第6話 ――も、もういいでしょっ!

 ――翌朝。

 いつものように、美雪は貴樹の部屋に来た。


「……かわいいなぁ」


 ベッド脇にしゃがみ込んで、ぐっすりと寝ている彼の寝顔を間近で堪能しつつ、美雪は頬を緩めた。

 こうして毎朝起こしにくるのも、中学校に入った頃くらいからだから、もう3年以上経つ。

 昨日助けてくれたときの彼はカッコよく思えたけど、この寝顔は以前と同じように幼く見えた。


 ちらっと腕時計を見て、そろそろかとひとつ深呼吸した。

 そして、彼の耳元に甘い声で囁く。


「……ご主人様、朝ですよー。起きないとぱくっと食べちゃいますよー? ふふ……」


 とはいえ、いつもの経験から、そのくらいで彼が起きることはないと知っていた。


 ――ただ、その日は違った。


「何を食べるんだ? 美雪……」

「――――ふわあっ!!」


 目を閉じたまま彼が突然口を開いて、びっくりした美雪は裏返った声を上げた。

 そのまま仰け反って、ぺたんと床にしゃがみ込む。


「――い、い、いつから起きてたのよっ!」

「美雪が部屋に入ってくる前から」


 目を開けた貴樹は体を起こしながら、メイド服姿で呆然としている美雪を見下ろした。


「お、起きてるなら、そう言いなさいよっ! もう――」


 美雪はそこまで言って、はっと気づく。

 最初から彼が起きてたのなら、聞かれてないと思って言った、さっきの言葉も聞かれていたということに。

 顔が青ざめていくが、頭を振ってそれを振り払う。


「――ほ、ほらっ! もう起きる時間なんだから、早く顔洗ってきなさいよっ!」


 しかし、貴樹は頭を掻きながら言った。


「そんな大声出さなくても。……さっきみたいに言ってくれよ」

「――――っ!!」


 美雪は面食らって目を丸くする。

 しばらく口をパクパクさせていたが、やがてもじもじしながら小さな声を絞り出した。

 頬を染めた顔で、上目遣いをして。


「……ご、ご主人様。も、もう時間がありませんので……ご準備くださいませ……」


 ◆


(ヤベぇ……!)


 自分で頼んだことだが、まさかあの美雪が素直に聞くとは貴樹は思っていなかった。

 いつものように罵倒されるのが関の山だと。

 だが、予想は覆された。


(美雪に何があったんだ……⁉︎)


 ここ数日の彼女の変貌ぶりに、逆に面食らったのは貴樹の方だった。

 しかし、考える時間を与えてはくれなかった。


 美雪は顔を真っ赤にしたまま彼の手をグイッと引くと、強引にベッドから立ち上がらせる。


「――も、もう十分でしょっ! ――早く出てけー!!」


 そして、貴樹は自分の部屋から追い出された。


 ◆


「はぁ……はぁ……」


 彼を部屋から追い出したあと、美雪は肩で息をしながら、まだ湯気が出ている頭をぶんぶんと振った。

 彼のベッドに座ると、両手で顔を押さえた。


(……やっぱ恥ずかしすぎるぅ)


 昨日見た動画のように、さらっとメイド役をこなすのは無理だ。特に彼の前では。

 それに、こんな格好をしてきているにも関わらず、いざ彼と向き合うと素直になれない自分にも腹が立った。

 昨日改めて誓ったばかりなのに。

 そんな中途半端な自分に苛立って、なかなか落ち着けなかった。


 でも、幼馴染っていう今までの関係が壊れて、もし気軽に会えなくなるとしたら、それはもっと嫌だ。


 あまりに距離が近すぎて、あと一歩踏み込む勇気が出なかった。

 なにしろ、寝ている彼の部屋に顔パスで入れるほとの関係なのだから。それは恋人同士ですら、なかなかいないとさえ思えた。


 それを変えようとこんな格好をしてるのだと思えば――もう、やり切るしかない。

 他の誰かに盗られるなんて、我慢できない。


(でも……少しずつ。気づかれないよう、少しずつ……)


 大きく変えるのは怖すぎる。

 全てを失ったら元も子もない。


 美雪は彼の部屋にかけられたカレンダーを見た。

 今はまだ12月に入ったばかり。


(――よし。クリスマスで!)


 Xデーを定めて、美雪は計画を練ることに決めた。


 ◆


 一方、貴樹は歯磨きをしながら、ぼーっと考えていた。


 一昨日、急に美雪がメイド服を着てきたのは、タイミング的に自分が亜希に貰ったチケットで、彼女のバイト先のメイド喫茶に行ったことと関係があるのは間違いない。

 なんで気付かれたのかわからないけど、美雪に隠し事ができないのは前から理解していた。

 どこからともなくバレてしまうのだ。

 だから、部屋にエッチな本の1冊も置いていない。いや、怖くて置けない。


(美雪にあんなところあったって、全然知らなかったな……)


 これまで同性の友達と変わらない感じで軽く接してきていた彼女が、ああいう女の子らしい格好で恥じらうような姿はあまり見たことがなかった。

 口が悪いのは変わらないけど、もう子供とは違うのだと。年頃の女の子だということを痛感した。

 もとより、成績も容姿も抜群なのだ。……運動はダメだけど。

 意識しないわけがなかった。


(部屋に戻るか……)


 貴樹は口を濯ぐと、美雪が待っているだろう自室に向かった。

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