第85話 暇だなー

「……っても暇だなー」


 結局、貴樹は念のため一晩だけ入院し、問題なければ明日退院するということになった。

 美雪には外が暗くなる前に帰ってもらったが、明日の朝にまた来るらしい。


 想定していない入院だったから、暇つぶしのアイテムが何もない。

 テレビカードも、たった1日のために買うほどでもなく、やることもなくぼーっとしていた。


「散歩でもするか……」


 看護師のお姉さん(?)からは、歩くことは止められていない。

 なので、夕食までの間に院内を回ってみることにした。


 病室を出ると、ベージュ色の廊下が左右に伸びていて、多くの病室が並んでいる。

 貴樹にとっては初めての病院だけれど、市内で一番大きな総合病院だから、相応の部屋数があるのだろう。


 遠くにナースステーションが見えるから、まずはそちらに向かって歩く。

 股関節は痛むほどではないが、多少の違和感は残っていた。

 それよりも、ぶつけたと思われる頭のほうが触ると痛む。

 自分では直接見ることができないけれど、触れた感じでは結構膨らんでいるから、大きなたんこぶができているようだ。


 ナースステーションの前を通ると、看護師の人たちが何人か、中で仕事をしている様子が見て取れた。

 男性がひとり。

 あとは女性で、若い人もいれば、経験の豊富そうな人もいる。

 そのなかに、昼間に貴樹のところに来た看護師の女性もいた。


(確か、山下って書いてたっけな)


 そう思って見ていると、ふと顔を上げた彼女が貴樹に気付いたのか、立ち上がってナースステーションから出てきた。


「坂上さん、気分はどうですか?」


「ええ、特になんとも。頭を触るとちょっと痛みますけど……」


 笑顔で尋ねてきた彼女に、貴樹は素直に思っていることを伝えた。


「それは仕方ないですね。だいぶ激しくいったって聞いてますから。でも、今のところ出血もありませんし、そのうち治りますよ」


「ありがとうございます」


「ところで――」


 山下は、貴樹の顔をじっと見ながら続ける。


「今日、坂上さんと同じで、同じ高校からもうひとり頭を打って入院している子がいるんですよ」


「へー、そうなんですね」


 貴樹は自分と同じような怪我をしている生徒がもうひとりいると聞いて、なんとなく親近感を覚えつつ、そう答えた。


「坂上さんの隣の病室、234号室ですよ。たぶん知ってる子だと思いますから、あとで話でもしてみてはどうでしょう?」


「え……?」


 一瞬、理解が追い付かない。

 貴樹と今日初めて会った山下が、自分の交友関係を知っているとは思えないからだ。

 それとも、学校から連絡があったのだろうか。


(もしかして同じクラスとかなんかな……?)


 それならわからなくもない。

 他には、付き添いの先生から聞いたという可能性もあった。

 なににせよ、貴樹はその生徒がだれかわからない以上、推測の域を出ない。


「ふふ、では私は仕事がありますから。夕食は18時半くらいですから、それまでに病室に戻っておいてください」


「わかりました」


 それだけ言って、山下はまたナースステーションに戻っていった。

 その後姿を見送ってから、貴樹は視線をエレベータの横に張られたフロア図へと移す。


(とりあえずぐるっと回るだけにするか。……あと、自販機はあそこか)


 一応、部屋から財布を持ってきていたから、何か飲み物を買おうと思う。

 非常階段の近くに自販機やちょっとした休憩スペースがあるように書かれているから、そこも回ってみようと思い、歩き始めた。


 ◆


 ――ガコン。


 自販機でオレンジジュースを買って、それを手にしながら、ゆっくりと休憩スペースを見渡す。

 何人かの年配の男性が、そこで雑談をしているのが見て取れた。

 雰囲気からすると、この病院で親しくなったのだろう。となると、それなりに長く入院しているのだろうか。


 そんなことを思いながら、その輪の中に入るわけもなく、休憩スペースを後にした。


 と――。


「あ……」


 休憩スペースを出たところで、ばったり鉢合わせた少女が小さな声を上げた。

 小柄で眼鏡を掛けた少女が、驚いたような顔でじっと貴樹の顔を見上げている。


「あ、君は……」


 すぐにそれが見覚えのある顔だということに気付く。

 とはいえ、頻繁に顔を合わせるわけではないから、少しだけ頭の中で記憶を探って答えを探し出した。


「確か、美雪の従姉妹の……」


 苗字はわからないけれど、名前は確か瑞香と言ったか。

 美雪がそう呼んでいたことを思い出す。


「はい、長谷川はせがわ瑞香と言います。私の母が美雪さんのお母様の妹なんです」


「へぇ、雪子さんの。そういや、あの同級生の彼もいとこって言ってたっけ? 確か優斗君……」


「そうですね。優斗も従兄妹です」


「そっか。ところで、長谷川さんはどうしてここに?」


 美雪は彼女のことを「ちゃん」付けで呼んでいたような記憶はあったけれど、流石にほとんど面識のない瑞香に対して自分も同じように呼ぶのは憚られた。


「えっと、私も入院しているんです。明日の朝には退院ですけど」


「あ、山下さんが言ってた……」


 そこで初めて看護師の山下が言っていたのが彼女のことだと理解する。

 ほかの入院患者に多いパジャマ姿ではなく、私服だったから入院しているというイメージがなかった。


「ああ、伯母さんと話したんですね。あの人、優斗のお母さんなんですよ。この病院で働いてるのは知っていたんですが、この病棟とは思いませんでした」


「どうりで……」


 だから同じ学校からの入院者が貴樹と知り合いだということを知っていたのか、と理解する。

 優斗の母だということは、美雪から見てもおばに当たるだろう。

 となれば、美雪を通じて自分のことを知っていてもおかしくない。そもそも美雪が見舞いに来ていたことも知っている可能性が高い訳だから。


「夕ご飯まで暇ですし、少し座りますか?」


 ようやく理解ができて頭の整理がついたころ、瑞香は休憩スペースの空いた席を見て貴樹にそう提案した。

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