第35話 頑張ってもいいよ……?
「……ぶっちゃけて言うと、美雪に謝りたい、ってことでいいのか?」
貴樹が真意を尋ねると、玲奈は小さく頷く。
「……ええ」
その返答を聞いて、貴樹はしばらく黙って考え込んだ。
(美雪はどう思うかな……?)
もし自分が同じ立場ならば、素直に謝罪など受け容れることができるだろうかと。
それに、時間が経ちすぎてもいた。
貴樹が調べた玲奈の中学時代は充実していたように見えて、美雪のことを気にしていたなどとは思えなかった。
「……なんて言うか、流石に今更すぎねぇか? スッキリしないってのは分かるけどさ。そんなに気にしてたんなら、電話でもなんでもできたんじゃないか?」
貴樹がはっきりと自分の考えを伝えると、玲奈ははっとして俯く。
「…………そうね。……そうかもしれない……」
それだけ呟くと、玲奈は俯いたまま黙ってしまった。
貴樹の言うことが胸に突き刺さり、何も反論できなくて。
(結局……私は自分のことしか考えてないのかも……)
美雪に謝ったその先にあるものはなんだろうか。
そう自問自答してみるものの、つまるところ、自分がすっきりしたいだけではないのか。
謝ることで罪を償ったつもりになりたいだけではないのか。
貴樹も何も言わず、しばらく無言の空気が流れた。
しかし玲奈はもう一度顔を上げる。
「……貴樹くんの言うとおり、今更かもしれない。でも……だからといって、美雪と話をしないまま、このまま大人になったら絶対後悔する。そう思って、ここに来ているの」
そのために、母に頼み込んで美雪が通うこの高校に転校させてもらったのだから。
訴える玲奈の真剣な顔を見て、貴樹は迷いつつも答えた。
「そうか。……しばらく考えさせてもらうけど、いいか?」
「ええ。構わないわ。……私の連絡先、渡しておくから」
「わかったよ。じゃあな」
貴樹は玲奈から電話番号を受け取ると、軽く手を上げてその場を後にする。
その背中を玲奈はじっと見つめていた。
◆◆◆
――ガツンッ!
力任せに机にビールジョッキを叩き付ける音が、リビングに大きく響く。
その衝撃で、少し中の液体が飛び散って、テーブルの上を濡らした。
叩き付けた当人は、「ちっ……」と舌打ちしながら布巾でそれを拭う。
近くに起立していた少女は、その様子を怯えるような目で見ていた。
いつものことではあるが、気持ちいいものじゃないことは間違いない。
「――で、玲奈。また2番か?」
「…………ごめんなさい」
今日返ってきた模試の結果を横目に、髭を生やした男は玲奈を睨む。
「たった60人しかいないんだ。一度も1番が取れないってのはどういうことだ? 馬鹿が」
「……ごめんなさい、お父さん」
玲奈は同じ言葉を繰り返す。
それを見て、父親の隆太は順位が書かれた紙を、玲奈の頭に向かって投げつけた。
「小学校の問題なんて、できて当然。満点取れば1番。誰でもわかる。そんなことが、何度言ってもできないのか?」
隆太は声を荒らげるが、今まで玲奈がいくら頑張っても、全教科満点を取ることなどできなかった。
そして、いつも玲奈のひとつ上の順位には同じ少女がいた。
「塾の時間、増やすからな。いくら金がかかってると思うんだ。サボるんじゃないぞ」
「……はい」
小さな声で玲奈は返事をする。
そう答えないと、もっと怒るのは目に見えている。
ただ、元気のない声に苛立ったのか、隆太はまた舌打ちをする。
「ちっ、部屋に戻って勉強してろ!」
「……はい」
俯いて返事をしたあと、玲奈は自室に戻る。
模試の結果を見た時から、こうなるのはわかっていた。覚悟していたとはいえ、本当に嫌な時間だった。
(1番になれば、怒られることなんてないのに……)
今までずっとそう思って必死で頑張ってきたけれど、今回も駄目だった。
運動もできない、友達もいない、そういう鈍臭いひとりの地味な少女が、ただひたすらに憎い。
これまでもずっとその子が嫌いで、仲のいい友達と一緒になって虐めていた。
それなのに、成績だけはいつも勝てなくて。
(……美雪なんて、死んでしまえば良いのに……!)
玲奈は勉強机に着くと、悔しくて机を拳でドンと叩く。
そして零れ落ちた涙が机を濡らした。
◆
「……最悪」
貴樹と放課後に話をした翌日――土曜日の朝。
玲奈はベッドでうっすらと目を開けながら、ひとり呟いた。
きっと、それを思い出すような話を昨日したからだ。
枕を見ると、自分が寝ている間に溢したのだろうか。涙で染みができていた。
(4年も前なのに……)
玲奈が見た夢は、あの事件の少し前のことだ。それほど前なのに、夢はあまりにも鮮明で――。
あの頃は毎日のように酔った父に怒られていた。時には暴力も振われた。
そして――魔が差して――美雪さえいなくなればと、ため池に突き落としたのだ。
その結果、今となっては幸いと言うべきか、貴樹が溺れかけた美雪を見つけたことで助かった。
死人に口なしと言うが、死んでいればもちろんバレることはなかっただろう。
ただ、彼女は助かったにも関わらず、自分に突き落とされたことを誰にも言わず、ただの事故――不注意で落ちたこととして処理されたのだ。
(私を恨んでないわけがないもの……)
とはいえ、間違いなく自分を恨んでいるはずだ。
自分は小学校を卒業すると同時に、両親の離婚を機に、母と共に引っ越した。
美雪は……どう思っているのだろうか……?
きっと、自分がいなくなってほっとしただろう。
それなのに、今戻ってきた自分が、更に彼女に負担をかけようとしているのか。
ならば、それをするのは彼女の傷跡を更にえぐるような、自分勝手な行為だといえる。
「……起きよう」
そう思いながら、玲奈はゆっくりと体を起こした。
◆
――同じ頃。
美雪は朝から貴樹の部屋に行き、彼がまだ寝ていた布団に頭から堂々と潜り込んでいた。
すり寄るように、彼の胸に額を当てて、小さく呟く。
「……玲奈と会うのは怖いよ……」
昨日の夕方、亜希とお茶をしてから帰ると、貴樹からの相談があった。
『玲奈が話がしたいらしい』と――。
あれから一晩考えてはみたが、どうしても会って話す勇気は出なかった。
「……悪い。やっぱそうだよな。どうしたもんかなぁ……」
貴樹も美雪の気持ちはわかる。
いくら最近落ち着いてきたとはいえ、これまでずっと彼女の重石になっていたのだから。
ただ、玲奈と話をしてみて、いつまでもこのままでいいのか、という思いもあった。
そう考えながら、慰めるように美雪の髪をそっと撫でていると、ぽつりと彼女は呟く。
「……でも、貴樹が近くにいてくれるなら、頑張ってもいいよ……?」
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