第64話 もう、私で楽しまないでくださいよ
「はい、お茶」
瑞香がトレイに載せたティーカップをふたつ、勉強机の上に並べた。
カップからは紅茶だけではない、フルーツのような香りがほんのりと漂い、ラベンダーの香りと混ざりあって部屋を満たす。
「これってなんの匂い?」
優斗はカップを手にしながら、鼻を近づけてくんくんと香りを確認しつつも、首を傾げる。
しばらく考えてみたものの、よくわからなくて瑞香に尋ねた。
「これはいちごとバニラの香り……みたい。でも紅茶になるとよくわからないよね」
「へぇ……」
答えを教えてもらってから、もう一度香りを確かめる。
確かにそんな気もするけれど、頭に浮かんだイチゴのイメージと香りが一致しない。
「……バニラはともかく、そもそもイチゴってそんなに香りあったっけ?」
イチゴを食べるとき、甘酸っぱい味のイメージはすぐに浮かんできたけれど、香りはあまり記憶になかった。
しかし瑞香は首を傾げる。
「そうかな? どっちかというと、噛んだときに香りが広がるというか。私はそんな感じがするけど」
「うーん……。次食べるとき、覚えてたら。……でもこんな紅茶、初めて飲むよ」
「私もちょっと前に美雪さんに店を教えてもらったの。すっごいいっぱい種類があって。それでおすすめのものを選んでもらったの」
瑞香もソーサーごとカップを手にして、ベッドサイドに腰かけると、香りを確かめながらひと口飲み込んだ。
そして、にっこりと微笑みながら話す。
「ふふ、でも淹れる前の葉っぱの香りと、淹れたあとの香りもまた違って感じるの。不思議だよね」
「そうなんだ……」
優斗は相槌を打ちながらも、目を閉じてカップに口を付ける瑞香を見る。
ふわりとしたメイド服と、落ち着いたグリーンの模様が刻まれたティーカップが妙にマッチしていて、これまで見慣れていた瑞香の印象とは大きく異なって見えた。
自分と同い年であるはずの彼女が、なんとなく突然大人びて見えて……。
そのとき、はっと気づく。
(……ずっと僕のほうが大人だって思ってたけど、全然そんなことないじゃないか)
瑞香とは中学校が違うから、学校生活がどんな感じなのかはわからない。
ただ、話に聞いていたのは、運動部にも入っていなくて、図書室によく通うような地味な性格だということくらいだ。
容姿もその通りで、同じように眼鏡を掛けているにしても、明るくサバサバとして見える美雪とは違って、暗く見えた。
一方、自分はサッカー部に入ってそれなりにレギュラーで活躍していた。
サッカーの実績なら、美雪と最近付き合い始めたという1つ上の彼氏にも勝っているはずだ。
それは余談としても、充実した中学生活を送っていたから勘違いしていた。正直に言うならば、多少見下していたところもあった。
けれど、改めて今の瑞香を見ていると、学校の成績にしても日常でのことにしても、自分より瑞香のほうが地に足が付いているように思えた。
従姉弟の美雪や、この前にメイド喫茶で会った先輩達に少しでも近づこうと思って上ばかり見ていたけれど、気持ちだけが空回りして足踏みしていたことに気づく。
「……どうしたの?」
難しい顔をしていた優斗に、目を開けた瑞香が声を掛ける。
その声で優斗は慌てて顔を上げた。
「あ、いや。なんでもないよ。……さ、早く続きしようよ」
「そうだね。じゃ、次は現国やろうか。頑張って」
「おう」
優斗は飲み干したカップを勉強机の端に寄せる。
それを瑞香はトレーに乗せてから、いったんトレーごとスツールの上に置いた。
そして、古文の参考書を棚に仕舞って、代わりに現国の問題集を棚から抜き取る。
「……漢字は自分で覚えてね。えっと、長文読解からやろうか。ここから順に……」
瑞香は問題集の基礎問題を飛ばし、応用問題のページを開く。
試験までの期間が残り少ない今となっては、レベルの低い問題に時間をかける余裕はない。そう思ってのことだ。
「じゃ、やっていくよ」
「うん。読解はたぶん時間かければ答えわかると思うから。まずは時間かかってでも、自分で答え導いてね。……私、片付けてくるね」
説明しながら、瑞香はトレーを手にして、ティーカップを片付けるために部屋から出ていった。
ひとり部屋に残った優斗は、集中して問題文を読み始めた。
◆◆◆
瑞香が優斗と会った日の夕方、美雪は瑞香の家に様子を聞きに来ていた。
ラベンダーの香りが漂う瑞香の部屋に招かれた美雪は、既に私服へと着替え直していた彼女に尋ねた。
「……それで、どうだった?」
瑞香の雰囲気から、悪い感じではなかったとは思っていた。
しかし、瑞香は複雑そうな表情を見せた。
「うーん……。よくわからないです。勉強はすごく真面目にやってくれてましたけど……」
最初こそ、瑞香のメイド服に驚いていたものの、それ以降は特に以前に比べて目立った変化はなかったように思えた。
「そう……。でも、別に嫌がられてるワケじゃないのよね?」
「はい、それはたぶん。明日も一緒に勉強することになりましたし……」
「へー、それは脈ありありね。ふふ、じゃ明日も頑張らないとね」
含んだ笑みを浮かべた美雪は、瑞香を上から下まで舐めるように見た。
瑞香はぱっと見では地味だが、ゆったりとした普段着でも、よく見ればスタイルの良さがわかる。
その視線を感じて、瑞香はぞくっと身震いをした。
「……美雪さん。ちょっと視線が怖いんですけど」
「あはは、ごめんごめん。これからが楽しみだなーって」
笑いながら弁明する美雪に、瑞香は口を尖らせた。
「もう、私で楽しまないでくださいよ。……明日も頑張りますケド」
拗ねたような口調で言いながらも、瑞香はハンガーに掛けてあるメイド服に視線を移した。
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