第88話 それってすげー大事なことじゃないかな

「どうした?」


 しばらく黙って考え込んでいた瑞香を見ていた貴樹が声をかける。

 すると彼女はハッと顔を上げて答えた。


「あっ、ごめんなさい。……と、ところで……それはそれとして……。その……美雪さんのメイド服を見て、どう思いました……?」


「へっ?」


 突然、話が元に戻って、貴樹は裏返った声を上げた。

 それまでその話から遠ざかっていたにもかかわらず、危惧していたことをストレートに聞かれたことに対して、どう答えるべきか悩む。

 もちろん、はぐらかすこともできるだろうが、瑞香は美雪の従姉妹だ。

 貴樹の知らないところで繋がっていて、あらぬ疑いをかけられることは避けないといけない。

 今でさえ彼女に頭が上がらないのだから。


「え、えっと……、美雪さんに言ったりしませんから。私の素朴な疑問です」


「そ、そう……? あー……」


 貴樹の脳内を読んだかのように弁明した瑞香を見ながら、貴樹は初めて美雪がメイド服を着てきたときのことを思い返した。

 それは確か、自分が亜希に誘われて初めてメイド喫茶に行った翌日のことだ。


 短めのスカートで、ニーソックスの隙間から見えていた太ももや、足を上げたときちらっと奥に見えた白い布が今でも目に浮かぶ。

 見慣れた中央高校の制服姿も可愛いとは思っていたけれど、正直かなりドキッとさせられたことを思い出した。


(――っ! やべっ!)


 それを想像して、不可抗力で元気になる体の一部分を感じて、そこに目はいかないようにしつつも顔までもが火照ってくるのに気づく。

 慌ててそれを隠すように貴樹は言った。


「そ、そりゃ……か、可愛いとは思ったよ。でも、びっくりしたほうが大きかったかな……」


「そうですか、ありがとうございます。……やっぱり美雪さんってすごく可愛いですよね。いつも羨ましいって思ってますし」


「まぁ……これまでもよく男子から告白されてたしなぁ……」


 自分とは違って。

 ただ、嫌な先輩に目を付けられたこともあったし、彼女にとっては良いことではないのだろうが。


 その話を聞いた瑞香は、特に意外そうな顔もせず聞き返した。


「そういう話は聞いたことなかったんですけど、やっぱりそうなんですか?」


「ああ、放課後に何度か呼び出されてたな」


「へぇ……。羨ましいような、大変そうな……。でも……」


 瑞香にとって、全くと言っていいほど男子にモテた経験がないから、それがどんなことなのかよくわからなかった。

 しかし、やっぱり男子にとっては、美雪のように明るい性格の娘のほうがいいのだろう。

 自分がメイド服を着ても優斗と関係が進展しないのは、当然かもしれない。

 そう思った。


「……私も美雪さんみたいに明るくなったら少しは違うのかな……」


 瑞香はひとりごとのように呟きながら思案する。

 そうだ。

 メイド喫茶に行ったとき、美雪の同級生である先輩を、優斗がじっと見ていたのを思い出した。

 明るい色のショートカットがよく似合う美人の先輩だった。

 もしかしたら、そういう女子が好みなのかもしれない。

 きっとそうだ。


 瑞香がそんなことを考えていると、貴樹は首を傾げつつ答えた。


「それはわからないな。そりゃまぁ……外見だって多少はあるだろうけど……。例えば俺が全く美雪と見ず知らずの他人だったとして、アイツと初めてバッタリ出会って、すげー好みだ、好き! ってなったりはしないだろうしさ。まぁ顔に一目惚れってのもないわけじゃないだろうけど、俺はやっぱ性格が合うとかさ、一緒にいて楽しいとか、そんなほうが大きいと思うんだよな。……長谷川さんはその彼と話していて楽しいと思う?」


「なるほど……。うーん……」


 『楽しいか』と聞かれてどうか。

 よくわからない。

 幼馴染ということもあって気兼ねなく話ができるけれど、最近はどうしても意識してしまって本音で話ができていない気がした。

 そういう意味では心から『楽しめている』とはいえない。

 前は他の男子も交じって一緒に楽しく遊んだりしていたけれど、中学に入ったころからはそういうのもあまりなくなった。


「そういわれると、最近は笑うことが少なくなった気がします……」


「そっか。あんまうまく言えないけど、それってすげー大事なことじゃないかなって、俺はそう思うよ」


「……はい。ありがとうございます」


 声のトーンをひとつ落として諭すように言った貴樹を見て、瑞香は小さく頷いた。

 たった1学年しか変わらないはずだけれど、目の前にいる先輩は自分とは違ってすごく大人に見えて。

 思い切って相談してみてよかったと思えた。

 と――。


「あらあら、若い子たちで楽しそうねぇ」


 ふいに横から声がかけられて、ちょっと驚きつつもふたりは振り返った。


「山下さん……」

「――優斗!」


 そこにはニヤニヤと口元を緩めて笑う山下と一緒に、瑞香の意中の彼――優斗が立っていた。

 彼はバツの悪そうな表情で、少し山下から一歩引いた様子に見えた。


「来るの遅くなってごめん。午後、塾があって……」


 優斗が申し訳なさそうに言った。

 話す感じからするともっと早く来たかったのだろうが、通っている塾を優先したのだろう。

 瑞香が返す。


「ううん、別にいいよ。ありがとう」


「ごめんね。私が『塾休むな!』って言ったのよ。ちょっとした検査入院だし」


「えと、そうなんですね。ええ、私は大丈夫ですから」


 貴樹はそのやり取りを聞きながら、ゆっくりと椅子から立ち上がった。


「それじゃ、俺は病室に戻るよ。ごゆっくり」


 それまで話していた瑞香に小さく手を挙げて、ふたりの会話を邪魔せぬように足早に立ち去ろうとする。

 その背中に声がかけられた。


「坂上さん、ありがとうございました。美雪さんにもよろしくお伝えください」


「ああ、またな」


 そして貴樹は振り返らずにまっすぐ病室へと戻った。

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