街灯の光が流れる川
つくも せんぺい
かぐやは月に居る
月の欠片を拾った夜。
俺は
川に居るには暗い時間。川に入るには寒い季節。
街灯に照らされた水面は、さっきまではとても静かに夜を過ごしていたことだろう。
そんな中バシャバシャと音を立て、乱した水面でもかき消されない光を見つけては、俺はその光源を拾い集めていた。
疑いようがない不審者である。
いい大人が深夜の川遊び。お巡りさんが通りかかれば職質一直線の行動だ。
だが、俺にも理由がある。
「昨日落とした涙を探しているの」
そう頼まれたからだ。
……理由を告げたとて、疑いようのない不審者である。
アルコールも入ってないし、もちろん違法なモノでキマッてもいない。
いいわけのしようもない
酔っ払ってた方がマシだった。
拾い物はついさっきの話だ。
ボーリング球位の、発泡スチロール並みに軽い塊。
バイトの帰り道、街灯の下で光を反射していた。
そんな欠片の上にちょこんと腰かけた、手のひらサイズの女性が依頼主だ。
彼女の言葉の響きで、探しているではなく、探してほしいであることはすぐに分かった。断られるなんて少しも思っていない。 彼女はあいさつするように頼みごとをした。
名乗った名前はかぐや。
昔話と同一人物なら気になる年齢だが、二十代にも四十代にも見えた。
服装は、バイト先の女性が着ている流行り物とほとんど変わらない。
気になることも聞きたいことも山ほどあったが、とりあえず彼女の話を聞きながら、昨夜涙を落としたらしい近くの川にたどり着いてどの辺かを問うと、
「あの川で光っているの全部よ。涙が一粒なわけないじゃない」
そう聞いた時には、欠片ごと投げ捨てようかと思った。
けど、深夜に拾った荒唐無稽な幻想に、俺は少しばかりは浮かれていたのだろう。
いま、川をさらうこの時間が楽しいとも感じている。
もっとも、小さいかぐやの更に小さい目が赤く腫れていることに気づいて、張り切っているだけなのかも知れない。
自分でも不思議な心地だった。
涙はビー玉よりも小さい、光る不揃いの粒で、拾うたびにかぐやに吸い込まれていく。戻った分の重さがもどっていき、またかぐやは月に落ちていくらしい。
いまでは欠片ごと中空をただよっている。
拾った涙を、「水に囚われていたのね」という彼女の言葉は、意味不明だがすとんと腑に落ちた。
「なんで私を拾ったの?」
そう問われたのは、涙をほとんど拾い終え、川が暗くなってきた頃。
会話はほとんどがかぐやの愚痴や身の上話だったから、こちらに問いかけがあったのは初めてだった。
かぐや曰く、涙を流して月から浮かび上がり、こちらに来た。涙の重さで月に落ちるらしい。
曰く、昔話のかぐやと同一人物らしい。こちらとは時間の流れが違い、まだ自分はおばさんじゃないと念を押された。
曰く、月からも地球を見上げて観察している。住人は表面ではなく中に居るらしい。
曰く、空気なんて不便なものに依存するから、地球の生物は短命らしい。
たくさんの向こうの常識を語るかぐやの話は、幻想的で魅力的だ。
語りも上手く、年の功だと口を滑らせてしまいしばらく呪詛を聞かされた。なんでも、重くなる呪いらしい。体重が増えるなら、ハードワークの俺には願ってもないと笑うと悔しがっていた。
その反応はバイト先のおばちゃんや学生と変わらない。
「そのボーリング球のようなデカい石が光っていたからな」
そんなかぐやから俺への質問は初めてで、そろそろお別れということなのかもしれない。隠すこともなかったので正直に話す。
「なにそれ。でも……あなたは私の話を聞いてくれるのね」
「聞いてくれるのね?」
「そう。以前ここに来たときは散々だったから。帰りたいって言っても帰してくれなかった。しかも美談のような物語に仕立て上げて……」
「それ、俺が知ってる昔話なら数百年は前なんだが? それに、お前は小さいから逃げ出せたんじゃないのか?」
昔話のかぐやは、竹で生まれこそしたが俺たちと同じサイズだったように思えるが、いま月の欠片に乗っている彼女は手のひらサイズだ。
そう疑問を口にすると、彼女はつまらなそうに嘆息し、大きくなった。水面の上に立つような形で浮いたまま、欠片の大きさは変わらなかった。
目元は腫れたままだが、憂いを帯びた表情に吸い込まれそうになる。
存在が自分の現実に近づくだけで、彼女の引力の強さを思い知る。
これなら確かに帰すのが惜しくもなるし、求婚もされるんだろう。
「時間の流れの話はさっきしたわね。あなたが想像する以上にちゃんと進歩もあるのよ」
「よく分かった、戻ってくれていいぞ」
「そう?」
無理矢理川に視線を戻し、かぐやのサイズが小さくなることを確認し安堵する。
「まぁ、あなたが言う昔話のことがあって、こっちには来たくなかったわ。でも……」
言葉を濁すかぐやは、少し寂しそうにも見える。
現代だって亭主関白やハラスメントなんて言葉もあるから、彼女が来た時代と男は大して変わらないんじゃないかと思うが、軽口を拒む雰囲気があった。
「何か泣くようなことがあったから、こっちに来てしまったんだろ? もう、大丈夫なのか?」
落ちてくるほど泣き、目を腫らしたことがどれほどの事情だったのかなんて俺に分かるはずがない。そんな俺が掛けられる言葉は、薄く軽い。
そのことを誤魔化すようにバシャンと水面に強く波紋を立てると、街灯の光が乱れてほんの一瞬川が真っ暗になる。どうやらさっき拾った涙で、最後の一粒が彼女に戻ったようだ。
「……もう大丈夫。泣いたからね、あなたとも話せたし」
「そうか。なら、冷たい川に足を突っ込んだ甲斐があったよ」
「寒かったでしょう? ごめんなさい」
「謝られるのは嫌いだな」
「……ありがとう」
大丈夫の言葉に安堵しつつ、言わせるように仕向けた礼を含めると、川に足を突っ込んだとはいえ、一夜の幻想の対価としてはこちらが貰いすぎと思っていることは黙っていることにした。
「でもあなた、気づいてくれたのは助かったけど、下ばかり向いて歩いたらいけないわよ」
「上なんか見ても灯りで星も見えないし、何もないだろう」
「月には私がいるじゃない」
「初耳ですねー」
「ふふ、でも本当よ?」
「……そうだな」
出会いも突然だったが、別れもあっさりしたもので、かぐやはそのまま昇っていくのではなく、月の光に似た粒子に変わり消えた。
またね、とはお互い言わなかった。
川の流れる音だけが残っている。
夜空は街灯の灯りで星は見えない。
けれど確かに、くっきりと大きく丸い月が光っていて、しばらくぼんやりと眺めていた。
――下ばかり向いて歩いたらいけない。
――月には私がいるじゃない。
さっき聞いたはずなのに、随分と遠く昔のことに感じられるのは、月が遠いからなのか。川に入ったままで冷えたことでくしゃみをし、一人幻想から出て帰路についた。
もし俺が明日風邪をひいたなら、彼女は申し訳なく思うのか、おかしく笑ってくれるのか。例えば笑い泣きででも、また再会を期待している自分に苦笑した。
街灯の光が流れる川 つくも せんぺい @tukumo-senpei
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