第14話𓋴𓇋𓈖𓊃𓇋𓏏𓍢〜真実〜
「またそんな所で土いじりして。それのどこが楽しいんだよ?」
「それを言うならアヌビスだってずっと本読んでるじゃんか。そっちの方が意味分かんないね。」
「ばか。俺はこの国についていろいろ勉強してるんだ。ただ土をいじってるお前とは違う。」
「俺も人間の文化について勉強中なんだって。」
「狩りも農作も俺達には必要ないって何度言ったら分かるんだ? この調子じゃ俺が王位を継ぐかもな。」
「いいじゃん。俺は王なんて興味ないし叔父上と戦うなんて怖すぎて絶対無理だ。お前の方が向いてるよ。」
アヌビスがいなくなってからというもの、ホルスはよく夢を見るようになった。
2人がまだ幼かった頃の夢。
あの頃は王位の話なども無邪気に出来たものだが、物心ついてからは一度もそういう話をしていない。
大人になり察する事を覚えると自然と口にしなくなるものだ。
アヌビスが叔父の話を極端に避けるようになった事も理由の一つではあるのだが。
もう、戻ってこないのだろうか。
お別れとはどういう意味なのだろう。
ホルスはアヌビスの残していった手紙と腕輪を眺め、ため息をつく。
特にこの腕輪は2人にとって特別な意味を持つ。
昔母から贈られたものだが、父の物だと知ったのは随分後になってからだった。
その時はまさかそれが形見であるとは思ってもみなかったが。
ホルスは左腕に、アヌビスは右腕にそれぞれ身につけ、片時も外すことはなかった。
——それなのに。
そんな大事なものを置いて一体どこに行ってしまったというのだろう。
こうして何日も物思いにふける自分をらしくないとも思う。
そして自分にとっての彼がどれ程の存在だったのかを思い知らされるのだ。
「俺、ずっと1人でもやれるって思ってた。ずっと2人でいたのに……!」
周りを顧みず、幾度となく突っ走って迷惑をかけた。
叔父の話を避けてきた理由も最近になってやっと分かった。
1人で大きくなったような顔をして
何も見えていなかった。
見ようともしなかった。
甘えていた。
今までやってこられたのも全て彼がいたからこそだった。
——それなのに。
俺は彼に何と言った?
「こんな俺に王になる資格があると思うか?……なぁ、答えてくれアヌビス。」
外出から戻ったイシスはその有様に言葉を失った。
瓦礫と化した宿舎と消えた神官達。
血の気のない顔で項垂れるホルス。
その全てが衝撃的で、まるで現実味がない。
「一体、何があったのです……!?」
ホルスにはしかし、それを説明するだけの気力が残っていなかった。ただ廃人のように母親の顔をぼんやりと眺める。
「アヌビスが——。」
ホルスはそれだけ言って口を閉じた。
もはや最後まで伝える気力もない。
しかしイシスにはそれだけで十分伝わった。
「やはり、行ってしまったのですね。」
「……やはりって、どういう事ですか?」
ホルスは目の色を変えて母を見る。
「……ホルス。貴方達にずっと黙っていた事があります。」
***
「俺の下に付きたいとは、一体どういう心境の変化だ?」
血のような深紅の瞳がその姿を捉える。
しかしそれに臆することなくアヌビスは答えた。
「何か、問題でも?」
「お前がここに来る事自体おかしな話だ。そんな事があるとするならそれは俺を殺す時しかあり得ない。まさか父親を殺した犯人を知らないとでも言うのか?」
セトは嘲るように言った。
「まさか。この目ではっきり見たんだ。この俺が知らない筈がないでしょう。」
「では何故仇である俺の下に就くなどどいう戯言を抜かす? イシス同様親子揃って勿体ぶるのが好きなようだが、いい加減その腹の内を明かせ。」
苛立ちを隠せないセトの前でアヌビスは眉一つ動かさずに言った。
「イシスは母ではありません。俺の母はネフティスです。」
それにセトは取って付けたような憐れみの目を向ける。
「成程。それを知ってしまったという訳か。気の毒な事だ。」
「だから俺はその事実を伏せ、騙していたイシス、そして父を誑かし、不義を犯した母に復讐を誓い、ここに来ました。」
「成程。だが、動機としてはまだ薄いな。ただ復讐したいのならわざわざ俺の下に就く必要も無い。仇の下に付くからにはそれなりの理由があるのだろう?」
「俺が最も憎むべき相手。ホルスは俺にこう言いました。『この国の王になる』と。俺の境遇はおろか、父が殺された事さえ知らず、守られ、のうのうと生きてきた男の口から出た言葉に俺は言葉を失いました。一体どの口がそんな戯言を抜かすのかと。」
「——で、お前もこの座が欲しいと?」
「いえ、俺は王座になど興味ありません。ただあの男が王になる事だけは許せない。俺が貴方の下に付く理由はそれだけです。」
アヌビスはセトの目を真っ直ぐと見据え、冷たく言い放った。
***
「それは…本当なのですか?俺とアヌビスが本当の兄弟じゃないって。」
イシスは涙を零しながら声を出す代わりに頷いた。
「今まで黙っていた事、本当に申し訳なく思っています。本当はこのままずっと言わないでおこうと思っていたのです。……でも聡いあの子が気づかない訳がない。いつかこんな日が来ると思っていました。本当にごめんなさい……。」
ぽろぽろと涙を流す母親をホルスはただ黙って見ている事しか出来ない。
俺はいい。
アヌビスが腹違いの兄だろうと兄である事に変わりはない。血の繋がりだって無い訳ではない。
しかしアヌビスはどうだ。
ずっと母親だと思っていたイシスが他人であり、その事実を隠していた。
しかも実の母と父が不義を犯していたとなればその傷も大きいだろう。
愛する者全員に裏切られていた事を知ったら誰だって……。
「きっと何かをきっかけに気づいたのでしょう。ネフティスの部屋から出た時影を見たのです。——あれは間違いなくアヌビス、あの子でした。」
——きっかけ。
彼が幼い頃から感じていた違和感や疑惑を確信に変える最後のきっかけが自分だったとしたら。
ホルスは胸が張り裂けそうになる。
アヌビスは薄々気づいていたのかもしれない。
自分がどれだけ望もうとも王にはなれないという事を。
ホルスはずっと持ち歩いていた腕輪をその右腕にはめた。
「俺、アヌビスを探して連れ戻す。俺が何も知らなかったせいであいつはずっと孤独だったんだ。それなのに俺は甘えて、あいつに助けてもらってばかりだった。今度は俺がアヌビスを助ける。」
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