第65話 当然、その覚悟はしてるんだよね

「おはようー。……さむいさむい」


 2月に入った雪の朝。

 いつものようにメイド服を着込んで、貴樹の部屋にやってきた美雪は、挨拶もそこそこにコートを脱ぐと、まっすぐ彼の布団に勢いよく潜り込む。


「あったかいー」


 彼の布団はしっかりと長時間暖められていたこともあって、冷えた美雪の身体を溶かしていく。

 少しでも温もりを得ようと、布団の中の熱源――もちろん、貴樹のことだが――にぴったりと身体を密着させた。


「身体、だいぶ冷えてるな。今日はそんなに寒いのか?」


「今日はすごいよ。外真っ白だもん」


「マジか。学校行くの、だるいなぁ……」


 窓の外に目を遣るが、まだ真っ暗で外の様子はわからない。

 天気予報では確かに雪になると聞いてはいたものの、貴樹も積もるほどだとは思っていなかった。


「だからって休むのはダメだよ? まぁ、私も休んでこのまま布団に入ってたいけど」


 頭まですっぽりと布団に入った美雪が、隙間から彼の顔を覗くようにして言った。


「流石に休んだりしないって。っていうか、美雪がそんなこと言うとはなぁ……」


「ふふふ。私は貴樹と違って超優等生だからね。一日くらい休んだって成績には問題ないのだよ」


 美雪が少しでも暖かいところを探して、もぞもぞと布団の中で動くたびに、頭に付けたホワイトブリムがちらちらと動くのだけが見える。

 すると、ふと彼の胸に顔を擦り付けるようにしていたのをやめ、ぐるっと身体を回すと、今度は背中を彼に押し付けた。

 その意図を理解した貴樹は、腕を回してぎゅっと抱きしめた。


「んー、最高に気持ちいい……」


 満足そうに呟く美雪は、ようやく落ち着いたのか大きく息を吐いた。


「そのまま寝るなよ?」


「ぶー、寝ないもん。貴樹だって、二度寝しちゃったらダメだよ?」


「善処するよ」


 美雪に指摘されてそう答えたが、それまで冷たかった美雪の身体もだんだんと暖かくなってきて、なんとなく眠気が襲ってきつつあった。

 直ぐ目の前にある美雪の髪からは、いつものシャンプーの匂いが漂ってきていて、それがより眠気を誘う。


「すぅー……すぅー……」


 しかも暖まって気持ちよくなったのか、美雪からもすぐに寝息が聞こえてきて――貴樹もそのまま目を閉じた――。


 ◆


 ……ピピピ……ピピピ……!


 アラームの音が部屋に鳴り響き、貴樹は慌てて身体を起こそうとした。

 ――が、美雪を後ろから抱いたままだったこともあって、片手を伸ばして時計のアラームを止める。


 美雪もその音で目が覚めたのか、ビクッと身体を震わせた。


「ヤバい、美雪起きろっ! 雪なんだから、いつもより時間ないぞ」


「――ふえっ? ウソっ!?」


 貴樹がガバッと布団を跳ね上げると、美雪も慌てて体を起こした。


「ほら、早く着替えて来いよ。急ぐぞ」


「う、うんっ!」


 顔を洗おうと急いで部屋を出ていく貴樹を目で追ってから、美雪もコートをサッと羽織ってから、着替えるため家に急いだ。


 貴樹が学校に行く準備をして玄関に降りると、既に制服姿にチェンジした美雪が待っていた。

 着替えるために一度全部服を脱ぐ必要があってか、寒そうに震えていた。


「さむい……」


「仕方ねーだろ。……別にあの服じゃなくても良いんだぜ?」


 家を出て、ふたり手を繋いで雪の積もった歩道を滑らないよう慎重に歩く。


「えー、貴樹はどっちが好きなのよ?」


「そりゃ……。でも、制服も似合ってると思うぞ?」


 そう言いながら、貴樹は美雪をじっと見る。

 ダッフルコートを羽織っているから制服はほとんど見えないが、短めのチェックのスカートがちらちらと目を誘う。


「そ、そう……? なら次の週末は制服持っていこうかな」


 美雪は目を逸らしながら、そう呟く。

 頬が赤いのは寒さだけのせいではなさそうに見える。


 と――。


「――きゃっ!」


 当然、歩道が傾斜しているところで足を滑らせた美雪が、小さな悲鳴を上げる。

 貴樹が咄嗟に手を引くが間に合わず、そのまま尻もちを付いてしまう。


 頭を振ってすぐに立ち上がるが、湿った重い雪でお尻に染みができてしまっていた。


「冷たぁ……っ!」


 溶けた雪が染み込んできたのだろう。

 美雪は苦い顔をしながらポケットからハンカチを取り出すと、少しでもとスカートの上から押し当てる。


「大丈夫か?」


「大丈夫じゃないけど、仕方ないよね。行こ」


「おう」


 濡れたところはそのうち乾くだろうと諦めて、先を急いだ。


 ◆


「…………マジか」


「調べておいたら良かったね」


 その後、駅に着いたふたりだったが、そこに書かれていた掲示を見て愕然とする。


『本日、積雪のため午前運休。午後から天候により再開予定』


 そんな掲示があり、同じように通勤・通学で使っていると思われる人たちも、それを見てため息をついていた。


「……美雪、どうする?」


「とりあえず学校に電話してみる?」


「だな。ちょっと待ってて」


「うん。私、証明書もらってくるから」


 貴樹は持っていたスマートフォンで高校に電話をかける。

 その間、美雪は遅延証明書をもらいに窓口に行った。


 電話で確認した結果はこうだった。

 ・学校は休校にはならない

 ・遅延・運休の証明があれば、公休扱いになる

 ・安全第一で、自己判断しろ


 それを踏まえて、貴樹は美雪と相談する。


「……らしいけど、どうする?」


「頑張れば行けなくもないけど、私は休みたいなぁ。貴樹は?」


「美雪が休むなら、俺も休むわ。勉強するなら、美雪に教えてもらったらいいし」


 貴樹がそう言うと、美雪は含んだような笑みを浮かべた。


「にひひ、私の受講料は高いよ? ま、貴樹なら出世払いで良いけどね」


「……もう払いきれないくらい溜まってんじゃねーか、それ」


 呆れるような仕草の貴樹の腕を取って、美雪は彼の顔を見上げた。


「んふふ、お金で払えるようなものじゃないから。……でもひとつだけチャラにできる手段があるんだよ? 当然、その覚悟はしてるんだよね」


 そして美雪は家へと帰る方向に向かって、貴樹の腕を引いた。

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