第70話 まぁ良いけど……
「おかえりなさいませっ!」
瑞香が周りの様子を窺いながらひとりでメイド喫茶に入ると、ミニスカートのメイドさんが元気よく声をかけた。
ショートボブの毛先だけピンク色に染められたツートンカラーに興味を持ちつつも、そっと店の中をチェックする。
店内は時間もピークを外しているのか、それほど混雑はしていない様子だ。
(……いた!)
ぐるっと見回すだけで、先にひとりで入った優斗を見つけることができた。
4人ボックス席にひとり座って、注文をしようというのだろうか、茶髪のメイドさんと話をしているのが見える。
そんな瑞香の様子を見ていた受付のメイドさんは、首を傾げつつ尋ねた。
「もしかして、お連れ様がおられます……?」
「――え? は、はいッ! ……あっ、でもそうじゃなくて!」
予想もしていなかった問いに驚いた瑞香は、つい頷いてしまった。
しかし、すぐに慌てて首を振る。
「……? えと、お嬢様おひとりでよろしいでしょうか?」
「は、はい……」
「それではご案内いたしますね」
瑞香の様子を訝しみながらも、マニュアル通りに応対をするメイドさんに店内へと案内される。
ただ、向かった席は偶然にも優斗の座っている席の通路を挟んで隣だった。
「げ。瑞香……!」
当然、優斗はすぐに瑞香に気付く。
目を丸くしながら呟いた彼と、しっかり目が合った。
瑞香はたまたま居合わせたという体を決め込もうと、優斗に声をかけた。
「あ……。ゆ、優斗じゃない。こんなところで偶然だね……」
「そ、そうだな……」
そんなやり取りをしているところを見ていたメイドさんは、ふたりに交互に視線を向けてから、瑞香に聞いた。
「ええと、同席なさいます……? それとも別にいたしましょうか?」
「そ、それじゃ、同席で……」
「……!」
絶句する優斗を他所に、瑞香はそう答えた。
◆
それよりも少し前。
「いきなり週明けに持ってこいとか、急すぎるよなぁ」
貴樹は駅前のショッピングモールに向かいながら、手を繋いで隣を歩く美雪に愚痴をこぼした。
「ふつー、中学で使ってたヤツ、家にあるでしょ。なんで捨てたのよ。バカじゃないの?」
呆れた顔をしつつ美雪が指摘する。
もう彼女からの小言は右から左だ。……いや、彼女は自分の左側を歩いているから、左から右かもしれない。
それはともかく、小言が出ないほうが何かあったのかと心配になるから、むしろ安心するのはいかがなものかと自分でも思う。
「いや、高校でも絵の具使うとか思わねーじゃん」
「使うでしょ。っていうか、ならなんで美術選択したのよ。書道でも良かったのに」
ふたりの通う中央高校では、書道と音楽、そして美術のなかから好きな科目を選択して履修することになっている。
1年次と2年次で同じ科目でも良いし、違うものでも良いというものだ。
昨年度はふたりとも書道を選択していたが、2年からは貴樹の希望で美術に切り替えていた。
「俺、あんま絵心とかねーから。でもそーゆーのも勉強しとかないとなー、って思ってさ。将来のためにも」
「ふーん。まぁ良いけど……」
貴樹の話に美雪は納得はしていた。
彼は将来建築家になるのが夢だと知っていたし、美的感覚も必要だということも。
ただ、ならばなぜ絵の具セットを捨てていたのか、いまいち納得できなかったが。
そんなわけで、新しく買う必要があり、文房具店に向かっていたのだ。
そのとき――。
「あらあら、おふたりさんじゃないの。相変わらず仲良くセットねー」
ふいに背後から声がかけられた。
聞き覚えのある声にふたりが振り返ると、トートバッグを持った玲奈がいた。
「玲奈、おはよ」
「おはよう」
美雪が小さく手を振ると、玲奈も返す。
もう玲奈に手を繋いでいるところを見られようとも、まったく気にはならなかった。
「どこ行ってんだ?」
「バイトよ」
貴樹が聞くと、ひと言で返ってくる。
それだけですぐ理解できた。今からメイド喫茶のバイトなのだろう。
「そっか、頑張ってな」
「もう慣れたから。――あ、そうだ。クーポンあげるから寄って行ってよ。時間に余裕あるならで良いけど」
玲奈はそう言うとバッグから「飲食代20%オフ」と書かれたチケットを出して貴樹に手渡した。
「ふーん……。どうする? 美雪」
「私は別に行っても良いけど。でも先に買い物済ませない?」
「そうだな。じゃ、先に用事済ませてから寄るよ。それでも良いだろ?」
美雪の指摘に頷いた貴樹は、玲奈に確認する。
買い物は30分もあれば終わるだろう。そのあとは特に何も予定がなかったからだ。
「良いわよ。店で待ってるわね」
「おう、じゃーな」
メイド喫茶の前で玲奈と別れて、そのままふたりは駅前のモールにまっすぐ向かった。
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