第20話𓋴𓇋𓈖𓊃𓇋𓏏𓍢〜真実〜
「また土いじりか? 毎日毎日それのどこが楽しいんだ」
「それを言うならアヌビスだってずっと本読んでるじゃんか。そっちの方が退屈だね」
「馬鹿。俺はこの国についていろいろ勉強してるんだ。ただ土をいじってるお前とは違う」
「俺も人間の文化を勉強中なんだよ」
「狩りも農作も俺達には必要ないって何度言ったら分かるんだ? この調子じゃ俺が王位を継ぐかもな」
「いいじゃん。俺は王なんて興味ないし叔父上と戦うなんて絶対無理だ。俺はお前の家臣でいいや」
アヌビスが消えてからというもの、ホルスはよく夢を見るようになった。二人がまだ幼かった頃の夢。
あの頃は王位の話も無邪気に出来たものだが、物心がついてから一度もそういう話をしていない。大人になり、察する事を覚えると自然と口にしなくなるものだ。アヌビスが
ホルスはあれから国中を飛び回り、兄を探した。だが数日たった今もその行方は分かっていない。
あの日からベッドに置き去りになっている腕輪をホルスはじっと眺める。戻ってくるかもしれないという期待から、ずっと回収出来ずにいた。母から受け取った当時、これがまさか形見であるとは思いもしなかったが、それぞれ片時も外すことはなかった。
それなのに。
ホルスの心に兄の言葉が蘇る。お前が王になるのかと、責められているような気がした。
俺が不甲斐ないせいで。
悔いた所で彼が戻ってくる訳ではない。だが日増に思い知るのだ。自分にとって兄という存在のその大きさを。
「俺、ずっと一人でやれるって思ってた。ずっと二人でいたのに……」
周りを顧みず、幾度となく突っ走ってきた。事情など考えもせずに。
一人大きくなったような顔をして
何も見えていなかった。
見ようともしなかった。
彼がいなければ今の自分はいなかった。
だけど俺はあいつに何をしてやれただろう。
「こんな俺に王になる資格があると思うか? 答えてくれアヌビス」
全ての用事を終え、外出から戻ったイシスはその有様に言葉を失う。瓦礫と化した宿舎、人気のない神殿。血の気の失った顔で項垂れる息子。まるで現実味のない光景にイシスはホルスの肩を強く掴んだ。
「一体、何があったのです?」
「アヌビスが——」
ホルスはそれだけ言って口を閉じる。今はそう伝えるのが精一杯だった。
「やはり、行ってしまったのですね。」
「……やはりって、どういう事ですか?」
ホルスは力のない目で母を見る。
「ホルス。貴方達にずっと黙っていた事があります」
***
「俺の下に付きたいとは、一体どういう心境の変化だ?」
深紅の瞳が目の前で膝を折る青年の姿を捉える。それに臆することなく彼は答えた。
「何か、問題でも?」
「この状況に何の問題もないと? まさか父親を殺した犯人を知らないとでもいうのか?」
「まさか。この目ではっきり見たんだ。この俺が知らない筈がないでしょう」
「では何故仇である俺の下につくなどどいう戯言を抜かす? お前がここに来る時は俺を殺す時以外あり得ない。イシス同様親子揃って勿体ぶるのが好きなようだが、いい加減その腹の内を明かせ」
一体何を考えているのか、挑発的な言葉にも一切の表情を変えない彼にセトは苛立ちを覚えた。
「イシスは母ではない」
その言葉にセトは眉を上げ、訝し気に目を細めた。
「俺の母はネフティスです」
そう口にした後も、彼の表情からは一切の感情が読み取れなかった。セトはそんな彼に憐れみの目を向ける。
「ついに真実を知ってしまったという訳か。気の毒な事だ。だがただの復讐ならここに来る必要もあるまい。仇の下に付くからにはそれなりの理由があるのだろう?」
試すような視線にもやはり動じる事なく、彼は淡々と語り始めた。
「俺が憎んでいるのはイシスや母だけではありません。俺が最も憎むべき相手。ホルスは俺にこう言いました。『この国の王になる』と。俺の境遇はおろか、父が殺された事さえ知らず、守られ、のうのうと生きてきた男の口から出た言葉に俺は言葉を失いました。一体どの口がそんな戯言を抜かすのかと」
「で、お前もこの座が欲しいと?」
「いえ、俺は王座になど興味ありません。ただあの男が王になる事だけは許せない。貴方の下に付く理由はそれだけです」
アヌビスはセトの目を真っ直ぐと見据え、冷たく言い放った。
***
「それは、本当なのですか? 俺とアヌビスが実の兄弟じゃないって」
イシスは涙を零しながら頷いた。
「本当は真実を知らぬまま幸せに過ごして欲しかった。だから最後まで隠し通すつもりでいました。けれど聡いあの子が気づかない訳がない。いずれこんな日が来るだろうと思っていました。今まで黙っていて本当にごめんなさい……。」
ぽろぽろと涙を流す母親をホルスはただ黙って見つめる事しか出来ない。
俺はいい。
腹違いだろうと兄である事に変わりはない。血の繋がりだって無い訳ではない。
だけどあいつは違う。
ずっと母親だと思っていたイシスが他人であり、その事実を隠していた。しかも実の母と父が不義を犯していたとなればその傷も大きいだろう。
愛する者に裏切られる悲しみは図り知れない。
「何かのきっかけであの子はそれに気づいた。ネフティスの部屋から出た時影を見たのです。——あれは間違いなくアヌビス、あの子でした」
——きっかけ。
それはきっと今に始まった事ではない。彼が幼い頃から感じていた違和感や疑惑は常にその心に燻っていたことだろう。
そしてその最後の引き金が自分だったとしたら――。
ホルスは胸が張り裂けそうになる。
アヌビスは薄々気づいていたのかもしれない。どれだけ願いをかけようと望むものにはなれないという事を。
ホルスはアヌビスの腕輪を掴み自分の腕に通す。
もう一度彼を探しに行く。そして話がしたい。その苦しみを理解する事は出来なくても、家族として傍にいる事は出来る。
「俺、アヌビスを探して連れ戻す。俺が何も知らないせいでずっと孤独だったんだ。それなのに俺はあいつに助けてもらってばかりだった。今度は俺があいつを救う」
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