彼らと関わるとろくな事にならないからね」

 

 まるで当事者であるかのような口ぶりだが、忠告を受けたとて大人しく出来る筈がない。ラーが一連の事件に関わっているのなら尚更だ。


「ラーが本当の指導者だとして、何で半神狩りなんて悪趣味な事してるんだ?」


 ホルスは自分が襲われた当時の事を事を思い出し、顔をしかめた。


「呪いだよ」

「……呪い?」

 その不穏な響きにホルスは眉をひそめる。


「ある時からラーは自分の神殿に籠ったきり、一切姿を見せなくなったんだ。それからだよ。アメミットが半神狩りを始めたのは。持ち帰った遺体を一体何に使っているのか、話の流れからすると——」

「神官と同じように復活させて祈らせている、とか?」

「いや、信仰や祈りは純粋な人間のものじゃなくちゃならない。それに人間を殺すのに比べてどう考えても効率が悪い。彼らは君と同じように完全ではなくとも神の力を持ち得ているんだ」


「じゃあ何で……」

 全く先が見えてこない話に、ホルスは答えを求めるようにトトを見た。

 

「その逆だよ」

 

 ……逆?

 ホルスはきょとんとしてトトを見た。


「神官達のように他人に命を吹き込むのではなく、半神の遺体を自らの命の器にしているのだとしたら」


 成程。その後半神の体を完全な神へと昇華させる為、神官達に祈らせているのだとすればその話にも納得がいく。


「君はラーの命のサイクルについて知ってる?」

「毎日死んで生き返るを繰り返してるんだろ?」

 ホルスはベスに教わった話をそのまま口にした。


「そう。もしその呪いによってそのサイクルが崩れ、その体に異変が起きているのだとしたら、彼らが半神の遺体を回収する理由も……まあ、あくまで推測だけどね」


 そういえば。

 ホルスはある事を思い出した。アヌビスは宿舎での会話の中でセクメトが「あの女のせいだ」と口走るのを聞いている。もしかすると呪いをかけたのは彼女なのかもしれない。


「確かに、会話の流れからするとその可能性は高いね。特定はまだ難しいけど」


 だが国家神であるラーに呪いをかける程の魔術を会得している神とは一体どんな姿をしているのだろう。ホルスは考えるだけでぞっとした。


「……ん?」

 ホルスはふと思った。それでは至聖所の遺体を持ち去ったのも——。


「その可能性はゼロではないよ。でも殺したのが彼らとは限らない。遺体を手に入れるのが目的なら、そもそも遺体は見つからなかった筈だからね」


 トトは急にこちらに歩いてきたかと思うとホルスの目を真っ直ぐと見つめる。


「ホルス、君をここへ呼んだのは僕が神である事を証明する為だけじゃない。君の持つその瞳、もっとよく見せてくれない?」

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