巻の六 宴の前に
「これが帝国で今稼働している艦艇一覧だ」
差し出されたタブレットに映し出されたリストを見て、シャーガン・リングラムドが息を吐く。
「次はどこに派遣されるんだ、俺の隊は。激戦区から戻ってきてすぐにこれか」
「まあそう言うな。楽な仕事にしてやる」
レジスタンスにも歴然とした階級制度のようなものがある。一体何から何を解放するのが使命なのか、と、椅子から立ち上がろうともしない上官を見て、タブレットを受け取りながらシャーガンが溜息を押し殺す。
「このリストを見ろ。上から三番目だ。AL-03」
「三番目?……こんな古い艦がまだ現役なのか帝国は」
「とっくに廃艦になっていたと思ったがな。アナベル・リー号だ。俺も駆け出しの頃に戦ったことがある。むやみに硬くて苦労したな。『身持ちの堅い女』『呪われた船』などと呼んでいたっけな」
「その艦がどうしたんだ」
「未だに現役でどこぞの辺境の星を支配しているらしい。今のお上の連中が若かりし頃に散々やりあった船だからな、色々思うところがあるんだろう」
「幽霊船を落としてこいと」
「お前達の部隊なら片手間で出来るだろう。小さいがれっきとした中級ヒューマノイドの文明星だ。通貨も共用語も使えない未開の星だが、資源がある可能性もある。補給基地に出来るかもしれない」
「成程。だがこっちは西域の激戦地帰りだ。準備する時間はそれなりに貰うぞ」
「まあいいだろう」
「準備が整い次第、出立する」
帝国とレジスタンスの交戦地区にも地域差がある。銀河帝国も中枢部は一枚岩ではないらしい、という話も聞こえてきている。そんな中、辺境の小さな星に送られている古い艦、アナベル・リー号。
(つまり、宇宙戦艦の余生ってやつか)
タブレットを受け取り、戦いの血と泥がまだこびりついているブーツの踵を鳴らして敬礼し、シャーガンは司令のいる部屋を後にする。
(惑星909985……通貨も言語も通じない未開の星か。連中はそんな星で何をしているんだ)
資源が豊富なのか、それとも、古びた戦艦に相応しい何もない星なのか。
老いた軍人達が思い出深い艦で休暇を取っているだけかもしれない。もしくは、小さな星を占領して好き放題に搾取しているのかもしれない。つまり、行ってみなければ何もわからない。
レジスタンス軍に傭兵として身を置いて二十年。傭兵部隊というのは時にこういった『片手間のおつかい』みたいなこともやらされるのが常だった。
「どうせやり合うなら、骨のあるやつがいい」
思わずそう呟きながら、シャーガンはレジスタンス軍の旗艦の廊下を後にした。
*
帝国の首都本星から送られてくるニュースをモニターでぼんやり見ながら、朝一番の飲み物を摂りつつのんびりと着替える。
昔取った杵柄なのか、中枢部の政治状況とレジスタンス軍との戦況には必ず隅々まで目を通してしまう。そんなガードナー艦長が、穏やかに晴れる窓の外の青さにふと視線を投げて、息を吐いた。
(………こちらの宙域に動きはない、か)
歴戦の艦であっても稼働してから八十年はとうに過ぎている。消耗の激しい宇宙戦艦の中でも頑強に作られただけあってアナベル・リー号は長命だった。
(軍の力も、昔ほどではない。銀河帝国も求心力が弱まっておる)
首都の星を挟んで反対側である西側、すなわち西域の方は相変わらず激戦地らしい。
(もはや倦んでいるものも多い。帝室の威光も昔ほどではない。ふむ、これぞまさに『斜陽』というやつかな)
艦とクルーの安全を考えると、このような穏やかな星の辺境でのんびりすごしているのが一番ではあったが、それでもリーダーである自分には警戒を怠らず、未来を見据える目が必要である。
(レジスタンス軍曰く、帝国を解体して星々にあった統治を、か。………まあ、望む望まないに関わらずいずれはそうなることだろうが、あちらさんもやり方が荒っぽくていけない。昔の帝国のやり方を見ているようだ、皮肉にもな)
着替えを終えて朝食を摂りに艦長室を出る。廊下で隣室のヘレネ副艦長と落ち合って朝の挨拶をし、朝食ブースへ向かうと、既にアレックスが朝食のパッケージを抱えて立っていた。
「おはようアレックス」
「おはようございます、サー。折り入ってご相談が」
「おや、どうかしたのかね」
「実は……」
アレックスが、いつもの文を差し出して言った。淡く黄色い、上品な色合いの紙にさらりさらりと流れるような文字で何かが書き綴ってある。
「宴、つまり、その……どうやら、女王陛下主催の、何でも、『月』を見るパーティー……らしきものがあるようで」
「なんと。もしや」
「来ないか、と書かれています。これが同送されてきました」
アレックスが、手にしていた扇を慣れない手つきでゆっくりと開く。一幅の絵巻のようにうつくしい金色の月を見て、思わず隣のヘレネ副艦長までもが嘆息を漏らす。
「『月』じゃな。何とうつくしい。この星にも金色の塗料があるようじゃなあ」
思えば、アナベル・リー号とこの星の王宮の交流のきっかけが生まれたのも『月』だった。
「サー、国家元首のパーティーですから、その……こちらも、最高責任者を伴っていくべきだと、思いまして……」
「正しい判断だよ、アレックス。ほら、この金の糸の房は明らかにとても高級なものだ。女王陛下直々に賜ったものかもしれない」
一晩かけて手紙を解読していたらしく、眠さと疲労で少しばかり丸くなっていたアレックスの背筋が慌てたように伸びる。
「やはりそうでしたか。自分だけで勝手に行っていいものではない、と思いまして」
「そうじゃなあ。しかし、手土産もなしで、国の元首が執り行うパーティーに行くのはのう」
二人が思わず同時に眉間に皺を寄せて考え込む。
「『月』を見る、ということはあれかね、一番満ちている時じゃろうなあ」
ヘレネ副艦長がポケットの中から小型端末を取り出して、指先で操作しながら答える。
「満ちるまではあと五日です。手土産なら厨房と整備班に掛け合ってみましょうか」
「うむ、頼むよ」
「かしこまりました」
足早に踵を返すヘレネ副艦長を見送って艦長がアレックスに問いかける。
「この星のマナーはよくわからないが、大丈夫かのう」
アレックスが正直に答える。
「率直に申し上げると、あまり……大丈夫じゃないかもしれません」
艦長が笑う。
「しかし、わしも一度は出向かねばと思っていたところじゃよ。やっと正式に挨拶が出来る。通訳を頼むよ」
「この星の言葉は……まだ少ししか出来ませんが、精一杯務めさせていただきます、サー」
「服はどうしたものかな。アレックス、礼服は?」
「パイロットスーツ以外には……」
「帝国本部から取り寄せても間に合わないしのう」
飲み物のパックを手にやってきたハドソン整備班長が言った。
「今しがたそこにいた副艦長から話は聞きましたぜ。古いオルゴールのようなものでよければ準備できます。電源がなくて誰でも鳴らせるなら、あれが一番でさあ。まだガキだった時分にひいばあちゃんが持ってたのを解体して直してやったことがあるんで、ちょっとしたのなら、この船の設備でも作れるんで、任せてくれますかね」
「ほう、オルゴールか。実に懐かしいのう。あれなら電気も必要ない。良いアイデアだ」
「うちの星では工作をやるガキは必ず最初に一度は作るんですよ」
「ああ、それと、気球型昇降機はまだあったかね。あれで降りようと思うんじゃが」
「アイ、サー。整備しておきますぜ。で、アレックス君も何か恋文に入り用のものがあったら何でも俺らのところに言いに来いよ? どうやら望遠鏡の評判が良かったようで何よりだ」
「こ、恋文!?」
人生において自分とは無縁であったはずの言葉を突然耳にして、アレックスは喉の奥から変な声を出してしまう。
「いや、その、恋文ってその……ラブレターのことでしょうか。手紙は書いていますが、そういったものでは……まだ、顔も知らない相手なので、その……」
耳まで赤くなってどもるアレックスに、
「若いってのはいいねえ。下の王宮は美女揃いって噂もあるしなあ。今度は例のドローンにもっと高解像度の小型撮影機と通信機器を積んでやるよ」
ハドソン整備班長が豪快に笑って背中を叩く。ヘレネ副艦長が戻ってきて、そんな様子をくすくすと笑いをこぼしながら見やり、
「厨房の皆に話をつけてきました。美味しい焼き菓子とフルーツを用意してくれるそうです。フルーツはドライフルーツにして瓶に詰めてくれる、と」
いつもの柔らかな口調で報告してくれる。
「美味そうだな、そいつぁ」
「今度頼んでみればいかがかしら。調理機器が古くて難儀してるそうですよ」
「良いことを聞いた。これも全部アレックス君の恋文のおかげだぁな」
この若いパイロットの手紙が、少しずつ己の古い艦を彩っていく。喜びに満ちた日々が生み出される幸せを噛み締めるように、ガードナー艦長が目を閉じて満足げに息を吐き出す。
「色々直してやってくれるかね?」
「任せてくださいよ艦長。この艦は古くて毎日あちこちメンテナンスが要るが、その合間に厨房やドローンの改良をするくらい、うちの班では朝飯前ってもんです」
*
「『荒草の君』が宴に?」
「来るかもしれない、ということよ。まだ、わからないけれど」
首を傾げる歳助に
「月見の宴よ。主上はあの金の遠見筒をとてもお気に召されたの」
實奈子が少し自慢げに答える。
「ああ、なるほど……って、でも、星の民がこの王宮に来たことってありましたっけ姉上」
「いいえ。だから、わたくしも不安で……」
「礼儀作法をわきまえてりゃあいいんですが」
「きっと、しきたりも何もかもが違う人達よ。だから、多少のことは、しょうがないんじゃないかしら。けれど、彼らは月のうつくしさを理解している、と主上はお考えなの」
「そうかなあ。ああ、でも、そうじゃないとあの船を動かしたりはしないよなあ。『荒草の君』だって、綺麗な絵巻や布や貝殻を贈ってくるし……」
ついこの間までは『まるで得体の知れない連中』だったはずなのになあ、と歳助は思わず空を仰ぐ。黒々とした『星の民の船』は、王宮の真上から少しずれた位置を相変わらず今日も静かに漂っている。
「そうよ。いつだって、不思議で、素敵なものばかり」
恋文などそれこそ星の数ほど受け取っているはずの姉が、何故か一番拙い文に心を寄せている様は、やはり歳助には何とも解せなかった。
「ってことは、『荒草の君』に会えるのかな。もっと良い紙を使えって一度言ってやりたいところだけれど……」
「宴でお目にかかれたら、本当に嬉しいことね。けれど……」
女王付の女房にとって、宴とは仕事の場でもある。
「遠目でも、ほんの一時でも良いの」
どんなにそれを心得ていても、思わず心の奥底からは本音がぽつりと漏れて出る。
「不思議ね。今まで、こんな気持ちになったことはなかったわ」
そういう気持ちは世間では何と呼ばれているか、女王の祐筆たる姉も、文使いの自分もよく知っているはずだが、敢えて今はまだ口にしないでいるのだ、と歳助は心の中で判断しつつ、聞いた。
「会ってみたいんでしょう姉上?」
「そうね……ああ、でも、わたくしったら、仕事をおろそかにするわけにはいかないわ」
珍しく悩み顔のまま、いつものように文机に片方の肘をついて溜息を漏らす姉に歳助は言う。
「……できる限り、努力はしてみますよ。なんかこう、どうしていいか、わからないけど。僕だって『荒草の君』を一度見てみたいわけですし」
「まあ本当? ああ、ああ、嬉しいわ歳助!」
「なんとか文の言伝でも出来ればいいんですが」
「それならわたくし、何とかして文を書くわ。もしも渡せたら、でいいの。だから、そう……もしものための手紙よ。紙を持ってないみたいだから、すぐに返事が返ってくることは、ないと思うのだけれど……」
*
補給船シュトルムに乗って、いつものように海へ向かう。
(恋文、か……)
恋よりも、何よりも、自分には知りたいことが山のようにあるはずだ。それに、文をやりとりしている『ミナ』という女性の顔も姿も知らないのだ。更には、上官以外の女性とのやりとりなど、アレックスにとっては未知の領域だった。
(……でも、一体、『ミナ』はどんな人なのだろうな)
一緒に空を眺めて、宇宙を翔るかささぎを探してみたい、などというまるで要領を得ない手紙を熱意のままに書き送ってしまった。
王宮にいる女性達はいつも、扇で顔を隠しているか布製のうつくしい不思議なカーテンの後ろに隠れていることが多い。ミナもまたそうなのだろうか。
補給船シュトルムを自動運転に切り替えて、胸ポケットに差していたうつくしい扇を開く。金色の『月』が優美に描かれている、金色の房のついた扇。貴重なものなのだろう。
海上ではなく砂浜にシュトルムを着地させて、アレックスは操縦席から外に出る。
「……花だ」
浜辺にピンク色の花が咲いている。潮風に吹かれて揺らぐ花は、まるで自分の心持ちのようだ。
(心の友の方が、いい。……恋は、よくわからない)
人気のない砂浜に咲く花々を前に、アレックスは思わず砂の上に座り込む。
(宴……つまり、女王陛下のパーティーに、参列するなんて。俺は、きちんと振る舞えるだろうか)
学校に通ったことも、パーティーに誘ってくれる友人がいたこともない。
(思えば、孤独な人生だったな。別に、悪いわけじゃなかったはずだ。でも、こういう時には、困るものなんだな……)
こんな自分をパーティーに誘ってくれた『ミナ』や女王陛下に恥じることない振る舞いは、出来るだろうか。いつものプロフェッサーの授業を思い出す。
《相手の文化をよく知り、観察する機会を逃さないように。そして、相手の文化に敬意を忘れることのないように。言語というコミュニケーションが使えない場面に遭遇しようと、言語というのは表情や仕草で代替の効くコミュニケーションである》
女王陛下のパーティーに招かれたと知ったらプロフェッサーもびっくりするだろうか。よく観察し、後日レポートも提出しよう。小型のカメラを服のどこかに装着していきたいが、流石にそれは失礼にあたる気もする。ここは自分の目と頭でよく観察し、記録にも残せるようにせねばならない。
そして、厨房や整備班が用意してくれる贈り物を、きちんと女王陛下に手渡したい。そして、
(……『ミナ』には、逢えるだろうか)
どうやら『女王陛下の筆』、つまり『書記官』の様な何かを務めているらしい自分の文通相手に、一度会ってみたいと思うのは、自然なことなのだろうか。思わず砂浜で揺れている花に、アレックスは静かに手を伸ばす。
「逢えるのなら、で、いい」
胸ポケットに畳んで入れてあった、まだ何も書かれていないレポート用紙を取り出して広げると、花を一輪つんで、挟み込む。自分のしていることがよくわからなくなり、思わず砂浜にそのまま仰向けに寝転がった。
(……俺は、何をしているんだろう)
今朝方言われたばかりの『恋文』と言う言葉が、再度頭をよぎっていく。波の音が耳を優しく撫でて、見上げた青い昼の空と海を、白い鳥達が舞うように鮮やかに渡っていった。
「かささぎ、か」
青空の下、海を舞う白い鳥を見つけるよりも、黒い鳥を黒い夜空の中で見つけるほうがきっととても難しいことだが、今の自分の気持ちに名前をつけるほうが、もしかしたら更に難しいのではないか。砂浜に横たわるアレックスの耳元で、さざめきながら微笑むように花々が揺れた。
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