【完結】つづれ辺境のよしなしごとを〜うつくしの宮のかささぎ鳥

あきのな

巻の一 月

 水のように流れる線の集まりにも見える文字がしなやかに綴られたうつくしい色の紙に、うつくしい花の枝が添えられている不可思議な『紙の束』。

 それが、今や宇宙の半分を席巻しているとまで言われている銀河帝国ヴァンモーアの所属宇宙船アナベル・リー号の水分運搬用の小型艇に紛れ込んでいたのが発覚したのは三日前だった。クルーの飲用水などを確保するために月に二度は小型艇で地上に降りている間に、何者かが艇に近づいてオープン式の後部座席にそっと滑り込ませたらしい。

「………これは『手紙』じゃな。この辺境の星には一切の機械が存在しないらしい。銀河共用語も普及していない。最新の翻訳機があればなんとか解読できるじゃろうが……クルーの誰かが持っていればよいが」

 老朽艦に相応しい老艦長が、静かに手紙を開き、旧式のモニター越しにこの惑星909985を見つめる。その隣でタブレットに写した艦内の人員名簿を見つめながら副艦長が言った。

「今年入艦した新人に聞きましょう。新しい装備が支給されていたはずです」


 茶色く癖のある髪は銀河帝国のごく一般的なパイロットと同じく短く刈り上げられ、新品のゴーグルの奥で、特に何の変哲もない茶色い瞳が、困惑の色を湛えている。

 そもそも老朽艦とはいえ全てが既に電子化されているこの艦には紙がほとんど使われていなかった。中央の帝国に今から問い合わせてもいつ届くかわからない上に、『手紙』というものは「もらったら速やかに返事をしたためる」のが礼儀らしい。

 ゴーグルに映し出される宇宙文明大辞典のアーカイブを見つめて、アレックス・アレキサンダーは溜息をついた。そして目の前の思いもよらない任務に、自分に宛がわれ、格納庫に停めている兵站補給船のコクピット内で頭を抱える。

 銀河帝国の戦争孤児であり、アレックス・アレキサンダーというどこか投げやりな名前を与えられ、兵士養成プログラムで育った一兵卒である自分。

 孤児ゆえに正確な日数はわからないものの、おそらくは十八年から十九年ほどは生きてきているが、アレックスという名前より、AX203492と呼ばれる方が多い、そんな彩りの少ない人生を歩んできた。

 そんな彼が真新しい装備を与えられて派遣されたのは、数年前に接収したというこの辺境の小さな星である。

「真新しい装備を持った兵士がひとり来てくれるだけで、うちの艦は大助かりじゃよ」

 親切な老艦長ガードナーが、この兵站補給船を一隻、自分用に登録してくれた。流行の二足歩行式でも旧型の四足歩行式でもない『船』だが、自分にとっては初めて与えられた専用機であり、乗り心地も悪くない。

 しかし、アナベル・リー号の厨房で冷凍処理されてうつくしく咲いている花の枝の入ったケースを前に、

「手紙、か……」

 アレックスは思わず複雑な溜息を漏らす。通信でさえ日頃やりとりする相手もいない孤児である自分にとって、手紙などという旧時代の遺物は目にするのも初めてだった。

 それでも、優しい艦長とはいえ彼にとって上官の命令とは絶対的なものである。

 艦内を駆けずり回って、古い古い、何枚かは既に使用されている本国への報告用紙を発見する。齢七十を超えているこの艦長が新米だった頃には、こういったものがまだ使われていたらしく、艦長は黄色い紙のレポート用紙を見つめて懐かしげに目を細め、艦長室の古めかしい家具の引き出しの奥にしまってあるこれまた古めかしいペンの存在を思い出してくれた。

 さっそくその使われてない部分を切り取り、艦長から借りたペンを片手に、再度ゴーグルの翻訳機をオンにする。


『星の民へ』


 銀河帝国によると、接収した惑星の元首の都にある行政府の常に真上に旗艦が駐留することが義務付けられており、老朽艦とはいえ旗艦であるアナベル・リー号もまた例外ではなかった。首都とおぼしき場所の王宮の、雲ほどの高さの位置に静かに浮かんでいる。

 電気も機械もないこの惑星の民にも、自分達が空に数多輝く星よりも遥か彼方からやってきた、ということは知られているのだろう。それゆえにこの惑星の民は自分達のことを『星の人』と呼ぶのかもしれない。

 あまり使ったことがなかった想像力というものを精一杯フル稼働させて、アレックスは考え込む。そして思わず紙をもう一度手に取って、その何枚も重ねられた紙の色合いのうつくしさや冷凍処理された花の枝をまじまじと見つめる。


『このうつくしい 庭に咲く

この枝を 折って 捨てるも 自由

きっとたやすい ことなのでしょう』


 翻訳機というのは、心のうちや真意まで翻訳してはくれない。

 機械的にそっけなく映し出される文字と、紙に何やら特徴的な太いざらりとしたペンのようなもので丹念に綴られているうつくしい詩文のような文字の羅列との間に横たわる、なんとも居心地の悪い違和感を肌で感じながら、アレックスは大きく息を吐いた。


『けれど わたくしどもは 星の民よ

あなたがたが 花を愛する 心を持つことを

信じています

それならばせめて せめて

私たちにうつくしい ■ をかえしてほしい』


*


「……ああして空に浮かんで、すました顔をしているのが、まことに、まことに心にくきことこの上ないというもの」

 女王のおわす高御座の簾の下から差し出されたのは、庭に咲くうつくしい花の枝の一振りだった。簾の反対側にいる女房が、四季折々の花が鮮やかに描かれた檜扇を手に持ち深々と額づく。

「折るならば、折ればよい。そうつたえよ」

 腰よりも長い黒髪をひとつ束ねにした、年の頃は二十を少し超えた女房が困惑を隠し、問い返す。

「……つたえる? わたくしが?」

「吾のうつくしき筆よ。實奈子よ。吾が心に燃ゆる心憂し言の葉を、文にしたためておくれ」

 實奈子は主の手紙を代筆する『祐筆』とも呼ばれる女房だった。

「あの星の民は吾が宮を如何様にしたいのか……」

「確かに、ずっとあのように空に佇んでいるばかり。一体なにがしたいのやら……言葉もまるで通じぬという噂。使いの文など一通も来たことはござりません」

 この『うつくしの宮』を治める先王が急逝し、この若き女王が即位して数ヵ月。先王の頃に空の彼方から突如やってきたあの謎の『星の民の船』は、ずっとこの宮の王宮の真上に留まったままだった。

 特に何をするわけでもないが、宮に住まう民は日々心細げに空を見上げながら暮らしているという。

 得体の知れぬ巨大な化け物に見張られながら過ごすような心持ちは、實奈子とて同じようなものだった。女王もまた、うつくしい溜息をひとつ漏らしながら嘆く。

「吾は『月』を愛しておったが、あの星の民はそれすらも隠してしまった。哀しいことよ」


 己のうつくしい主の憂い顔を思い浮かべ、實奈子は文机に片肘を立てて静かに沈思する。

「どうかしたのですか姉上。朝からそんな気難しい顔をして」

 庭からやってきたのは王宮で文使いとして朝から晩までせっせと働く弟の歳助だった。事情を話すと、歳助は腕を組んで庭の置き石の上に座り込み、言った。

「あの『星の船』は時々小さい船で市に降りてくることもありますよ。米や絹の持ち合わせがないらしく、何も買い物はしませんが。そういえば東の市の外の川で水を汲んでいるのを見た、という噂も……」

「小さな船で?」

「もちろん、星の民が乗っているのを見た、という噂も聞きましたよ」

 文使いというのは世知に長けていて機転も利かねばならないという。好奇心旺盛で世話焼き気質な性分に合っているのか、新米の文使いの相談にもよく乗っている歳助は既にその界隈ではいっぱしに顔が利く存在になっていた。

「……歳助。お前はその星の船に、付け届けは出来て?」

「なんですって」

「主上がお望みです。わたくしに文を書いてあの星の者らに届けよと」

「こ、言葉は通じるのですか。あの星の民からの付け届けを承った文使いがいたという話は聞いたことが……」

 實奈子も大きく息を吐いて、だがどこか挑戦的な瞳で文机の引き出しを開け、祐筆という仕事柄、数多持ち合わせている種々様々な色の紙を取り出すと言った。

「試してみたいことがあるの」


*


「自分にはこの読めない部分が一体何なのか、皆目見当が付かないのです」

 次の日の朝、朝まであらゆるデータベースに手当たり次第当たるもめぼしい成果を得ることが出来なかったアレックスが、溜息と眠気を押し殺しながら艦長の前で背筋を伸ばす。

「……隣の無人星X10004892のことかもしれぬな。この惑星からだとよく見えるはずじゃが、この艦が空を覆っているので、それが見えないのが悲しい、という」

 艦長が、アレックスが手にしていたうつくしい紙をもう一度開く。銀の粉が漉き込まれた深い群青色の四角い紙の中央に、真っ黒な四角い紙と、丸く黄色い紙が挟まっていた。

「この黄色く丸い紙が無人星、黒く四角い紙がアナベル・リー号だとしよう。それが、こうして重ねられて送られてきた」

「……」

「わしの故郷の星にもうつくしい衛星があってな。子供の頃は毎晩衛星が地平線に沈むまで眺めていたものよ。もしかしてこの星の民も同じようなことをしていて、この艦がそれを邪魔しているのかもしれん」

「……まさか、それだけのことで?」

「手紙とはそういうものじゃよ。しかし、こうして、見も知らぬ相手にコミュニケーションを挑みに来るとは、なかなか、勇気が要ることじゃないかね」

 愉しげに輝くような艦長の瞳は、まるで少年のそれのようでもあった。

「しかし艦長、どうやってそれに返事を返せば良いんです?」

「明日の日暮れにはわかるじゃろうて」


*


 次の日の夕方、うつくしの宮の都の民が空を見上げて口々に騒ぎ出した。

「見ろ、『星の船』が動いている!」

「……月だ、月が見えるぞ!!」

 もう何年かの間、都の空を覆っていた『星の船』が、まるで空を泳ぐ鯨のように緩やかに動く。そしてその影から、黄色く丸い月が静かに顔を出す。

 都の歓声が女王の宮処まで届き、簾を掲げた實奈子が大きく息を吐いた。自分の文が通じたのだろうか。言の葉を伝える術があったことに、ひそかに安堵の息をつく。

 とにもかくにも、うつくしい主に久方ぶりに月を見せることができたのだから。


『花の枝 折らば折らなむ 星人よ……』


 送った文に書き綴った言葉の一節を、實奈子はふっと唇に乗せた。


『そもじに花を 愛ずる気あらば

宮へと月を かへしておくれ』


*


「帝国の規約では『旗艦は首都行政府およびそれに相応する場所の真上に駐留しなければならない』という決まりがあるでのう。しかし、ちょっと『ずらした』くらいで問題になるようなこともあるまいて」

 計算された座標がモニターに浮かんでいる。鷹揚に笑って見せながらこの老艦長が言った。

「人様の大事なものを隠してしまうのは無粋なことじゃあないか。そう思わないかね、アレックス?」

 モニターが切り替わり、今度は、遥か地上の人々が空にぽっかり浮かんでいる衛星を眺めて喜び合っている様子が映し出された。

「無粋……そういうものですか」

「わしは銀河中央政府の血の気の多い連中とは、昔から少々気が合わないようでな。おぬしも難儀な艦に派遣されたと思って諦めるといい。戦争は好きかね?」

 瞳の奥を覗き込まれて、思わずアレックスは言葉に詰まる。

「……自分は戦争に行くように教育されてきましたが、実際に行ってないので……なんともわかりかねます、サー」

「正直でよろしい。さて、いつもの補給の任務も頼むよ」


 惑星909985には資源が多い。しかしながら、この星に住んでいる民がそれらの資源を使っている様子はなかった。

 青い海に降り立ち、海底へ特殊な掘削ケーブルを伸ばして採掘し、アナベル・リー号の燃料にする。それがアレックスと兵站補給船の日々の仕事のひとつである。

 艦長が自分用に登録してくれたこの船に「シュトルム」という名前を付けたばかりだった。

 補給の帰りに、上空から見下ろす郊外では豆粒のような大きさに見える人々が、緑に区分けられたカーペットの様なうつくしい地帯を手入れしているのを眺め、王宮のある首都には、東西に立ち並んだ屋根のない市場を行きかう人々を眺める。それがいつものルーティーンだった。

 王宮の後ろには夜になると時々火が灯っている低く青い山々も見える。何かの儀式だろうか、とアナベル・リー号の皆は首を傾げていたが、上空遥から見える山の火は彼の目にもうつくしく見えた。

 本艦に戻る雲の上で見える隣の無人星X10004892の黄色く丸く輝く姿。そして、うつくしい紙と花の枝を送ってくる民がいる。

 辺境の星というのはこんなにも穏やかでうつくしいものなのか。

 兵士訓練で身に付いた辺境におけるレジスタンス制圧用戦闘プログラムでは、うつくしい星での穏やかな暮らしなど習うことはなかった。アレックスは不意に、船外に取り付けられている撮影機を起動する。

 何枚も、何枚も、心赴くままに撮影機を回す。

 そして操縦桿を再度握ると、雲の層を、そして成層圏を突き抜けて、ただただ静かに浮かぶ無人星X10004892を目前に、何枚も何枚も撮影機のシャッターを切った。


*


「何やら随分と撮影してきたものじゃな。いっそ、例の手紙の代わりにそれらを送ってみてはどうかね」

 帰投したアレックスの補給船を出迎えてくれたのはガードナー艦長だった。

「もっとも向こうには機械はないからのう。紙に出力できる機器はこの艦にあったかな。倉庫を漁ってみねばならん。写真もここ数年は出力して何かに使った試しはないが、数十年前までは時折使っておった記憶があるでな」

 艦長が愉しげに呟く。

「ありがとうございます、サー」

 何度も読み返したはずの手紙に、再度手を伸ばす。そして、翻訳機では読み取れなかった文字に、再度じっくりと目をこらす。やっとのことで、曲がりくねった線の中から一文字を見出すことができた。


『月』


 まだ翻訳機にない形の言葉だ。一体どう発音するのだろう。この星の民はあの無人の衛星X10004892のことを、読み取れなかったこの一文字で表現しているらしい。

 あの無人の星に、数字ではない名前がある。自分には、アレックス・アレキサンダーという平凡な名があるが、この『月』という名前は惑星909985の民にとってはよくなじみがあって大事な名前なのかもしれない。

 ここでは何にでも名前がある、という当たり前の事実。『月』という文字をスキャニングして『衛星をさす言葉』として翻訳機に登録する。自分がつけたわけではないのに、この誇らしいような気持ちはなんだろうか。


 心の扉が開く、見知らぬ感覚。


 思わずペンを取り、慣れない手つきで文字を書き綴る。文字を縦に書くことなど生まれてはじめてだったが、翻訳機のAIによって導き出されたゴーグルに映し出された通りの形に、レポート用紙の位置を何度もずらしながら、アレックスは不慣れな姿勢と手つきで、文字を紙に書き綴る。


『わたし の なまえ は あれっくす・あれきさんだー。AX203492』


 知りたい。自分は知ってみたい。何故かはわからないが、ただただ知りたい。一体ここはどんな星で、どんな『名前』なのだろう。

 夜になると輝く山の灯火、東と西に分かたれた市場、うつくしい紙と枝を送って寄越す不思議な王宮、その全てに、そして、もしかするとこの星そのものにも、自分の知らない名前があるはずなのだ。名前すら持たなかった自分に、それらがわかるだろうか。


『これらの なまえ は なに ですか』


 心が燃えるままに、出力したばかりの写真に矢印を沢山書き込んでいく。これで通じるだろうか。この星には機械がないという。翻訳機のAIにも登録されている言語データはほんのわずかである。

 惑星研究プログラムの通信受講要請へアクセスし、急かされるように旗艦名と登録番号を入力する。研究者や博士達の勉強に自分のような無学な戦争孤児がついていけるだろうか。

 一体何をしたいのか、自分でもわからない。研究者になりたいわけでもないのに、と思わず変な笑いが喉の奥から漏れる。まるで変な熱に浮かされているようだった。出力した写真を束ねてレポート用紙で包み、自分の手紙も添える。

(通じるだろうか)

 一体どんな人が、これを受け取るのだろうか。返事をどう受け取れば良いのだろうか。考えることは山ほどあるはずなのに、アレックスはあっと言う間に眠りに落ちていった。


*


 次の日の朝、目覚ましのアラームよりも先に愛用の軍事用タブレットに転送されてきたのは、上空から見た王宮の見取り図だった。

「それで、この星の『女王陛下』が住んでいる建物はここらしい。どうやって届ければ良いのか」

「庭があるようですが船はをここに突然降ろすのはどうかと思われます」

 副艦長のヘレネがいつも通りの事務的な物言いで言う。

「気象観測用ドローンがあります。AI非搭載の旧式ですが、手紙の様な小さな物品を運ぶには最適かと。整備班に調整させてあります。小さな中庭があるので、ここに降ろしてみてはどうでしょうか」

 格納庫の扉が開き、ドローンが一機レーンに載せられて運ばれてくる。

「なるほどさすがはヘレネ君だ。アレックス、ドローンの操縦は?」

「可能です、サー」

「おぬしは生真面目な性分らしいが、うつくしいものに敏感でもあるようじゃなあ。実に良いことじゃよ」

 生まれて初めて言われた褒め言葉を前に、アレックスは直立不動のまま目を何度も瞬かせる。

「退役したら適当な星のひとつでも買い取ってのんびり過ごしたかったが、辺境警備の手が足りぬと、ここの艦長を言いつけられてな。レジスタンスが潜む様子もない。のんびりさせて貰おうかと思っておったが……」

 先日届いたうつくしい紙と不思議な文字が気に入ったのか、指先で何度もそれを撫でながら艦長が笑う。

「わしは研究者ではないがね、この星をもっと知りたくなった。アレックス、おぬしもじゃろ?」

「自分は………戦争孤児でありまして、そういう教育プログラムを受けたことがなく、何もわからない、というのが本音ですが……」

 何度も言葉を探し、しばし沈黙してからアレックスは答えた。

「……何もわからないまま、というのは、どうやら性に合わないようです。ですが、その、そんなことは、今までは一度も考えたこともなかった、ので………惑星研究プログラムの通信受講申請を、帝国本部に出しました」

 艦長が満足げにそんなアレックスの肩をぽんと叩いて微笑んだ。

「ふむ。時間だけなら山のようにある。燃料補給の仕事の傍ら、一から学ぶのも良いじゃろうて」


*


 中庭に、つるりとした陶と剥き出しの銅で出来た巨大な羽虫のような『何か』が音を立てて降り立ち、紙の束を置いて去って行ったのは、その日の夕方のことだった。

 誰もが怯えて近寄らなかった中、それが『手紙である』ことにいち早く気付いて、恐れもせずに拾い上げたのは歳助だった。さっそく實奈子の元へとそれを運びながら、

「ひどい紙ですね姉上。こんなに質の悪い紙ははじめてみました。こんな紙で手紙をしたためるなんて、失礼にも程がありますよ全く」

 呑気に口を尖らせる。

「あら、でも見てご覧なさい歳助。つたない字で、何か書き記してあるわ。きっとあの船の誰かが書いたのね。……あの星の船には子どもも乗っているのかしら。……ああ、でも、子どものような字だけれど、そうとも限らないわ。不思議な字」

 折り畳まれた紙を開き、實奈子はじっとそれを見てから、笑みを浮かべる。


『わたし の なまえ は あれっくす・あれきさんだー。AX203492』


「あれ……くす、だなんて不思議な名前」

「この後ろにある文字らしきものの羅列はなんでしょうか。それにしても、あれくす……まるで荒草みたいな名前ですね。この紙にはぴったりだ」

「ふふ、『荒草の君』と言ったところかしら。この文字だと歳も性別もわからないけれど。文に慣れていないけれど、精一杯書いていることは確かよ」

「僕だって言伝とあればもっとまともな字で書きますよ」

 歳助が幾重にも折られた紙の束を見て、首を横に振ると顔をしかめる。そして、折り畳まれた手紙とは別に、もう一つ何かが封になっていることに気付き、なんともなしにそれを何度か宙に振ってから

「中に何か入ってますね。紙をこうして袋の形に折ったものと見えます。開けてみますか姉上」

 實奈子に問うてみる。

「ええ」

 見た事もない封を不慣れな手つきで開けた途端、中に入っていた色とりどりの四角い紙がまるで落ち葉のように中庭の地面に舞い散った。

 二人は思わずまじまじと顔を見合わせ、そしておそるおそるこの『うつくしい絵がまるで見たままに描かれたような四角く硬い紙』を拾い上げる。

「……しかし、こちらの紙は見事です。こんな『絵』なんて今まで見たことがない……」

 どこか感動にも似た面持ちで歳助が、本来ならば『写真』と呼ばれているそれを拾い上げ、魅入られたように見つめながら呟く。

「これは……主上がお喜びになるでしょう。ああ。すごいわ、この宮のどんな絵巻も、こんなに鮮やかな色でこんなにも細かく、丁寧に、描かれてはいないもの。あら、でも……」


『これらの なまえ は なに ですか』


 矢羽のような文様が、この不思議な四角い絵巻の至るところに書き込まれている。しばらく考え込み、やっとのことで得心がいったという顔になった實奈子が、思わず空を仰ぐ。

「……この『荒草の君』はなんて知りたがり屋なのかしら。我が主に届ける前に、もっとこの絵巻を見ておかなければ。……返事を、書こうと思うの」

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