第23話𓎡𓇌𓏏𓍢𓃀𓇌𓏏𓍢~決別~
「……これが俺の忠義の証です」
「まさか、本当にやるとは。お前があのオシリスの息子だとは到底信じられんな」
セトは目の前の惨劇には目もくれずアヌビスを凝視した。しかし肝心のその顔からは何の感情も読み取れない。
ポタリ、と床に落ちる紅。
父の剣だとホルスは言った。
その剣をアヌビスは今しっかりとその手に握っている。切っ先から滴り落ちる血の臭いが鼻孔を刺激し、堪らなく不快だ。
地面に滴る紅。それと重なるようにその心にも黒い染みが広がっていく。
全身が闇に染まっていくこの感覚。何物にも形容しがたいこの気持ちを他の誰も推し量る事など出来はしない。
目の前に横たわる女の姿を見た瞬間アヌビスは思った。
ああ、もう終わったのだ。
自分はもう決して戻ることは出来ない道を歩き出したのだと。
***
「それは本当ですか?」
アヌビスを探し、協力者を募る
「ええ。初めて見るお姿だったので気になって」
その問いかけに応じるのは女神バステトに仕える女神官である。彼女の話では、昨日偶然通りかかった王宮に見知らぬ青年が立っているのを見たというのだ。イシスが容姿について尋ねるとその特徴はアヌビスそのものだった。
一体何の為に?
理由は何にせよ悪い予感しかしない。真実を知り、心に闇を抱えた彼は今どんな行動に出てもおかしくはなかった。イシスは神官にお礼を言い、王宮がある方角に目を向ける。
「イシス様、まさかあの神殿にお一人で乗り込むおつもりですか?」
その問いにイシスははっきりと答えた。
「当然です。これは私達の問題なのですから」
イシスが握った片手を広げると、そこには一枚の羽が乗っている。それに息を吹きかけた途端、その姿は一瞬にして霞と消えた。
***
眩暈がした。
王宮へ再度足を踏み入れたイシスの前に広がるのは目を背けたくなるような惨劇。力なく崩れ落ちるイシスにアヌビスは冷ややかな視線を送る。
「遅かったですね。母上——いや、
全身に返り血を浴び平然と佇むその姿は神々しい神の姿からは想像も出来ない程猟奇的だった。
「アヌビス、まさか貴方がネフティスを……?」
「だったら何だと言うんだ? 不義を犯し、産まれた子を捨てた母親を憎むのは当然だろう。それを隠し、ずっと俺を騙してたあんたが、まさか俺を非難するつもりか?」
アヌビスは嘲るようにイシスを見、そして笑った。
その言葉が、その視線が、曲がりなりにも母であったイシスの心を抉る。
これが本当に自分の息子?
まるで別人のような我が子を見つめ、イシスは言葉を失う。その沈黙を破るようにセトの笑い声が響いた。
「傑作だなイシス。まさか自分の息子が妹を殺すなんて思ってもみなかっただろう? だがこれが現実だ。己の罪を悔いる事だな」
己の罪を悔いる。一体どの口が言うのだろうか。
「……黙れ」
瞬間、まるで衝撃波でも食らったかのようにセトの体が弾け飛んだ。そのまま壁に激突した彼に更なる衝撃が襲う。
どこからともなく飛んできた長剣が彼の鳩尾に突き刺さった。しかし吐血した口元には笑みが浮かぶ。まるで溶けるように崩壊した体は全てが砂と化し、そこには砂山だけが残った。
「これ程面白い修羅場を俺だけ見られないなんて不公平だろ」
目線の外から聞こえてきた声にイシスは動じる事なく冷たい視線を送る。
「部外者は黙っていろと言ったのよ」
「俺は部外者じゃない。それはこいつが一番分かってる」
眉をひそめるイシスにセトはアヌビスの方を顎でしゃくった。
「……その剣」
アヌビスが握るその剣にイシスは見覚えがあった。かつてオシリスがこの国の王についた時、その祝いとして自分が贈ったものだ。煌びやかな装飾を好まないオシリスに贈った飾り気のない素朴な剣。
忘れる筈もない。
しかし今その聖剣は血で汚れ、その輝きを失っている。
「この剣は今俺のものだ。どう使おうと俺の勝手だろ」
アヌビスは剣を振り、忌々しいとばかりにその血を払う。
「ナイルの守護神クヌムが俺にふさわしい剣だと言ったそうだが、まさに。この剣は俺の手に良く馴染む」
その剣を今度はイシスの方へ向けて彼は言った。
「あんたも殺されたくなければ今すぐここから出て行け。そして俺に、二度と関わるな。」
冷たく突き放すように放たれた言葉はイシスの心を抉るように響いた。氷のように冷ややかなその視線はもはや肉親に向けられるものではなかった。
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