第36話 さっき来たところだから

「それじゃ、俺は先に行ってるから」

「うん……」


 貴樹が玲奈と相談して決めた約束の時間より少し早く、ふたりは待ち合わせ場所の近くに来た。

 このあと、貴樹は一足先にその店――美雪と玲奈が話をする予定の――へと向かう予定にしていた。


 別れる前、右手で彼女の髪を梳くようにしながら後頭部に手を添え、そっと自分の胸に抱きかかえる。

 そして、反対の左手で背中をポンポンと叩いた。


「なんかあったら、すぐ呼んでくれよな」

「……ん、ありがとう。あとでいっぱい褒めてよね」

「ああ。任せとけ」


 貴樹はそう言いながら、彼女から身体を離して背中を向けた。


 ◆


「おかえりなさいませ! ご主人さま!」


 貴樹を迎え入れたアルバイトと思われる小柄なメイドさんは、とびきりの笑顔で挨拶をした。


 待ち合わせの場所は亜希がバイトしているメイド喫茶を選んだ。

 できるだけ暗い雰囲気にならないようにとの貴樹の考えだった。


「あー、連れが先に来てるはずなんだけど」


 貴樹がそう答えると、メイドさんは店内を見渡す。


「はいっ! あちらのご主人さまですねっ! お伺いしておりますっ」


 彼女が綺麗に指を揃えた手で指し示した先には、陽太が手を振っていた。


「そうそう、間違いないよ」

「では、ご案内いたしますっ!」


 貴樹は前を歩くメイドさんに案内され、陽太の待つテーブルに着いた。


「オッス、遅くなったな。すまん」

「別に良いって。俺も10分くらい前に来ただけだし。……メイドさん見てたら飽きないしね」

「はは。そーいや、聞いてなかったけど、陽太は亜希と付き合ってるんだよな?」


 貴樹は、陽太と亜希が手を繋いでいるところを以前に見かけていた。

 そのことを聞いたのだ。

 しかし、陽太は意外にも驚いた顔を見せた。


「――え、知ってたの?」

「前に手を繋いでるところ見かけてな。……まぁ、写真は撮ってないけど」


 陽太なら間違いなく写真に収めているだろうが、急だったこともあって貴樹は目に焼き付けただけだった。


「これはやられたなぁ」

「どうせ隠してる訳でもないんだろ?」

「そうだけどね……」


 苦笑いしながら陽太は頭を掻いた。


「思ったんだけど、亜希がここでバイトしてるってことなら、家で着てくれたりしないのか?」


 ここでメイドさんを見るのが好きな陽太なら、当然そういうこともあり得ると思って聞いてみた。


「いや、恥ずかしいって言って、着てくれたりはしないな。何度も頼んでるんだけどね」


 しかし、意外にもそれは否定された。


「そりゃあ残念だな」

「ほんとーにね」


 嘘だという可能性もあるけれども、心底がっかりそうにする陽太の様子からは、そんな感じには見えなかった。


(……もともとバリバリ引っ込み思案な美雪なのに、メイド服着てくれるのって相当だよなぁ)


 そう考えると、亜希のようにバイトでウェアが支給されている訳でもないのに、わざわざ自分でメイド服を準備して、さらにはそれを毎日着てくるのは相当勇気のいることだと思えた。

 今なら、その全てが自分に対する想いだったことがわかる。


(本当、これまで悪いことしたな……)


 それにも気づかず、それまでずっと自分のために世話を焼いてくれていたのにも気づかず、口煩いと思ってしまっていた。

 どれほど不安で辛い思いをしたのか。

 自分が彼女の立場だったと思えば、それもなんとなく理解できた。


「……貴樹? どうしたの、ぼーっとして……」


 そんなことを考えていると、周りから見てぼーっとしていたように見えたのか、陽太が声を掛けた。


「ああ、悪い悪い。別になんでもないよ」

「そう。……注文する?」

「そうだな」


 陽太に促されて、貴樹はメイドさんを呼ぶ呼び鈴を「チリーン!」と鳴らした。

 メイド喫茶ということもあり、味気ない機械のボタンなどではなく、当然アナログだ。


「はいっ! おまたせしました、ご主人さま!」

「抹茶ラテをひとつ頼むよ」

「承知いたしましたっ! ご注文は以上でよろしいでしょうか?」

「ああ」


 貴樹はいつもの抹茶ラテを頼んだ。

 陽太は先に頼んでいたようで、既にテーブルの上には飲みかけのキャラメルラテが置かれている。


 しばらくして、頼んでいた飲み物が運ばれてくるタイミングで――店の入口が開く鈴の音が響いた。


 ◆


 ――その少し前。


 美雪はメイド喫茶の入るテナントビルの入口付近で、ひとり緊張して待っていた。

 そこに玲奈が歩いてくるのに気付き、顔を向ける。

 すると、珍しくも緊張したような声で、玲奈が先に口を開いた。


「……美雪、待たせた?」

「ううん、さっき来たところだから」


 美雪の返答に、『デートの待ち合わせのカップルみたいだな』と思った玲奈は、少し表情を和らげる。

 とはいえ、あながち間違いでもない。

 カップルがその時を恋い焦がれているのであれば、自分も似たようなものだ。


「今日は無理言ってごめんなさい。……それじゃ、行きましょうか」

「う、うん……」


 逆に緊張したままの美雪は、先に歩き始めた玲奈の後ろを、おどおどした様子で付いていく。


「……美雪はこの店来たことあるの?」

「一度だけだけど……。貴樹と」

「そう。それじゃ、色々教えてね。私、こういう店初めてだから」


 そう言ってから、玲奈はメイド喫茶の扉を開いた。

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