第81話 いつも見てるんだから

 結局、それからマイペースで走り抜け、なんとか2位を死守した。


 目標としていた1位を取ることはできなかったけれども、昨年の体育祭でのダントツ最下位から比べると大躍進だ。

 ましてや、運動の苦手な美雪にとっては、小学校の徒競走を含めても、真ん中の順位より上というのがそもそも初めてのことだ。


「惜しかったな」


 ゴール後、クラスのテントに帰りながら貴樹が声をかけた。


「ううん、勝てるかなって思ってたから残念だけど、2位でもすごいよ。……これまでからしたら」


「ああ。まぁ、まだ来年もあるしな」


「お? 来年も走る? 二人三脚……」


 美雪としてはそんな先のことは考えてなかったけれど、確かに来年も走ることはできる。

 特に他に興味のある競技があるわけでもなく、選択肢としては十分考えられた。


「ま、俺はどっちでもいいけどよ。せっかく練習したんだし、1回くらい1位取りたいだろ?」


「そだね。……ところで、大丈夫?」


「なにが?」


 ふいに美雪が尋ねる。

 貴樹は首を傾げながら聞き返した。


「足」


「別にどうってことないぜ?」


「そう? なんか歩き方が変だけど?」


「……」


 貴樹にとってはいつもと同じように歩くよう、意識しているつもりだった。

 しかし、美雪はそう感じなかった。


 黙る貴樹に、美雪が目を細めた。


「……やっぱり。さっきなんかやったでしょ? いつも見てるんだから、変だってくらいすぐわかるわよ」


「べつに大丈夫だって。このくらいサッカーでもよくやってたし、すぐ治るさ」


「そう……? 無理しないでよね」


「ああ」


 とりあえず美雪の追及を躱した貴樹は、痛む股関節をできるだけ気にしないよう歩く。

 多少筋を伸ばしたけれど、実際このくらいならすぐ治ると思っていた。

 ――この時はまだ。


 ◆


「ほら、呼んでるよ?」


 しばらくして、障害物競走の集合アナウンスが聞こえてきて、美雪は貴樹に声をかけた。

 この競技が終われば、残り貴樹が出場する予定になっているのは午後のクラス対抗リレーだけだ。


「ああ」


 よいしょという言葉が聞こえてくるような動きで、貴樹はテントに敷かれたブルーシートから立ち上がる。


「……もう大丈夫?」


「もちろん。それじゃ」


 その動きは先程の二人三脚でのときの痛みを感じさせないものだったが、念のため聞いた美雪に向かって、貴樹は手で軽く応えた。

 そのまま貴樹は歩いて集合場所であるゲート付近に消えていく。

 彼の背中が見えなくなると、美雪はまた今のプログラムである1年生の集合ダンスに視線を向けた。


(ゆうくんは……っと。いた。瑞香は……)


 優斗の姿はすぐに見つけることができた。

 あまり乗り気そうではないものの、それなりには真面目に踊っている。


 一方で、もうひとりの従姉妹の姿は目を凝らしても見つけられなかった。

 もともと眼鏡をかけていてもあまり視力の良くない美雪だから、単に遠くてわからないだけかもしれない。

 そう思いながらも、二人三脚のときに転けて血が付いていたことが気がかりだった。

 替えの体操着がないだけなのか、それとも――。


 そんなことを考えながら探しているうちに、ダンス競技が終わったようだ。

 そして、貴樹の出場する障害物競走の選手がグラウンドに並び始めた。


「貴樹クン、どうなるかにゃー?」


 と、後ろから亜希の声が聞こえて振り返る。

 そこには亜希と一緒に、玲奈がこちらを見ていた。


「さぁ……。でもなんだかんだで勝つと思うけど」


 多少足に不安があるとはいえ、彼のことだからきっと勝つだろう。

 彼が勝ったら自分はメイド服でオムライスを作らないといけないけれど、そのくらいなら大した問題じゃない。


(……まぁ、そんなのなくても作ってあげていいんだけど)


 正月以降も、彼からは時々料理を教えてもらったりしていたし、そろそろ貴樹に頼らなくてもなんとかなる……と思う。


「貴樹君は前から運動神経良かったわね」


 玲奈が小学校の頃のことを思い出しながら呟いた。


「うん。私と大違い」


「……クラスで一番足が速かった彼と美雪の組み合わせはちょっと面白かったわね」


「そ、そう……だよね……」


 玲奈が多少オブラートに包んでくれたけれど、もちろん美雪にはわかっている。

 クラスで一番足が遅かったのはダントツで美雪だったからだ。

 貴樹とふたりのタイムで平均を出すと、美雪があまりに遅くて平均以下になってしまうほどに。


「でも別に良いんじゃない? 大人になったら足の速さなんて、ほとんど役に立たないもの」


「……んー、ひったくりを追いかけるときくらい?」


 美雪の頭にぱっと浮かんだのはそのくらいだった。


「ふふっ、たぶんそんなの一生に一度もないでしょ? 仕事によったら体力いるものだってあるってこと。消防士とか……」


「なるほど……」


 確かにそういう仕事をしている人は、いつも消防署の周りを走っているイメージがあった。

 きっとトレーニングも仕事のうちなんだろう。


「あ、ほら。最初の組がスタートするよー」


 前を見ていた亜希がスタートラインに並ぶ走者を指さした。

 目を凝らして見たところ、まだ貴樹の順番ではないようだ。

 障害の準備ができたようで、スタートの合図をする先生が指定位置に歩いていく。


 そして、『パン!』という破裂音と共に、第一グループの走者が勢いよく走り始めた。

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