人間と紋人

横浜K

第1話 紋人

20XX年。


深く静かな地下の奥、名を『セブン』としたミュージックスタジオからは、情熱と苦悩を交えた音楽の波が静かな地下空間を震わせていた。


ギターの弦の振動、ドラムの響き、そしてリコの歌声がひとつに溶け合い、都会の喧噪を忘れさせるような空間を創り出していた。


突如、ジャーンという大音が響き、音楽が一瞬の静寂に包まれた。


リュウトがエレキギターを熱くかき鳴らした結果のそれだった。ドラムを叩いていたレンジは息を荒くし、ボーカルのリコは感極まった様子で周りを見回していた。

ベースを操っていたユメは、額からこぼれる汗を感じながらも、その実績を楽しんでいるかのように微笑んでいた。


「これ…すごく良かったよね? あの瞬間、私の体に模様が浮かぶんじゃないかと思った!」リコの瞳は興奮の光で満ちていた。


その言葉に、リコもリュウトも頷き合い、リュウトは「本当に、それくらい感動的だった!」と感激の声をあげた。


レンジは、一呼吸置きながら、「確かに…」と言葉を紡ぎ出した。彼らの間には、今の演奏がどれほど特別だったかの共有が生まれていた。


「もっと演奏したいけど、もうスタジオの貸し出し時間、終わりそうだね」


ユメの瞳が、スタジオの入口横の壁に掛けられた古びた時計へと流れた。その下には『時間厳守!』の文字が赤く、力説するように書き記されていた。


「うわ〜! もうこんな時間かよ! 2時間早すぎだろ!」

リュウトは深く息を吸い込み、後頭部を掻きながら不機嫌そうに言った。

「もうちょいでもっと上手くなりそうなのに…。今日は無理かぁ」


周りのメンバーも頷きながら、その感情を共有した。


リコは少し前のめりになり、目をキラキラさせて言った。

「でもね、10分だけ。10分なら…許してもらえるかもしれないよ?」

彼女の声は、微かな希望と共に切実な願いを込めていた。


「いや、やめとけ。前に、時間を無視して結局出禁になった人たちを見た」

レンジはすでにドラムスティックをケースにしまっていて、黒のパーカーに袖を通しながら、冷ややかに忠告した。


そんなレンジの言葉に頬を膨らませ、文句を言おうとしたリコを、ユメが「まぁまぁ」と宥めた。



リコはスマホの画面を点灯させ、時刻を確認した。「21:00」。

大人たちの夜はこれから始まるんだろう。しかし、自分たち高校生にはちょっと遅い時間だった。


「じゃあ、明日学校で!」

リコはリュウトとユメに向かって、元気よく手を振った。その仕草は、夜の静けさに映えるほど大げさだった。


リュウトは軽やかにジャンプしながら両手で応答し、ユメは隣でちょっと照れながら手を振った。


夜の風が心地よい。


レンジと歩道を並んで歩きながら、リコはニヤリと笑った。

「ユメ、恥ずかしそうにしてたよね。幼馴染なのに、性格反対だよね」


レンジは半分閉じた目でリコを見て、一瞬の沈黙の後、冷静に言った。

「俺もお前の隣でちょっと恥ずかしかったけどな」


リコは驚きで一歩つまずいた。「えっ、何それ!」彼女の声は、都会の喧騒を切り裂くほどの大きさだった。


レンジの言葉に文句を言うリコだったが、彼は「はいはい、何でもない」と言い捨てた。彼の態度はいつものように不敵で、少し挑発的だった。


「もう、わざとだよね?」リコはふくれっ面で文句を言いながら、お腹をさすってみせた。「レンジのせいでお腹減った! コンビニ寄ろうよ!」


レンジは目尻を下げて笑い、「また食べるのか。気をつけないと太るぞ。」とからかった。


リコは顔を膨らませて怒った。「ほんと、レンジ! そんなことばっかり言うから、イケメンなのにモテないんだよ!」


レンジは抑揚のない声で「あー、それは残念だわ」と茶化すように返した。


リコは握った手でレンジの肩を叩き、「本当に変なやつ!」と言いながらも、微笑んでいた。


リコとレンジが歩いていた通りには、普段、静かに時を刻むコンビニがあった。

彼女はその場所の静寂を楽しむことが多かったのだが、今夜はどこか違った。


扉を開けると、普段耳にする「いらっしゃいませー」の挨拶は無かった。

代わりに、刺々しい声が二人の耳に響いた。


「どうなってんだ、このコンビニは!」


リコは驚き、反射的にレンジの背後に避難した。その間、レンジは冷静に状況を確認した。


「申し訳ございません、しかし、お酒をお買い上げの際、年齢確認は必須となっております…」弱々しい声で応じるのは、緊張を隠せない中年の店員だった。


反対側に立つのは、おそらく50代の男性。彼の顔には酒気が満ちていた。立ち姿も微妙に揺れていた。


「俺のどこが未成年に見えるんだ、このバカが!」


店員はひたすらに「すみません、すみません」と頭を下げる。


「これだから紋人は!」


その言葉で、空気が一変した。レンジは静かに、しかし確実にその男に近づいた。


「おいジジイ。いい加減にしろよ」

「あぁ?! なんだ、お前、は…。あ、すみません」


男性は、レンジの180センチを超え、筋肉質である圧倒的な存在感とその低い声の警告に圧倒された。


その後、彼はただ黙って年齢確認を済ませ、財布から千円札を取り出し、早足で店を後にした。


レンジは大丈夫ですか、と店員さんのことを気遣った後に、入り口で立ち止まるリコの元へ戻った。


「リコ、大丈夫か? 気にすんなよ」


うん、とレンジに心配をかけまいと頷くリコ。彼女の手の甲には、幾何学模様が浮かんでいた。


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