第78話 そうはいかないんだから……!
いつもの流れで、入場行進から開会式、そしてラジオ体操を終えて、各クラスのテントに戻ってきた。
ようやくこれから各個別の競技が始まる。
「じゃ、俺行ってくるわ」
貴樹は軽く手を挙げてから、ひとり集合場所に向かう。
最初の徒競走に参加するためだ。
「うん、負けたら罰ゲームね」
「なんだよそりゃ」
「あははー。頑張ってね」
軽く笑い合ったあと、小さく手を振って貴樹を見送った美雪に、また亜希が寄ってきて肩をガシッと組んだ。
「うしし、らぶらぶだにゃー」
「そ、そんなコトないって。フツーよ、フツー……」
「そんなことアリアリ。――ああー、あのツンデレ美雪ちゃんが、デレしか残ってない甘々になるなんて、人は変わるものねぇ」
「そ、そこまで……?」
多少は自覚していたものの、それでも身近な友人にそこまで言われるほどだとは思っていなかった美雪は、引き攣った顔で聞き返した。
「にっひっひ。んだんだ。きっと毎晩、ご主人様に躾けられちゃってるのね……」
「…………!」
亜希の含んだような目線が美雪の顔を舐める。
美雪は、まずいと思いながらも、かーっと顔が火照ってくるのが自覚できた。
亜希は美雪がメイド服を着たりしているのを知らないはずだ。
しかし、『ご主人様』というフレーズに、もしかしてそれすらも知られているのではないかと頭に浮かぶ。ましてや、亜希はあの陽太の彼女なのだから。
(――ダメダメダメ! 顔に出しちゃ!)
そう思うものの、自分ではコントロールすることもできなくて、茹でたタコのように首筋まで真っ赤に染まった。
「あらまぁ、やっぱり。こんな可愛い美雪ちゃんが毎日通ってくれるんだもの、そりゃほっとかないわよねぇ……」
「……はうう……もうやめて……」
更に追い討ちをかける亜希に、美雪は両手で顔を押さえて、消え入りそうな声で呟くのが精一杯だった。
さすがに亜希もやりすぎたかと、美雪を解放してにんまりと笑った。
「満足満足。――あ、もう貴樹クンの番、近いみたいだよ?」
はっと気づけば、3年生からスタートした徒競走は、すでに2年の順番が来ようとしていた。
前から2列目には、背の高い貴樹の姿も見える。
「ほらほら、応援しなきゃね。『ご主人様ー! 頑張ってぇ!』って」
「そ、そ、そ、そんなコト言うわけないでしょっ!」
「んふふ、まだ顔が赤いよお?」
「……だ、誰のせいよっ、誰の」
美雪は亜希の背中をバシッと叩いた。
それを気にしない亜希は、スタートのほうを指差した。
「あ、始まるよっ」
見れば、ちょうどスタートの号砲がパンと鳴ったときだった。
一瞬、貴樹は出遅れたようにも見えたが、そのあとぐんぐんと加速して、コーナーに差し掛かるときには先頭に立っていた。
そのまま後ろを見る余裕すらある走りでゴールテープを切るところまで、美雪は無言で視線を向けていた。
「……やっぱすごいねー。余裕じゃん」
「うん」
「格好いいよねー」
「うん」
亜希に聞かれて、美雪は条件反射的にコクコクと頷く。
今は部活をしていないからあまり目立たないが、彼の運動神経はよく知っている。
その軽やかな走りは中学でサッカーをしていた頃を思い起こさせた。
(すごいなぁ……。かっこいい……)
自分にはとてもできないことを軽くこなす貴樹が羨ましくもあるし、そんな彼が自分と付き合ってくれていることが何よりも嬉しくて。
「……完全に恋する乙女の顔ねぇ」
「――ふわっ!?」
じっと彼を見ていたのを横目にした亜希が、ボソッと呟く。
「にひひ。さ、ほら。ぼちぼち二人三脚の集合だよっ」
「もう……。じゃ」
相変わらずの亜希に呆れつつも、美雪は集合場所に向かおうとした。
そのとき、ふとグラウンドのほうからちょっとしたどよめきが聞こえてきて振り返った。
「ゆうくん……」
そこには、必死な顔で走る優斗と、あともうひとりの男子が先頭を競り合っているところだった。
貴樹のような圧勝とは違い、デッドヒートを繰り広げていると盛り上がるのは常だ。
優斗は出遅れたのか、コーナーでは不利な外側から被せるように走っていた。
しかし最後の追い込みもあって、ゴールテープはほとんど同時に切ったように見えた。
「……ゆうくんもなかなかやるじゃん」
そう感嘆しつつ、美雪は集合場所に急いだ。
◆
「罰ゲーム回避おめでとう」
先に集合場所に来ていた貴樹を見つけた美雪は、軽く彼の肩を叩いた。
本心ではまだドキドキしていたものの、貴樹にそれを見せるのは恥ずかしくて、精一杯いつものように振る舞おうと意識して。
「はは、助かったぜ」
「最初ゆっくり出たのはわざと?」
「おう。スタートは周りと絡みやすいからな。安全に行ったよ。周りのヤツらのタイムは大体分かってたし」
「へぇ……。貴樹のくせに、意外と考えてたのね」
彼の返答に驚きつつも、先ほどの走りを思い返す。
確かに彼はスタートを外から出て、周りと少し距離を置いていた。
それは安全に行っても抜き返せると計算してのことだったのか。
「負けても構わないけど、怪我したら嫌だし。……ま、美雪の罰ゲームも嫌だけど」
軽く笑いながら貴樹は答えた。
もっとも、仮に罰ゲームを受けることになったとしても、彼女が無理難題を吹っ掛けることはないだろう。
「あーあ、残念。次の競技に期待、かな?」
「へいへい。もし障害物競走で俺が負けたら、なんでも聞いてやるよ」
「おおぉ、言ったね? インプットしたよ?」
自分から勝利宣言をした彼の言葉に、美雪はにんまりと笑った。
しかし――。
「……逆に、俺が一番取ったら、美雪が罰ゲームな」
「……はぇ?」
キョトンとした顔を見せた美雪を見て、貴樹が続ける。
「当然だろ? そうだな……明日の昼、メイド服着てオムライス作ってくれよな。おまじないもちゃんと」
美雪はその光景を想像しながらも、しばらく考えてから答える。
「まぁ、そのくらいなら……。じゃ、貴樹が負けたら明日の昼はご馳走してよね。メニューはなんでもいいけど」
「おう、それでいいぜ。あー楽しみだな」
「……絶対もう勝ったつもりでしょ? そうはいかないんだから……!」
余裕の表情を見せた貴樹とは正反対に、美雪はどんな作戦で彼を負けさせようかと頭をフル回転させる。
そこでふと気づく。
(……ん? 私、貴樹に勝って欲しいんじゃなかったっけ……?)
話の流れでそうなったとはいえ、なにか釈然としないモヤモヤだけが残った気がした。
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