巻の二 ものづくし

 いつもより早い時間に起きて、アレックスはいつもと変わらないパイロットスーツを着込みながら己の兵站補給船シュトルムに乗り込んで、操縦席のメインモニターを点灯し、軍用タブレットと接続する。


『惑星研究プログラム』


 いわゆる通信講座、というものである。数多の選択肢の中から『言語』を選び取り、緊張の面持ちで『受講開始』を選択する。

『おや、今日はまたずいぶん遠くからの受講生がいるねえ。所属は船体コードAL03……03? 船体コード二桁台の艦がまだ現役だとはびっくりだ』

『おや、新入りがいるのかい?』

『AX203492……兵士コードじゃあないか』

『占領先で必要になったのだろう。我らが帝国のために学ぶその心持ちは賞賛に値する』

『ただの兵士が言語学を? 戦闘訓練プログラムと間違えて入ってきたのかな』

 なんとも言えない笑い声が上がる。アレックスが思わず目を瞬かせ、画面の向こうにいるであろう数多の聴講生達のボイスを、一体どんな心持ちで聴くべきか考えながらゴーグルのマイクを入れる。

『AX203492、アレックス・アレキサンダー、辺境任務遂行中のアナベル・リー号所属パイロットであります。この度講義の末席に加えていただくこととなりました。宜しく』

 それだけ言うとさっと音声入力をオフにして、プログラムにあった、教授の音声だけが聞こえてくる『傾聴モード』をオンにする。

 仲間が出来れば勉強も捗るだろうか、と思っていたが、どうもそうは簡単にはいかないらしい。時間だけは山のようにあるので焦らなくても良い、という艦長の言葉を思い出す。そして、


『占領先』


 その短い単語になんとも言えない、今までは考えたことすらなかった引っかかりを覚える。アナベル・リー号たった一艦で見張るだけのうつくしい星。心がすっかり占領されているのはこちらだというのに。

 そして考える。戦闘訓練プログラムしか受けていないただのパイロットが、どうしてこうもこの星に心引かれるのだろう。自分と同じ境遇の戦闘員はこの銀河帝国ではそれこそ星の数ほどいるが、自分のように『占領先』に心を寄せる者はいるのだろうか。

 操縦席の横に、保存処理されてうつくしく咲く花の枝と、レポート用紙、そして古いペンが置いてあった。

(帝国の物資購買センターに、紙はあるだろうか)

 そんなことを考えていると、白く長い髪に長命人種らしい細長い耳、大きな瞳が額にもうひとつある三つ目の長命種ヒューマノイドの壮年の男が映る。


『明け方の星の者も、真夜中の星の者も、おはよう。そして言語の世界へようこそ諸君』


 機械越しでも伝わる朗々と通る、長命種独特の言い回しと声音。

『まずはシラバスを転送する。よく目を通しておくように』

 電子音と共に学習スケジュールと思しきタスクがタブレットに転送されてくる。

『そして新しい聴講生もいるようだ。辺境の星からようこそ。わからないことがあったらいつでもメッセージを送ってきて宜しい。私の名前はサミュエル・ヴァニー・エレクシュトリーム。「プロフェッサー」とでも呼んでくれたまえ。皆、励むように』

 うつくしい発音の銀河共用語と共に転送されてくるアドレスをタブレットに登録しながら、ふと手元にあった枝に目をやった。

(あの手紙の送り主は、どんな人なのだろう)

 見も知らぬ相手へのメッセージに本物の花を添える。それだけで手紙に色々な意味を持たせてくれる。それはとても不思議かつ神秘的な行為ではあるが、理にかなっているのか、いないのか、自分にはさっぱりわからない。手紙の内容をきちんと理解できたら、そしてきちんと受け止め、返事を出すことができたら。

 そんなことをつらつらと考えていると、画面が切り替わり、見たこともない機器が数多詰まったトランクケースが映る。

『優秀な者には最近利用が認められたばかりの「惑星文明研究用キット」の贈与が認められている。私も開発に携わったこの思念波受診AIゴーグルはまだ貴重なものだ。ヒューマノイド同士であれば概ねの意思疎通と会話が可能である』

 思わずアレックスが操縦席の椅子から大きく身を乗り出す。まるでそんな自分を見通したかのように、画面越しにプロフェッサーが言った。

『……惑星研究には、動機とモチベーションが大事だ。各々方がどのような理由でこの講義を受講したのか、是非とも聞かせて貰えると嬉しいのだがね』


*


 小鳥が庭の枝を揺らし、微かに花が散る。女王の住まうこの王宮で一番広い部屋の一室からも、實奈子の寝起きする一室からも見える小さな中庭に、柔らかい朝の光が差し込んでくる。

 己のうつくしい主と同じ庭を共有しているというささやかな喜び。王宮の従僕には特に注意して掃除するように言い聞かせている。

 そんな庭の木に咲き誇る白い花の香りを微かに感じながら、『この王宮でも一番うつくしい』と評判の文字で、


『荒草の君へ』


 びっくりするほど精緻に『描かれている』四角いうつくしい絵巻の数々を、飽きもせずに何度も何度も眺めながら、筆を静かに、そして滑らかに動かす。

 星の民は一体、どんなところから来たのだろう。星の向こうに人が住むらしいと言う言い伝えは古くから存在していたが、あの星の船がやってきた数年前までは、それはただのおとぎ話にすぎないと思われていたのである。

 何度も何度も、緻密でうつくしい四角い絵巻のようなものと、それと反比例するような拙い紙と文字を見比べる。このあまりにもちぐはぐな感覚は何なのだろう。

 ベテランの文使いでもある歳助と昨夜話し合ったことを思い出す。

「年齢はわかりませんが、『荒草の君』は女性ではないことは確かですね。女性だったらもっとマシな紙を使うでしょう。星の民がうつくしい紙をもってるか、そんなことは知りませんが」

「この絵巻のような何かはおそらく子どものものでもないわ。この文字は子供のようにつたないけれど。……もしかしたら、星の民は、この宮の文字が、あまり書けないのでは」

「手習いの草紙でも送ってやったらどうです」

「失礼じゃないかしら」

「じゃあ姉上が教えるしかないですね、文越しに」

「そんなこと、できるかしら……」


『この山の火は、山の神にささげる灯火。

毎晩欠かすことなく灯す、うつくしく神聖なもの』


 可能な限り易しい言葉で綴りながらも、相手が「子どもではない」ことを頭の隅に置き留める。


『この田の米は、とても大事な実り。

秋になれば金色に実る。

ここうつくしの宮では、米の粒は金や絹と同じ』


 星の民があの船から時折降りてきているらしいが、市で何かを買っている形跡はないという。もしかしたら、絹や米を持っていないのだろうか。なんでも、川で水を汲んでいくという目撃談もあるらしいので、あの船には複数の人が住んでいるのだろう。

 無辜の民らから無理矢理奪っていかないだけでも十分である、と自分のうつくしい主が以前に溜息を漏らしていたことを思い出す。

 何枚もの小さな絵巻の端の余白に、ごく細い筆でこうして説明を書き加えていく。

(まるで『ものづくし』ね)

 何だか愉しい気持ちにもなり、實奈子は顔を上げた。そして、御簾の向こうの空に見える星の民の、鯨のような船の中にいるのであろう、『荒草の君』の人となりを考えながら、紙を文机から取り出し、硯に墨をする。墨の香りが心地よい。

 如何なる香の香りより、實奈子は墨を硯に擦った瞬間の香りが好きだった。


(いつか、そういうことも書いてみたいけれど……)


 明らかに筆ではない何かもっと細いもので書かれている文を見て、少し首を傾げて考え込む。


『星や月に近しいのは、とてもうらやましいこと。

星と星の間には、かささぎが飛ぶと言います。

宙に住まい、星にすむ人らを結びつけるとのこと』


 そして、


『あなたは 星の船から

かささぎを見たことはありますか』


 さらり、と、文末に書き添える。そして、机の引き出しの奥から一枚の黒い鳥の羽を取り出して、そっと折った文に挟む。歳助を呼ぶか一瞬迷うが、その前に自分のうつくしい主に事の次第を報告しよう、と實奈子は立ち上がり、部屋から静かに出ると、この王宮独特の長い廊下を衣の長い裾を曳きながら歩いていった。


*


 タブレットに送られてきた講義実施要綱や、大量の書籍のデータ、参考資料集を前に、学ぶという行為を自分からしたことがないアレックスが思わずアナベル・リー号の内部にある食堂ブースの一角でひとり呻き声を上げる。

「勉強、か」

 同じ講義を受講していたのはどんな人達だったのだろうか。ぱっとモニター越しで見た感じでは、星のひとつやふたつ所有しているタイプの帝国の有閑貴族のようにも見えた。

 きっと皆、きちんとした教育を受けて育ってきた者ばかりなのだろう。

 なんとなく、なんとも言えない気分になるが、まだ授業を受け始めて一日目である。つまらないことでくじけている場合でもないのだ、と自分で自分に言い聞かせていると、

「首尾はどうかね、アレックス?」

 トレイに朝食のパッケージを載せたガードナー艦長がのんびり歩いてきた。

「いえ、その、はじまったばかりで、自分にはなんとも……」

「ああいったプログラムの聴講ははじめてかね」

「はい。勉強の仕方もわからないのに、困ったものです」

 熱に浮かされるように受講を申し込んで、今こうして煩悶している。しかし、

「ですが、ヒューマノイド同士であればだいたい意思疎通が可能になるゴーグルが、優秀な者には与えられるそうです」

「ほう」

 艦長が片方の眉をちょっと上げて、何やら考え込む。

「それはこの星の一切を任されている我が艦にとっても朗報じゃな。何せこの星の民とは話す手段がない。わしが着任した時は男の長だったが、ちょうど去年亡くなったらしくてのう。言葉が通じなければ、それこそ弔辞も出せぬ始末じゃよ」

「誰かを王宮に派遣したことは?」

「数年前までは何度か試みたがね。しかし言葉もなければ機械もない。共通貨幣も通用しない。幾人か派遣したが、皆が音を上げて帰ってきたよ。結局、今では飲料水を確保するだけに留まっているのだがね」

「そうですか……」

「あの時のスタッフは皆、おぬしの着任と入れ違いで帝国に皆帰還していったよ。その時のほんの僅かながらの成果が、おぬしの『手紙』でやっと実ったのじゃがなあ………」

 最新鋭のゴーグルで僅かながらこの星の言葉が解読できたのは、前任者がいた名残らしい。帝国内データベースに僅かに残る資料で読み解いた手紙。そして自分が熱に浮かされるように出したあの手紙。返事は来るのだろうか。

 そんなことを考えながらアレックスは聞く。

「地上に降りたことが?」

「わしは2度あるがね。水ついでに市で買い物をしたかったが、いまいち方法がわからずじまいでな。王宮の白い服の男達に取り囲まれて難儀したよ」

 思わず胸が高鳴る。そんなアレックスの顔を見て艦長が白い髭に手を当てて、言った。

「勉強もいいが、実践もせねばならぬな。新しい機材はこのアナベル・リー号にとっては喉から手が出るほど欲しいものだ。この星に価値を見出したおぬしなら、必ず使いこなせるようになる。そのためにも、そうじゃなあ……艦長の権限で、一日2時間程度の地上探査を許可しよう。現地の民や生活を害さないように細心の注意を払い、探査の成果は『惑星研究プログラム』にも提出することを条件に、じゃ」

「2時間、ですか」

「勉学というのは大体、実習よりもレポートを作成する方に時間がかかるからのう。それに、兵站の仕事もしてもらわねばならぬからな。それと気象観測用ドローンじゃが、あれはおぬしに貸そう。文を届けるのに使うと良い」

「ありがとうございます。ああ、そうだ。あれにカメラを搭載しても?」

「もちろんじゃよ。地上の皆をあまり驚かせぬようにな」

 艦長が笑う。

「実はわしの故郷も帝国に接収された星でなあ。今はもう昔の面影もない。地平線に落ちる衛星の思い出以外、すべてが変わってしまったよ」

 艦長がこの星の支配や統治に興味をあまり示さない理由が何となくわかって、アレックスが言葉を探す。

「……自分は、自分の故郷を覚えていません。親の顔も。帝国のオフィサーに拾われて、戦闘員として訓練されただけの人間に、今更勉強など、出来るでしょうか」

「おぬしの本質は、心優しく、好奇心に満ちた少年そのものだと見ておるよ。わからないことがあったら、わしにもクルーにも聞きなさい。ヘレネ副艦長あたりは教育者プログラムも受講していたはず。きっと手助けしてくれるだろう」


*


 サミュエル・ヴァニー・エレクシュトリーム、通称『プロフェッサー』はいつものように自室まで朝食を運ばせながら、手元のモニターで聴講者名簿に目を通す。一人だけ、普段の講義ではあまり見られないタイプの青年が混じっていた。

(アレックス・アレキサンダー、AX203492。……帝国の戦闘員がこの講座を取るなんて、珍しいことがあるものだ。まだ若いが、随分古い艦に着任している。辺境警備だろうか)

 辺境警備の最中に惑星研究プログラムを受講する理由と言えば、だいたいは察しが付いた。

(自分達の占領地のことを知りたくなったのか、あるいは上官命令か、どちらかだ。まあ、好奇心旺盛で大いに結構)

 来歴を見ると、出星地も学歴もほとんどが空白である。しかしながら暇を持て余すだけの帝国有閑貴族にいつも通りの講義をするよりは幾分か楽しめそうだ。思わず額の三つ目の目がうずく。

(……占領地、いや、違うな。『知りたくなった』時点で、もう『占領者』ではいられなくなってしまっているのだろう。面白いことだ)

 大きなブラックホールのように、征く先々の星を占拠しては大きくなっていくこの銀河帝国。そんな帝国の首都星の片隅にある館の一室が、この『プロフェッサー』のラボだった。窓の外には様々な形の無機質な高層の建築物が森のように建ち並び、色とりどりの艦艇が、建物の合間合間を縫うように設置されている透明なチューブ状の巨大シューターの中を行き来している。鳥一羽飛ばぬ灰色の空を眺め、プロフェッサーは思わず息を吐く。

「辺境、か」

 立ち上がろうとすると、帝国内でも貴重な『木材』の敷かれた床がぎしり、と音を立てて鳴った。鉄製のこの重い義足を、軽い素材に変えて貰おうと発注したのはいつだったか。

 あまり動く必要のない職だったが、貴重な木材を傷めてしまうのは忍びない。苦労して己の故郷から運ばせたものなのだから。


*


 気象観測用ドローンに小型の撮影機を搭載し、先日も降ろした中庭へ飛ばす。

(……あの手紙の返事は来るだろうか)

 撮影機越しに、中庭の木に咲くうつくしい花が見える。あの手紙に添えてあった枝と同じものだろう。手紙には花を添えるのがこの星では普通のことなのだろうか、とアレックスは思わず花を眺めて沈思する。

 木の向こう側に、薄くうつくしい木と布で出来ているブラインドがかかった長い独特の廊下が見える。木というのは帝国首都では既に高価な素材になっているらしいが、この星はとにかく木が豊かであり、この王宮もまた、山や森という緑豊かな自然に囲まれている。

 占領艦と着任した艦長の方針次第ではあれらをあっという間に全て伐採し、本国に送っていた可能性すらあるのだ。思わずアレックスは胸をなでおろすように息を吐く。

 ブラインドがちらり、と揺れて、うつくしい布地で出来た服を身に纏った女性達がこちらを見上げ、口元を半円形のうつくしい意匠で彩られた『何か』で覆っている。ゴーグルで宇宙文明大辞典にアクセスし、それが「扇」と同じものである、と知って、アレックスは目を丸くする。

(あれも紙で出来ている。木で作られているものもあるな)

 帝国貴族が持っているのを目にしたことがあるが、素材から形までまるで違っている。もっと近くでよく見てみたいが、女性達はどうやらこの『不思議な飛行物体』を怖がっているらしい。取り合えず、木の根元にドローンをゆっくりと着地させる。

(また誰かが手紙を持ってきてくれるといいんだが……)

 白い服を着た男達が刃の付いた長い棒を手に駆け寄ってきて、遠巻きにドローンを眺めては顔を見合わせている。次からは音声の録音機も積んでみよう、などと考えていると、

(あれは……)

 男達の後ろから、一人の、自分より一回りほど年下に見える少年が駆けてくる。ひらひらと手に振っているのは、自分が撮影し出力したあの写真達だった。

(しめた、間違いない)

 気象観測用のアームを動かすと、少年もまた、おそるおそる近寄ってくる。そして、何かを口にしながら、手にしていた紙の束と写真をそっと少し離れた地面に置いた。アレックスもまた、アームでそれをそっとたぐり寄せる。

「……手紙だ」

 今度の手紙は船宛てではなく、写真を撮影し、数々の名前を問うた自分宛だろう。

 感謝を口にしたい。

 手紙というのは、貰うとこんなにも嬉しいものなのか。あの焼けるような『知りたい』という思いが、通じたのか。それだけでも舞い上がるような心地になる。

 思わずコンソールを操作する。垂直に飛びあがったドローンが、うつくしい木の枝へもう一本のアームを伸ばす。少し揺らすと、花びらが少年の上に舞い散った。

 感謝の気持ちは示せただろうか。

 びっくりした顔の少年が唖然とドローンを見つめ、そして舞い散る花の下で笑顔になった。

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