最終話

 オレは自室にいた。何も置いていない机をただただ眺めるだけであった。考えを巡らしているように見えて実は何も考えていなかった。いや、考えるという行為ができないでいたのだ。ため息をつく。椅子に深く腰掛けて、背もたれによりかかる。今度は天井を一点に眺める。

 手を組んで力を籠める。目をつむり心を無にする。

 時計の進む音のみが部屋に響く。オレは、立ち上がる。そして、部屋を出る。

 この家にはいたくなかった。何もない日常がただそこにあるだけだからだ。だが、真衣に会って変わった。不思議と、この家も違って見える。薄暗くどんよりとした負のオーラに満ちた、そんな箱モノの家。だけど、今は白く見える。変わった世界に見える。どうしてなんだろうなぁ。

 オレは階段をゆっくりと降りる。物音は立てない。

 リビングにたどり着く。そこには、母親がいた。眠っている。きっと泣き疲れてしまったのだろう。最近と変わらない。

 オレは母親の肩にそっと手を置いた。ぐっすりと眠っていて気が付かない。

 オレはしばらくそのままにいた。眉が自然に下がる。目を伏す。

「ごめんな、ありがとう」

 オレはそう言って、この家を去ることにした。


 オレは待っていた。あの廃墟で。初めて会った場所で。夕陽は沈みかけていた。夕焼けがオレを照らす。もうすぐ日が沈み、ここもさらなる静寂で包み込まれる。

「やっほー」

 真衣がいつも通りの調子で声をかける。にこにこした笑顔で話す。

「昨日はどうしたのさ。待ってたんだけど」

「いや、ごめん。ちょっと用事を思い出して」

「まあ、いいけど。ねえ、正人君、今日は何しようか? 遊びに行く? また、死を手伝ってくれる?」

「もう、どっちも無理かもしれない」

 彼女の笑顔が消えた。

「どういうこと?」

「……ねえ、真衣はさ、オレといて楽しかった?」

「え、ええ? どうしたの?」

「オレはさ、今まで女の子と、色んな所へ遊びにいったことがなかった。華のない生き方って言ったらそうかもしれない。ただ、それだけがすべてじゃないけど。オレは、普段通りのこの日常に嫌気がさしていた。真衣と同じだよ。そして、非日常を求めて、ここへ流れ着いた。そうしたら。非日常が空から舞い降りてきた」

「それが私って、そういうことよね」

「うん。それで、死のお手伝いをしようとした。これが非日常かと思った。だけれども、その非日常がやがて日常に変わってしまうのではないかという恐れが存在した。そして、真衣と外へ出た。そこから普段の日常の中に非日常がありふれていたということが分かったんだ」

「おさらい? 何が言いたいの?」

「オレは、真衣が現れて、オレのそばにいてくれている。そんな非日常が、オレの日常になった。だけど、それが心地が良かった。ただそこにいるだけが、よかったんだ」

「……」

「君とみる、この夕陽もすごくきれいだ、そう思った。ねえ、君はどう思う?」

「……」

 彼女は黙った。オレのこんな意味が分からない独白に戸惑っているのだろうか。まあ、当然だろう。

「きれいだよ。すごくね」

 真衣は、にっこりと笑った。そして、オレの頭を撫でた。嬉しかった。二人で同じ景色を見て、同じことを思ってくれた。それだけで、よかった。

「正人君、私も、同じだよ。今言ってくれたこと、同じ。気が付かなかった。正人君と2人で見る景色がこうも美しく見えるんだって」

「……ありがとう」

 オレは目を伏せた。

「どうしたの? うれしくない?」

「うれしいよ。だけど……」ため息をついた。「オレは言わなくてはならないことがある。それは残酷かもしれない。でも、言わなくてはならないんだ。言うのが、優しさだなのかもしれない。いや、お礼なのかもしれない」

「……なに?」

「昔の話をしよう。ここが、まだ廃墟になる前の話。人が住んでいたころのお話。ここで1人の女子高校生が飛び降り自殺したそうだ。ここに住んでいた子だそうだ。ほら、ここって心霊スポットだったでしょ。これがその所以」

「……そうね。それがどうかしたの?」

「その子の名前を調べてみたんだ。そして……その名前は、伊勢真衣っていうみたいなんだ。つまりどういうことか。君だよ」

「……は?」

 唖然としていた。口をぽかんと大きく開けていた。

「そ、そんな……馬鹿な……ことが、ある? えっと、冗談? おふざけ? 笑えないよ……そんなの……」

「いや、事実なんだ。君なんだ。写真もあるよ。見る?」

「いらない!」

「……」

「……真衣、君は死ねないんじゃないんだ……。過去にもう亡くなっている。地縛霊のように、ここに存在しているんだ。まだ自分が生きている、と。死んでいると事実を認識できずに、とどまっているだけなんだ」

「嘘だ!!!」

 真衣の叫びがこの廃墟に響き渡る。

 こぶしを握り、息を荒くする。肩で呼吸をしている。オレは思わず目を伏せた。

 しばらくすると、冷静さを取り戻したのか、落ち着き始めた。深く呼吸をする。最後に、大きく息を吐いて、首を横に振った。

「いいえ、思い出した。いや、思い出してしまった。そう。そうよ。そうなの。正人君が言った通り。私は、ここに住んでいた。そして、飛び降りたんだ。なんで? それはもちろん、この何もない日常に飽き飽きしていたから。もう、理由は会ったときに説明したよね。……そうか。私、私は死ねていたんだね……」

 一筋の涙がこぼれる。膝から崩れ落ちた。嗚咽をもらす。

「こんなくだらない灰色な日常から逃れたかった。その為に私は……」

 オレは片膝をついた。肩に手を置く。

「私、今は後悔している。だって、日常の中に潜む非日常を望むことになんて、特別なことはいらない。夢のような事もいらない。ただそこらへんに漠然としてあった。それ故に気が付かなかった。本当に楽しいことなんてそこらへんにたくさんあったんだって、気が付いてしまったんだから。あの展望台で見た景色。正人君といろんなところへ遊びに行った。普段通り過ぎているところさえ、輝いて見えた。すぐそばに望んだものがあった。ただ、近過ぎて見えなかった。その大切な何かが。……あーあ。そういうの、生きている間に、知りたかった」

「……」

「正人君、ありがとう。教えてくれて。……私、生きている間に、正人君と会いたかったな……。でも、死ねてよかったかもしれない。だって、こうして正人君と会えたんだから」

「真衣……」

「私と正人君は同じだった。考えも感情も感受性も大体何もかも。写し鏡のよう。似たもの同士。でも、悪くなんかない。嬉しい気持ちが凄く強い。ねえ、君は、私のことをどう思っている? 抽象的ではなく、言葉にしてほしいな」

 オレは素直な気持ちを真衣にぶつけた。

「好きさ。大好きさ。この高鳴る鼓動の胸の内はきっと君……真衣への、愛情だよ」

「ハハハ、キザなセリフ。でも、ありがとう。私も! 正人君が好きだよ」

 いつもの笑顔を見せた。照れくさそうにしていた。オレも顔が赤くなる。耳まで赤くなってしまった。

「ありがとう。私、思い残すことはない。じゃあね、会えてよかった」

 そうして、真衣の体は消えていった。天に昇ってしまった。まるで風のようにすーっとあっという間に過ぎ去ってしまった。

 オレは真衣がいた場所をじっと見つめていた。そして、ゆっくりと顔を上げた。

「ありがとう……か。それはこっちのセリフだよ。真衣……ありがとう。……オレも、生きている間に……会いたかったよ……」

 オレはいなくなった真衣恋人に別れをつげる。

 そして……オレは、姿を消した。




 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

日常の中に潜む非日常を望む僕らの夢のような何か 春夏秋冬 @H-HAL

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ