第59話 ん。私もだよ……

「……ん?」


 夕方、周囲が薄暗くなった頃。

 貴樹が外出から帰ってくると、部屋の明かりを点けてすぐに、自分のベッドでぐっすりと寝ている美雪の姿を見つけた。

 こんもりと膨らんだ布団がゆっくりと上下していて、部屋に戻ってきた自分には全く気づいていないようだ。


「相変わらずだな……」


 呆れつつも、彼女らしいとも思って、じっと間近で観察する。

 相変わらず眼鏡を掛けたまま。

 たぶんもともと寝るつもりじゃなかったんだろうな、と思うけれど、結局寝てしまうのも彼女らしいところだ。


(そういや、誰かと会う予定があるとか言ってたっけ?)


 その用事が終わったのだろうか。

 来るなら一言連絡くらい入れてくれれば良いものを、全く何も言わずにふらっと現れて、自分の部屋のようにくつろいでいるのもいつものことで。

 ただ、それが家族のようで安心するのも事実だ。


 その柔らかい頬っぺたをつんつんとつついてみる。

 ……起きない。


 鼻をつまんでみる。

 ――ぷはっ。


 息ができなくて、しばらくすると口を開けて息をし始める。

 けれど、それでも目が覚めない。


 ふぅ、とため息をついて、美雪の耳元で囁く。


「美雪、愛してる」


 すると――。


「私も」


 と、予想外に返事が返ってきて、貴樹は「おわっ!」と声を上げた。


「あっははは!」


 見れば、ぱちっと目を開けていた美雪が笑いながら貴樹のほうを見ていて。


「いつの間に起きてたんだよ」


「んー、部屋に電気が点いたときから?」


「マジかよ……」


「んふふ、貴樹をびっくりさせようって思って。……それにしても、鼻つまむのはひどいなぁ」


 口を尖らせる美雪だけれども、頬はほんのり朱に染まっていた。

 それはきっと、それまで布団で暖まっていたからだけではないだろう。


「……でも、さっきの言葉、もう一回言ってくれたら許してあげるよ? ほらほら」


 悪戯な笑みで言う美雪に、貴樹は苦い顔で返した。

 こんな状態で面と向かって言うのは恥ずかしすぎる。


「えー、嫌だよ」


「うわ、寝てるときには言えるのに、起きてたら言えないなんてヘタレね」


「……ぐ」


 言葉に詰まるが、恥ずかしいものは恥ずかしい。

 せめてもっとムードがあるときに、と思っていると、美雪にぐいっと手を引かれて、貴樹は彼女に覆い被さるようにベッドに倒れ込んだ。


「こうやって押し倒されても、私は構わないんだよ……?」


「……はは。美雪も変わったな」


「んーん、変わってないよ。ずっと一緒。……貴樹を取られないように見張っておくの」


「そうか」


 しばらく間近で顔を見つめ合ったあと、貴樹はそっとキスを落とす。

 美雪はゆっくりと目を閉じながら、彼の背中に両腕を回してしっかりと抱きしめた。


 そして、唇が離れたあと、貴樹は美雪の耳元で息を吹きかけるように囁く。


「美雪、愛してる」


「ん。私もだよ……」


 美雪は嬉しそうに応じつつ、「さっきの言葉は撤回してあげる」と続けた。


 ◆


「おおー、ドーナツ!」


 そのあと、ベッドから出てきてコタツに入った美雪は、貴樹が持って帰ってきていた紙袋を見て目を輝かせた。

 それは有名なドーナツチェーン店の袋だ。

 早速、勝手に中を改めつつ、物色を始めた。


「美雪が好きそうなの選んでるからな。どれでも持って帰っていいぞ」


「え、ここで食べないの?」


「もうこんな時間だろ? 今食べると晩飯食べれなくなるぞ?」


「むむぅ……」


 確かに時計を見ると、そろそろ家に帰って夕食を食べないといけない時間だ。

 今食べるわけにはいかないと思えた。


「じゃあ、あとでまた来るから。一緒に食べようよ」


「それはそれで太りそうだけどなぁ……」


「大丈夫だって。このくらい、明日余分に運動したら大丈夫だよ」


「……運動するのか?」


「たぶんしない」


 美雪の返答に呆れた顔の貴樹は「まぁ良いけど……」と呟いた。


 ◆


「……私、いとこがふたりいるんだけどね。どっちもいっこ下」


 その夜、ドーナツを食べながら美雪が話し始めた。

 お風呂にもすでに入ってきているから、今は寝衣姿で。何も言わないが、そのまま泊まって帰る気満々だと思えた。


「そーいや、前に言ってたな。今年受験か」


「ん。男の子と女の子。で、ふたりとも中央志望なんだよね。面白いのが、女の子のほうはその男の子が好き好きオーラ出してるんだよー」


 中央というのは、自分たちが通っている姫屋中央高校のことだ。


「へー」


「あ、もう一個ドーナツ貰うね。……で、男の子の方は、それに気づいてないってよくあるパターン。貴樹と一緒だね、あははー」


 美雪は新しいドーナツに手を伸ばしつつも、貴樹の顔を下から見上げて笑う。


「……そりゃ、あれだけ毎日小言を言われて、まさかって思うだろ……」


 貴樹は呆れて答える。

 改めてその頃のことを思い返しても、どこをどう見たら美雪が自分のことを好きだ、なんて気づくだろうかと思う。

 ただ、後で陽太や亜希に聞くと「わかってた」と言っていたから、自分が鈍感なだけかもしれない、とは思ったが。


「それは貴樹がダメダメだったからだよー」


「……だから、ダメダメなのになんでだよ、ってこと」


「う……」


 貴樹に問われて、美雪は顔を真っ赤にしてしばらく固まったあと、小さな声でボソボソと答えた。


「……いつでも優しい。小言言っても怒らないし……。話聞いてくれるし……。慰めてくれるし……。私が困ったとき絶対助けてくれるし……」


「そ、そうか……」


 貴樹は話を聞いていて、なんとなく恥ずかしくなってきて頬を掻いた。

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