氷河期ベイビー

─第一に─

─お前には殺されない権利がある─

─殺人は犯罪だ─

─警官や─

─貴族がやるものは除いて─



 ザ・クラッシュの「ノウ・ユア・ライツ」を二人で頭の中で聴きながら、指定認可地区サーティファイドの公道を自動車で駆け抜ける。

 あれから二人で聴くのはパンクばかりになった。だから何だという訳ではない。ただの気分ノリだ。私たちは何時でも、これからも。


「髪伸びました? 前切ったばっかなのに」


 少しだけ視界を塞いでいる、赤い前髪越しの車道を見つめながら私は返答した。


「……うん。また切ってね。これぐらいの長さキープで」


 後ろからチエが座席に軽く足を当てている。走り続ける鉄塊。軽自動車特有の、静かな振動を感じる。


「だからですね、ちゃんと日々のケアを怠らなければ、私みたいに伸びっぱなしでも平気な訳ですよ」


「……うっさい」


 あの日、ブラフマーに覚醒して以来、私たちの髪は朱に染まった。

 今まで殺してきた、人間や機械たちの返り血を浴びるように。

 それらの業を背負うように。


「大体、何時に行けばいいんですか? って話ですよ。本当に知覚出来るんですか? そいつは。時間も指定せずに非常識ですよ。デートする資格なしです」


「デートじゃねえよ」


 ハンドルを切ってるいると、チエがまた後方から喚き出す。バックミラー越しに、碧い猫の瞳を若干潤ませながら、ぶつくさと膨れっ面で呟いているのが見える。

 オリーブ色、8分丈のサブリナパンツに白いリネン・シャツを合わせてカジュアル・スタイルらしい。知らん。私とのデートでもないのに、何故に気合いが入っている服装をしているのか尋ねても答えてくれなかった。


「……分かんないけど、そうすることで優位性を見せたいのかもね。自分は何から何まで、私らより上だってことをさ。あの『市長の頭パッカーン事件』も……」


「それよりルカちゃん、その赤いジャケットって、どんぐらい前から着てましたっけ?」


「……いいんだよ。なんかヴィンテージの、レア物だって言ってたんだから、露天商が。なんつーの? ……軍放出品ミリタリー・サープラスだ!」


「……それって軍が大量に仕入れたけどこんなに要らないからって、民間に流れるやつじゃなかったですっけ?」


「……まあ、それより……今日、監視塔ウォッチング・タワーの内部構造情報が手に入ったのはでかいよ! うん」

 

 私は黒のカーゴパンツから発信器やディスク等を取り出し(だから大きいポケットの付いたズボンは重宝している)、87番街の指定地での諜報任務の成功を自画自賛した。

 といっても真の功労者は長年に渡って内部に潜伏し、それを子細に調べ上げたディアンジェロさんであって、今日の私たちはそれを受け取っただけなのだが。


 これから我々グループの息のかかった120番街のガソリンスタンドで車を乗り捨てた後、そのまま別の車で帰りのレナード橋へと向かう予定だ。

 途中で75番街の繁華街にも寄りながら。

 あそこのレストランのステーキは何時だって絶品だから。


 その橋は9つの区画に分割統治された指定認可地区サーティファイドの中で、大河を隔てた非指定地区アン・サーティファイドとの間を結ぶ唯一の吊橋である。全長は約2キロ、横幅は30メートルほどで、かつてこの国が中華連邦に飲み込まれる以前の、トーキョーラマが世界に誇る観光名所でもあった。

 今では富裕層と労働者階級プロールを分かつ格差社会の象徴ではあるが、こうして私たちを素通りさせてくれる超薄弱ザル警備には感謝してもしきれない。たまにデートだって出来るし。



指定認可地区サーティファイドにネズミが二匹〜♪」

「私らおめかし都会のネズミ〜♪」

「危険を乗り越え、美味いもんほうばり〜♪」


「いいじゃん、前のより」


「本当ですか?」


「都会のネズミ〜ってのがいいよね。詩的ぶってて」


「……それって褒めてるんですか?」



 脳内放送が終わった後、チエの自作曲オリジナルである「恋するネズミたち」のアカペラを聴きながら、私は車のハンドルを切り続けた。


 午後2時過ぎの外光と光のプリズムは妙に心地よく、車両もそれほど混み合っていない。格好のお出かけ日和だ。

 先月、「演習」が行われた110番街を通り過ぎたが、何処の通りも人気がない。流石に規模が大き過ぎて、政界でも非難轟々だったらしいが、通信社は全ての反対意見を封殺してしまう。

 脳裏にあの谷川マクロという男の顔がチラつく──


「お前たち。本当に大丈夫なのか? 一応、出来る限りの援護フォローはするつもりだが」


 気付くとディアンジェロさんから無線が入っていた。

 私は流れる景色を横目に車を走らせ続ける。


「大丈夫ですよ。GPSもドローンもウイルスも要らないです。ご飯がてら会って、話すだけです」


「……ご飯がてら?」


「あのですね、こちとら普段は非指定地区向こうで霞……というかコオロギを食って、労働者たちを支援してる訳ですよ。ディアンジェロさんみたいにその気になれば、毎日何でも好きなもん食べ放題じゃないんですよ」


「……まあいいが」


「大体、ナメられすぎでしょ。私たち。どうせ記憶データもわざと盗ませたんだろうし。こんな回りくどいことするなら、向こうも取って食うような真似はしないですよ。交流コミュニケート交流コミュニケートが文明を築くんです」


 しばし無言。

 私は再び呟いた。


「……まだ心配ですか? 無茶しすぎって?」


 車内に返答が響く。

 とても落ち着いた声だった。


「……実のところ、頼りにしている。本当だ。現に、我々はこんなにも機敏には動けないからな。虎穴に入らずんば──てやつだ。それじゃあな、幸運を祈る。『元気です。ありがとう。どういたしまして』」


 通話終了。

 また小言の雨霰を浴びせられると思っていたのに、何だか拍子抜けだ。


 今まで演習の行なわれたことのない平和な区域エリアを通り過ぎ、ようやく75番街の繁華街が左手に見えてきた。

 人気のない大通りを直進していると、前方に黒いスーツ姿の男女を確認。二人とも若い。

 しかしカップルではないだろう。走行中のフロント・ガラス越しにでも、ただならぬ雰囲気を感じる。

 殺気が、飛んでくる。

 すると車体を震わす凄まじい振動と共に、目前の景色がひび割れていった。


 刹那、凍りついた一瞬、時間の低速スロー・モー──


 それは拳だった。

 男の拳がガラスをぶち破って、擦り切れるような金属と金属の共鳴りが私の鼓膜をつんざいた。


 私は考えるより先に、ドアを開けて外へ出る。

 その発射された右腕が嚆矢こうしとなって、私たちは戦闘態勢へと入る。

 宙空で車体側面を蹴り上げて浮遊。身体を捻りながら後方確認。

 チエは既に遥かに先の方で着地を済ませており、周囲の情報を確認している。相変わらず反応が早くて安心。いや逃げ足が早いだけか。

 

「(ルカちゃん! ザ・ボーイズの『シック・オン・ユー』お願いしまーす!)」


 たまには自分から流せや──

 と思いながら前方を見やると、男は私へ目掛けて突撃を開始し、女は懐から何やら長方形の貴金属を取り出している。恐らく爆弾だろう。私はブラフマーで男を動きを食い止め、女の手元を操作する。男はゆっくりと停止し、女は貴金属を懐へとしまう。


 同時進行する2つの複雑な操作だが、上手くいった。

 今の私には、何だって出来る気がした。


 頭の中でザ・ボーイズの「シック・オン・ユー」を流す。

 しかし違和感があった。

 上手くいかない。

 私とチエの意思疎通の思念サインの間に、異音が感知された。

 夾雑物のようなものが──

 私たちの間に、混入した──



「(まずはレッスン1ね。そいつら残り3分で殺れたら合格。はい頑張ってー)」



 ジャックされた?

 頭の中で、あの声が鳴り響く──



 後方でチエが苛ついているのを感じる。恐らく向こうも感知キャッチしてる。

 私は瞬発的に乗り捨てた車を──いまや半壊しつつあるその鉄塊を──停止中の男に向かって高速で吹き飛ばした。

 無人であれば、今やそれはただの物体でしかない。

 自由自在に、操作出来る。

 鈍い爆発と共に、男は前方のアスファルトの地面へと吹き飛ばされる。



 一瞬の攻防で間延びしていた意識は収縮し、時間感覚は順行リアルタイムへと戻った。



「(車飛ばして、大丈夫なんですか? 橋渡れます?)」

「(どの道、途中で乗り変える予定だったでしょ)」

「(ああ、そ──)」


 雑音ノイズが私たちの思念サインを掻き消す。

 私はチエの──

 チエの眼を視る──

 チエの視点を視る──


 女の方が、これまた猛スピードで自分チエの元へと突進してくる。

 黒いスーツは風に波打ち、四肢の駆動に対応している。耐久性に優れたパンツスタイルであるのが伺える──



「(だから駄目だっての。それぞれの相手に集中しなさい。もう片方のこと気にしてる暇なんかないよ。あと2分43秒しかないんだから)」



 これもまた、雑音ノイズと共に強制解除。

 私は憤懣に駆られる。

 琴音ナナに、腸が煮えくり返る。

 何がしたい?

 何が目的だ?



「筋トレ直後の冷却作用アイシング〜♪」

「筋トレ直後の冷却作用アイシング〜♪」

「何が良いのか悪いのか〜♪」

運動機能学キネシオロジーの日進月歩〜♪」


 

 爆炎と粉塵の中──

 模造人間シミュラント特有の頓珍漢な自作曲オリジナルを歌いながら、男はその身を変形させてゆく。


 

氷河期アイスベイビー! 氷河期アイスベイビー! 氷河期アイスベイビー! 氷河期アイスベイビー! 氷河期アイスベイビー! 氷河期アイスベイビー! 氷河期アイスベイビー! 氷河期アイスベイビー! 氷河期アイスベイビー! 氷河期アイスベイビー!」


 

 両肩を突き抜けたキャノンから、野球ボールほどの無数の氷塊が次々と高速で発射される。

 男の皮膚は酷く汗ばみ、スーツ越しにもその蒸気が立ち上っているのが視認出来る。

 その内、鼻の穴からも煙を吹き出してしまいそうな勢いだ。


 しかし、ガン・クラッパーのあの厄介な光線レーザーとは違う。

 銃弾を外部機能に頼らない体内生産型。燃費はこっちの方が良いのだろうが、一旦距離を詰めてしまえば対処は簡単だ。

 所詮、これは旧型だ。時空間を移動した挙げ句に、特大のビームを乱射したりはしない。


 私は空を切って乱反射される氷塊──かわす度に耳鳴りがした──をくぐり抜けながら突進し、更なる異形へと変形しつつある男の胸元へと右膝蹴りを入れる。

 一発で充分だ。

 男はスーツの胸元を抑えてうずくまる。いっそのこと、生身の人間らしく内臓から口元へと血反吐を逆流リバース出来た方が楽だろうに。

 苦悶の表情をしながらこちらを見上げた男の顔を、私は右腕で鷲掴みにし、そのまま胴体から切り離した。

 案の定、軽い。

 男は機能を停止した。


 

 爆炎が風に揺れる中、またまた指定地区サーティファイドで面倒事を起こしてしまった後悔と正当防衛の自己弁護の間で揺れながら、およそ数十秒間、私は待った。

 やがてチエが煤けた煙の中から現れる。


「ルカちゃん。こっち、生身の人間でしたよ? 拳法家みたいな奴で。何ででしょうね?」


 チエの右腕はどす黒く染まっており、恐らく死体ボディを内臓まで隈なく調べ上げたことが伺えた。

 私は彼女のそのお気に入りのシャツが穢れたことに──

 少しだけ罪悪感のようなものを感じながら、思案を巡らせた。


「向こうも近頃はリソース不足……焼きが回ったってよりは……この状況に応じて仕向けられたテストって感じか……後部座席の方がどうしても脱出が遅れるだろうし、ハンデが要るってことかもね……まあ、君には関係ないけど。私との競争ダッシュじゃいっつも負けるのに」


「咄嗟の判断能力が早い、と言って下さい」


 チエも訝しげに辺りを見渡す。


「あいつ……一体何処で視てるんでしょうね」


 すると私たちの間を一陣の風が通り抜けた。

 同時にオレンジ色の派手な羽根を震わせている──小さく鮮やかな極楽鳥が上空から何処からともなく舞い降りてきた。

 夢の中で、視たものと同じ──

 そして鳥は喋り始める。


「流石です。合格です、お二人様。この『事故』の後処理は我々の作業員にお任せ下さい。この先の道で、この宇宙の法であり、そして救済者である『梵天のナナ様』がお待ちです」


 宇宙の法であり、救済者の使い──

 恐らくは模造ペットであろうA.I.搭載の喋る鳥は、更に私たちに向かってこう言った。


「玉依ルカ様、そして山本・キートン・チエ様……あなた方に、この世界の真実をお教えします」

 

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