第27話 もう……相変わらずね……

「お母さん、ただいまー」


 美雪は雪子を心配させないように、精一杯笑顔で帰宅の挨拶をした。

 顔を合わせてすぐ、雪子は声を上げた。


「美雪! 大丈夫なの⁉︎ 連絡ないから心配したわ……」

「うん、大丈夫。貴樹のおかげ」

「そう……。良かった」


 毎日顔を合わせていても、美雪は心配をかけないようにと、元気そうに振る舞っていた。

 ただ、それでも日々やつれていく顔が心配だった。

 そこにきて、ふらっと家を出て半日連絡がつかなかったのだ。心配しないはずがない。


「それとね、実は私、貴樹の彼女になったんだよ? ついさっき……」

「えっ、そうなの……? 何があるかわからないものね……」

「あはは、私もびっくり。だからもう心配しなくていいよ」

「そう。なら、今晩はお祝いね」


 娘がずっと片想いしていたことを知っている雪子は、ようやくそれが叶ったことを盛大に祝ってあげたかった。

 その相手が貴樹なら、心配もないだろう。


「え、別にそんな。……あ、あと今晩泊まってくるから。土曜日だし」

「そう。早くもお泊りねぇ……。構わないけれど……」

「貴樹なら心配ないよ、たぶん……」


 これまで自分が嫌がるようなことは一度もしなかったのだ。

 だから大丈夫だと信じていた。


 しかし、雪子は「ちょっと待ってて」と言って、どこかに行ってしまう。

 そして、戻ってきたその手には小さな紙袋を持っていた。


「一応、あげるわ。無くなったら自分で買いなさいよ」

「……うん」


 美雪はそれが何かすぐにわかって、恥ずかしくて俯きながら受け取った。


「……それじゃ、晩御飯すぐ作るから、ちょっと待っててね」

「ありがとう、お母さん」


 話を終えて、美雪は一度自室に戻った。

 コートを脱いでベッドに寝転がると、つい笑みが浮かんできた。

 今まで生きてきて、これほど嬉しかった日はたぶんなかった。

 このあとまたすぐに会える。

 それも楽しみで、少しでも体力を回復しておこうと目を閉じた瞬間、美雪は眠りに落ちていた。


 玲奈のことなど、もう頭のどこにも残っていなかった。


 ◆


 ――コンコンコン。……ガチャ。


 貴樹の部屋の扉が3回ノックされる。

 いつもと同じリズム。3回目だけ、ほんの少し遅めで叩かれるのも変わらない。

 そして、部屋の主の返事も聞かずして扉が開けられることも変わらない。


「やっほー、待った?」


 ベッドに座って本を読んでいた貴樹に、美雪はデートの待ち合わせのように軽い口調で声をかけた。


「待ったといえば待った……かな?」

「んふふ。あ、布団が温まってない……」

「あ、悪ぃ。俺まだ風呂入ってないわ」


 コートを脱いで、中に着ていたふわふわのパジャマ姿になった美雪は、貴樹の横に座った。


「ふーん、まだ寝るには早いし別にいいけど。……何読んでるの?」

「ラノベっていうのか? なんとなくこの前買ってみたんだけど……」

「そんなの読むんだ。意外……」


 貴樹が読書をするのをあまり見たことがなく、まだ彼の知らないことが多いのもよくわかった。


「陽太に勧められて。主人公に同姓同名のイケメンがいるって設定のラブコメで……」

「へー、読み終わったら貸してよ」

「良いぜ。……じゃ、俺風呂入ってくるわ」

「うん。待ってる」


 貴樹は本を勉強机に置いて、貴樹はパジャマと下着を持って部屋を出ていった。

 それを見送った美雪は、体が冷えないように先に布団を温めておこうと、するりと彼のベッドに潜り込んだ。


(やっぱ……この布団気持ちいい……)


 良いものなのかどうかわからないけど、自分が使っている布団よりも軽いのに、ふわっと柔らかくて、それでいて温かい。

 なによりも、大好きな彼の匂いがほんの少し残っていて、頭がくらくらする。


(……あ……ヤバい。貴樹が戻るまでに寝ちゃい……そう……)


 あっという間に頭に霞がかかる。

 さっき2時間くらい昼寝――いや、夕寝か――をしたけれど、これまでの寝不足を解消するには至らなかった。

 せっかく貴樹と付き合うことになって、いっぱい話がしたいと思っていたのに。



「すぅ……すぅ……」


 貴樹が早めに風呂を済ませて部屋に戻ったときには、ベッドのど真ん中で気持ちよさそうに寝息を立てている美雪がいた。

 ここ数日、全然寝られなかったと言っていた彼女が、こうしてぐっすり寝ていることにほっとする。


 そっとベッド脇に座って、無造作に彼女の髪を触る。

 完全に乾かす前に急いで来たのだろうか。まだ風呂上がりの湿気がほんのりと髪に残っていた。


「相変わらず……眼鏡くらい外して寝ろよな……」


 いつも部屋で寝ているときどうしているのか心配になるが、そっと彼女の眼鏡を外してベッドの宮棚に置いた。

 滅多に見ることのない彼女の素顔は、相変わらず可愛らしくて。

 そんな美雪が無防備に寝ている様子から、自分をそれだけ信頼してくれているのだとわかるし、その信頼に応えないといけないと思う。


(ただ……玲奈のことがなくなった訳じゃない……)


 いったん落ち着いてくれたとはいえ、転校してきた玲奈と顔を合わせることもあるだろう。

 貴樹にはそれが心配の種だった。


(……俺がなんとかしないとな)


 ひとしきり髪を撫でたあと、貴樹は自分も体が冷えないように、彼女が温めてくれた布団に入る。

 そして、間近で美雪の横顔を眺めた。

 まだ少しやつれた感じは残っていたが、今日ゆっくり寝たらきっと大丈夫だろう。


 ベッドのど真ん中を占拠している美雪に気を遣いながら横に場所を作ると、貴樹も目を閉じた。


 ◆


「ん……?」


 深夜、ふと美雪は目を覚ました。

 まだ周りは真っ暗で、宮棚に置かれたデジタル時計の明かりがほんの少し部屋を照らしている。


 横を見れば、布団から半分体をはみ出して寝ている貴樹がいた。


「もう……相変わらずね……」


 それは自分がど真ん中で寝ていたせいだということには気付かずに、美雪はぐいっと彼をベッドの中ほどまで引き摺り込むと、しっかりと布団を被せた。


「んふふ……。ぎゅーっ……」


 そして、彼の少し冷えた体を、自分の体温で温めるように、横から強く抱きつく。

 昨日までの自分なら、ここまで密着するのは恥ずかしくてできなかっただろう。

 でも今は気にしなくてもいい。

 ほんの数センチ前にある彼の頬にちょんとキスをして、胸いっぱいに幸せを感じながら、美雪はもう一度目を閉じた。

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