第24話𓋴𓉔𓍯𓍢𓈖𓇌𓈖〜少年〜
「見えたぞ。あそこじゃ」
ベスが指差す先に小さな建物が見える。だがそれは日干し煉瓦で建てられた簡素なもので、巨大な神殿を想像していたホルスはその落差に拍子抜けした。こうなるとベスが言う博識な男が一体どんな奴なのか、尚更興味をそそられる。
それに随分と辺鄙な場所に来てしまった。ここは砂漠に囲まれた
ここまで飛んでくるのに随分と苦労した。それは風で舞い上がる砂塵のせいばかりではない。背中に背負ったこの男が原因の大半を占めていた。
「あんた、見た目と違ってめちゃくちゃ重いな」
彼の口車に乗せられ何とかここまで辿り着いたが、体はとうに限界を迎えていた。子供と同じくらいの体重を予想していたが、実際は鉄の塊でも背負っているかのような重みだった。ベスを降ろした後、ホルスは額の汗を拭い大きく息をつく。
「仕方がなかろう。わし一柱なら瞬間移動も可能じゃが、道案内となれば話は別じゃからな」
疲れ切っていてもはや言い返す気にもなれない。建物に入るや否や、ホルスは目についた椅子に真っ先に腰を下ろした。
「……それ、僕の椅子」
音もなく、目の前に突然現れた少年にホルスは思わず飛び上がった。
「わ、悪い」
ホルスはすぐさま立ち上がり少年に椅子を譲る。彼は抑揚のない声でどうも、と言って大人用の大きな椅子にどっかりと腰を下ろした。
「何じゃ、いたのなら返事くらいせんか」
「んー……ごめん」
少年はやはり無機質な声音で曖昧な返事をする。
ホルスは思わず彼をじっと見た。年端もいかないような子供だが、この落ち着きは一体何だ。いや、落ち着きを通り越してむしろ無気力なだけのようにも見える。
ホルスは一旦室内へと視線を移した。改めて見てみると建物の中は随分殺風景だ。机と、椅子が二脚。それに筆記用具。あとは乱雑に積まれた本が数冊あるだけ。ここ以外に部屋らしいものは見当たらず、生活感はまるで皆無だった。
ここで人が生活しているとは到底思えない。ホルスは彼が一体どこで寝ているのか疑問に思った。
「僕だってこんな所に住みたくはないよ。ここには研究で来ているだけ。寝床は別にある」
少年の言葉にホルスは驚いて顔を上げる。
「……俺今声に出してたか?」
まさか心を読まれるなんてことはあるまいと慌てて彼の方を見やった。しかし当の本人は特に気にする様子もなく涼しい顔で本を読んでいる。
本に夢中の少年に代わってベスが小声で囁いた。
「わしも最初は信じられんかったがあやつにはどうやら人の心を読む力があるらしい」
気をつけろ、と言った所で少年が顔を上げた。
「……聞こえてるから」
しかし全てが顔に出てしまう自分の癖を把握しているせいか、種明かしをされてしまえば不快には感じない。
「で、あんたが言ってたトトってのはどこにいるんだ?」
「どこって、ここにおるじゃろうが」
不思議そうな顔をしてベスが指差した先には相変わらず噛り付くように本を読んでいる彼がいる。
「今子供だからって馬鹿にしたね。見た目で人を判断すると後悔するよ」
見事に心を読まれホルスはまたも面食らう。
トトは読んでいた本を閉じ、急に椅子から立ち上がるとホルスの前に立った。
「あ、おい……!」
あまりの早業にホルスは一瞬腕輪を外された事にも気づかなかった。トトはそれを持ったまま外へ飛び出す。
よりにもよってアヌビスの。
ホルスは心の中で舌打ちをする。
「これ、大事なものなんでしょ? だったら死ぬ気で取り返してみなよ」
トトは挑発するようにそう言い放ち、瞬く間に砂漠へと消えていく。
乾いた風。辺りは既に脅威の気配に満ちていた。吹き荒れる突風、視界を遮る砂塵にホルスは身構えた。砂嵐だ。
「おい危ねえって! ……くそ!」
ホルスが止めるのも聞かず、トトはみるみる視界から消えていく。
「あやつ、はしゃいでおるな」
ベスは特に慌てる訳でも、助ける訳でもなくただ興味深そうにこちらを眺めている。
「嵐の中から本物の僕を探し当てて見せてよ」
焦るホルスを嘲笑い、挑発する声が耳を掠めたその時、目の前に五つの影が現れる。それらは蜃気楼のように揺れ動き、動揺するホルスの心を体現しているかのように見えた。
「チャンスは一度きり。外したらこの腕輪は僕のものだ」
子供の悪戯にも限度がある。ホルスは思わず声を荒げた。
「ふざけてねえでいい加減返せって。それは——」
「……アヌビスの腕輪? ねえアヌビスって誰? 君の大切な人?」
そうだ。
俺の大切な
たった一人の兄。
「ふーん。じゃあ尚更失敗は許されないね」
子供の無邪気な笑顔とは程遠い、歪んだ笑みを浮かべながらトトは言った。
砂漠には様々な危険が潜んでいる。単なる砂嵐とはいえ視界を遮られるだけでリスクは格段に上がるのだ。自然を見くびってはいけない。子供となれば尚更だ。狩りが趣味であるホルスはそれを身をもって経験していた。
このふざけた悪戯を早くやめさせなくては。
ホルスは深く息を吸い、五つ並ぶ人影から右端の影を選んで手を伸ばした。
「本物はお前か」
勢いよく腕を引かれ、トトは目を見開く。すると残りの四体は辺りを覆っていた砂塵と共に跡形もなく姿を消した。
「……どうして。今の君は何も——」
嵐が止んだ。開けた視線の先には呆然と立ち尽くすトトの姿が見える。
どうやら当たっていたらしい。ホルスはほっと胸を撫で下ろした。
どういう事だ?
トトは混乱した。この男は自分の腕を取るその時まで何も考えていなかった。
何か術を見破る能力でも持っているのか?
「勘だ。こんな悪戯にいつまでも付き合ってられねえだろ」
ホルスはため息をつきながら何食わぬ顔でそう言った。
「勘……?」
トトは再び唖然とした。
ふざけている。大事なものを失うかもしれない状況で勘に全てを委ねるなんて。本当は腕輪の事なんてどうでもいいのか?
だが確かに伝わってきたのだ。兄への想い、そしてこの腕輪への執念が。
「君、どうかしてるよ」
トトが呟くとホルスはむすっとした表情で反論した。
「どうかしてるのはお前の方だろ。人のもの盗ったと思ったら急に外に飛び出しやがって。それに勘を舐めるなよ。生物が生き延びる為の本能なんだから」
「僕は子供じゃない。砂嵐を起こしたのは僕だ。君の目を欺く為にやった」
「でも勝ったのは俺だ」
ホルスは勝ち誇ったように笑い、不服そうなトトから腕輪を受け取った。
「……君、名前は?」
そういえばまだ名乗っていなかった。ホルスは彼の前に手を差し出す。
「ホルスだ」
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