第66話 ……気持ちよくて寝ちゃいそう

 駅から帰る前に、改めてそれぞれで学校に休むことを連絡した。

 そして今度は転けないようにと、慎重に歩いて家まで帰ってきた。


「ふー。私、着替えてくるね」


「おう」


 家の前で美雪は濡れた制服を着替えようと、いったん自宅に帰っていった。

 貴樹も家に帰ると、玄関で靴下を脱いだ。

 雪の中を歩いて、スニーカーから染み込んできていたからだ。


「冷てー」


 濡れた靴下は冷たいが、脱ぐと今度は風の冷たさで足が冷える。

 すぐにスリッパを履いて靴下を洗濯機に放り込むと、新しい靴下に履き替えた。


 そして、濡れたスニーカーにはグシャッと丸めた新聞紙を突っ込んでおく。

 以前、美雪にこうしておくと早く乾くと教えられてから、濡れたときは必ずやるようにしていた。


 そうしているうちに、玄関のドアが開いて美雪が顔を出した。

 流石にメイド服ではなく、暖かそうなベージュ色のフリースを着込んでいた。


「やっほー」


「早いな」


「着替えるだけだからねー」


 チャイムも何もない。

 彼女にとっては、ほとんど自分の家と同じという感覚だからだ。

 そして玄関で新聞紙を持っていた貴樹を見て、口元を緩めた。


「お、えらいえらい。ちゃんとやっとかないと明日まで濡れたままだからね」


「冬はほんと乾かないよな」


「だねー。いちお、私も靴はサッと手入れしてきたよ」


「へー」


 美雪の足元を見れば、いつも履いているローファーではなく、ショートブーツを履いていた。

 それは正月前にふたりで出かけたときに買ったものだ。

 防水のものではないから、長時間歩くと濡れてはくるだろうが、この短距離――ふたりの家の玄関は10mほどしか離れていない――なら問題ない。


 美雪は玄関のかまちに腰掛けてブーツを脱ぐと、自分用に置いてあるスリッパを履いた。

 これも毎日、一度ならずも顔を出す彼女を見て、貴樹の母の「どうせなら好きなの置いておいたら」という言葉に甘えさせてもらっているものだ。


「じゃ、部屋行こ。寒い」


「へいへい。俺、これ置いてから上がるから、こたつ電気入れといて」


「ん、りょーかい」


 貴樹が手に持つ新聞紙を見せると、美雪は頷いて先に階段を登って彼の部屋に向かう。

 そして、部屋に置かれたこたつのスイッチを入れると、するっとその中に下半身を突っ込んだ。

 いつもならば布団に潜り込むのだが、彼が起きてから時間が経っていて冷たいからだ。


 すぐに部屋に入ってきた貴樹の顔を見上げながら美雪は言った。


「今日どうする?」


「そうだなぁ。今日の授業ってなんだったっけ?」


「化学、数学、現国、体育、英語の順だよ」


「よくそこまでさっと出てくるなぁ」


 即答で返す美雪に呆れつつ、貴樹はブレザーを脱いで部屋着の上着を羽織る。

 そしてこたつに入ろうとすると、美雪は彼の片腕を掴んだ。


「貴樹はここ」


 頭をクイクイっと振り向くような仕草を見せながら美雪が言う。

 自分の後ろに座れ、という意思表示だ。


「へーい」


 美雪が少し体を前に寄せて場所を作ると、貴樹は座椅子と彼女の背中の間に滑り込むように腰を落とした。

 彼女が頭を揺らす度に、いつものシャンプーの匂いが鼻腔をくすぐる。


「んふふ。あったかいね」


 彼に背中を預けながら、美雪は満足そうに呟く。


「一応、授業の内容くらいは勉強しておかないとなぁ……」


 貴樹が美雪の後ろから話すと、斜め後ろを振り返りながら返す。


「ま、国語と英語は大丈夫でしょ。化学と数学はやっておいたほうが良いかな。1時間抜くだけで、あとが大変だから」


「だな。頼めるか?」


「もちろん。……でも、もうちょっと暖まってからね」


 そう言いながら、美雪は貴樹の両腕を掴むと、自分の前で交差させるように動かす。

 意図を察した貴樹は、自分から少し力を入れて彼女を抱きしめた。


「ん。学校なんか行くより、毎日こうしてたい。……そういうワケにもいかないけどね」


「そりゃ、な」


 貴樹としても、ひとりでこたつに入っているときよりも、伝わってくる美雪の温もりが心地よい。

 彼女が柔らかいフリースを着ていることもあってか、大きな抱き枕を抱いているような、そんな気持ちになる。


「……気持ちよくて寝ちゃいそう」


「別に構わないけど、寝るならベッドのほうが良くないか? こたつで寝たらしんどいぞ」


「うーん……」


 貴樹の指摘に、美雪はゆっくりと頭を振って悩んでいた。

 彼の言うとおりではあるけれど、しかしベッドで寝るとそう簡単に起きられないような気もして。


 しかし、その魅力には抗えなくて、ゆっくりと頷く。


「ん、そうする。……もし思いっきり寝ちゃったら、そのうち起こしてね」


「良いぜ。俺も寝てしまうかもだけどな」


「あはは。ま、そのときはそのときかな」


 笑いながらゆっくりと立ち上がった美雪は、貴樹の手を引く。

 そして、「ほらほら、早く布団暖めてよ」と、いつものベッドに向かった。

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