第89話 ……なにか思い当たることある?

 貴樹が病室に戻って程なく、夕食の時間となった。

 実質、個室ということもあって、テレビの音もなく静かななか、ひとりで食事に箸を伸ばす。


(なんか給食みたいだな……)


 目の前の大きなトレーに並べられた食器を見ていると、中学時代までの給食を思い起こさせる。

 高校に入ってから、普段は学食に行くことが多い貴樹は、もう1年以上もこういった食事を見ていなかった。そういう意味では、なんとなく懐かしさを覚えるものがある。


 量も味付けも、学食に慣れた自分の舌には多少物足りない。

 いや、病人食ということもあって、更に塩分などは控えめなのかもしれないと思いつつも、そのあたりはよくわからなかった。

 空腹だったこともあって、あっという間に食べ終えた貴樹は、トレーを自分で病室の外にある返却場所へと返したあと、ベッドに寝転がる。


 ふと、スマートフォンに手を伸ばしたあと、気づく。


「……ん? いつの間に……」


 画面を点けてすぐに気づく。

 いつの間にか1通のメッセージが届いていた。

 時間を見るとほんの数十秒前で、つまり自分がスマートフォンを置いて病室を出た間に届いたものだろう。

 差出人は美雪……かと思ったら、陽太だった。


『や。大丈夫そう?』


 シンプルなメッセージ内容に、陽太らしいと思いながら貴樹は返信する。


『ちょっと頭にタンコブできたくらい。明日には退院できるってさ』


『そっか。よかった』


『迷惑かけて悪い。あのあとのこと全然知らないんだけど、また教えてくれ』


 美雪から少しは聞いていたものの、実際同じ競技を走った陽太からも話が聞きたかった。

 自分が思った以上の大事になってそうで、それが不安だった。

 きっと来週登校すると、いろいろと声をかけられそうで、その心構えをしておきたいという気持ちもあった。


『いいよ。じゃ、明日どう?』


『あー、明日は無理かな。予定あって』


『ふーん。そりゃそっか。彼女が優先だもんねw』


『そういうわけでも……』


『へぇ? そう言ってたって清水さんに言っていい?』


 顔が見えないけれども、スマートフォンの向こうに透けて見える陽太のニンマリとした顔が目に浮かぶようだった。


『いや、それはダメ』


『冗談だよ。じゃ、いま病院の近くにいるからさ、ちょっと寄るよ』


『え、今からか? 別にいいけど』


『じゃ、あとで』


 時計を見ると19時前。

 面会が何時まで大丈夫なのか念のため確認しようと、ざっとしか目を通していなかった入院案内を読む。

 すると時間は20時と記載されていて、まだ時間はあると思いながらも、貴樹は念のためメッセージを打つ。


『面会は20時までだかんな』


 ――コンコン。

 そのとき、開いたままの病室の扉を叩く音が部屋に響く。


「うん、知ってるよ」


 はっと顔を上げると、そこには私服姿の陽太がスマートフォンを片手に大きめのバッグを背負って立っていた。

 メッセージのやり取りをしていてからまだ数分しか経っていないことに驚く。


「はえーよ。どこにいたんだ?」


「塾がここの隣なんだよね」


 貴樹の問いに、陽太は何でもないような顔で答えた。

 確かにこの病院の周りには何件かの学習塾があったことを思い出す。

 自分は、恐らく今学んでいる範囲では塾の講師よりも高得点を取りそうな美雪がいつも教えてくれているから、塾に通うという選択肢は考えたことがなかった。

 以前はそのことが恵まれているのかそうでないのか複雑な気持ちではあったものの、彼女の気持ちを知った今となってはそれも些細なことだと言えた。


「そか。悪いな、わざわざ」


「別に。でもさ、貴樹にしちゃ珍しかったからびっくりしたよ。足捌きは定評あったもんね。……運動不足?」


「それも多少はあるかもなー。どっちかってーと、二人三脚のときに痛めたのがな」


 貴樹は自分の股を軽くさするような仕草をしながら陽太に答えた。

 そもそも股関節を痛めたこと自体が運動不足からきているのかもしれないと思えばその通りではあるが、直接の原因は前のレースでのことだろう。

 それですぐに理解したのか、陽太は納得したように頷く。


「あー、なるほどね」


「ちょっとだけ美雪に聞いたけど、あのあと大変だったんだってな」


「だねー。しばらく中断したのと、僕らのレースがカウントされなかったくらいだけどね」


「そーなんか。そりゃそうか。悪いことしたな」


 自分が転倒してレースはゴールしなかったけれど、考えてみると同じレースを走っていた同級生も、先頭を走っていた貴樹があんなことになってはレースが続けられるはずもない。

 もちろん見てないからわからないけれど、目の前で倒れこんでいる生徒がいる横を抜けてゴールにまっすぐ走っていくなど、自分ならできないと思えた。


「ま、レース続けようにもそれどころじゃなかったからね。……ところで、さっきここに来るとき後輩クンを見かけたんだけど」


 話を変えた陽太の言う「後輩クン」が誰のことを指すのかすぐに分かった。

 陽太が貴樹の知らない後輩のことを話に出すはずがないと思えば、該当するのはひとりだけだ。


「あぁ、美雪の従姉弟の」


「うん。で、僕の知ってる限り、うちの生徒がもう一人ここに入院してるよね。後輩クンが貴樹の見舞いに来ると思えないから、その子に会いに来たのかな? ……なにか思い当たることある?」


 わざとらしく貴樹に問いかけた陽太は、何か新しい獲物を狙っているかのように、不敵な笑みを浮かべた。

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俺がこっそりメイド喫茶に行ったら、何故か隣に住む幼馴染が毎朝メイド服姿で起こしにきてくれるようになった件 長根 志遥 @naganeshiyou

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