第5話 私、信じてた。

「――なんだお前⁉︎ 1年か? 引っ込んでろ」


 突然現れた貴樹を睨みながら、武田先輩は怒声を上げた。


(相手は全部で4人か。こりゃ、陽太が来てくれないと無理だな……)


 貴樹は考えながら周りを見渡した。

 緊張してはいたが、それでもここで引っ込むわけにはいかない。


「先輩相手でも、そういうわけにはいかないな」

「なら、一緒に痛い目見てもらおうか。――おい」


 声をかけられた3人の男のうち、2人が貴樹に向かってきた。


(今だ……!)


 それを見て、貴樹はすかさず後ろを向いて走った。


「……お、おい! 何逃げてんだ!」


 予想外の行動に、慌てて走って追いかけてくる男2人。

 武田先輩を始め、残された3人は唖然としていた。


(チッ! 3人来てくれたら楽だったんだけどな……。仕方ないか)


 そう思いながら、貴樹はグラウンドの方に向かって走る。

 高校では部活に入っていなかったが、中学では陽太と一緒にサッカー部だった貴樹は、足の速さには自信があった。

 いつもクラスで最下位の美雪とは正反対だ。


 自分が逃げている間は、たぶん美雪に危害が加わることはないだろうと考えての時間稼ぎだった。


「――貴樹!」


 ちょうどそのとき、走る貴樹に横から声がかけられた。

 陽太だ。

 同じサッカー部のTシャツを着た男を5人連れていた。


「陽太! 部室棟のほう頼む!」

「わかった!」


 陽太たちと合流し、すぐにUターンして、部室棟に走る。

 貴樹を追ってきていた男2人は分が悪いと考えたのか、そのまま校舎の方に向かって逃げてしまった。


 ◆


 一方その頃。


「おら、こっち来い!」

「嫌、やめてよ!」


 武田先輩は美雪の腕を掴み、部室の中に引きずり込もうとする。

 それに全力で抗おうとするが、力の差は大きくて、ずるずると靴底が音を立てた。


(貴樹のことだから……何か考えてくれてるはず……)


 そう思って、少しでも時間を稼ごうと力を入れる。


 ちょうどそのとき――。


「美雪!」


 貴樹の声が響く。

 それを耳にした武田先輩を始め、そこにいた全員が声の方に視線を向けた。

 当然、貴樹と一緒にいるサッカー部のメンバーも目に入る。


「――くそっ!」


 武田先輩は舌打ちしつつも、勝ち目はないと考えたのか、美雪から手を離す。

 それを振り解くように、美雪は貴樹の方に走り、彼の体を盾にするように背中に隠れた。


「貴樹……!」


 よほど怖かったのか、その声が震えていた。


「――で、どうします? 先輩」


 サッカー部の部員たちを背後にして、落ち着いた声で陽太が口を開いた。


「……いや、どうにも。何もしないさ」

「ふーん。それじゃ、二度とこういうことしないって、約束してくださいね。――俺、武田先輩の恥ずかしい写真、いっぱい持ってますから」


 そう言うと、自分のスマートフォンから1枚の写真を映し出して、武田先輩の眼前に見せた。


「おまっ――それどこでっ⁉︎」


 急いでそのスマートフォンを奪い取ろうと手を伸ばすが、軽く躱して陽太が笑う。


「どこだって良いでしょ。そもそも、ここ以外にも保存してますからね」

「わ、わかった。もうしない。……その代わり、今日の話もバラさないでくれ、頼む」


 観念したのか、武田先輩はうなだれた。


「だってさ、貴樹はどう?」

「別に俺は構わないよ。……美雪は?」


 背中に隠れている美雪にも聞いてみる。


「私も……良いよ」


 小さな声でそう言ったのを聞いて、陽太が軽い口調で言った。


「よかったね。みんな優しくて。……それじゃ」


 武田先輩ともう1人を残して、貴樹たちは部室棟を後にする。


(……陽太を敵に回したらヤベェな)


 前からよく知っていたことだが、陽太の情報網の恐ろしさを改めて実感する。

 ただ、今回はそれで助けられたことも事実で、そのことには深く感謝した。


 ◆


 陽気に「じゃ!」と言って部活に戻っていった陽太たちと分かれて、貴樹は美雪とふたり、学校を後にする。

 しばらく黙っていた美雪だったが、交差点の信号待ちのときに、口を開いた。


「怖かった……。来てくれて……ありがとう」

「陽太から教えてもらってな。あいつに感謝しろよな」

「うん……」

「――あと、もう呼び出されても行くなよ?」


 貴樹の言葉に、美雪はドキッとして彼の顔を見上げた。


「それって……?」


(もしかして、俺のものだからとか……って意味?)


 美雪は一瞬期待したが、彼は続ける。


「断るだけなら、別に行かなくても方法はあるだろ?」

「……うん、そうだね。……ごめんね、もう貴樹に迷惑かけないようにするよ」


 彼に気づかれないように、心の中で少しがっかりする。

 それから家に帰るまで、美雪は何も話さなかった。


 別れ際、美雪は日課のように貴樹の家の前で手帳を確認する。


「……それじゃ、また明日。――明日の宿題は、化学のプリント1枚と英語のワーク108ページから111ページまでよ。忘れないようにね」

「おう。じゃあな」


 軽く手を上げて家に入っていく彼を見届けてから、美雪は隣の自宅に戻った。


 制服をクロゼットに仕舞い、私服に着替えると、そのままベッドに寝転がる。


「……やっぱり来てくれた」


 襲われそうになって怖い思いをしたことよりも、貴樹が来てくれたことが嬉しくて、無意識に頬が緩んでしまうのが自覚できた。

 子供の頃から、彼には助けてもらってばっかりで。

 それを少しでも返したくて、これまで頑張ってきたつもりだったけれど、結局こうして彼の世話になっている自分が情けないと思う。


「なんで私が誰とも付き合わないのか、どうしたら分かってくれるんだろ……」


 自分はずっとずっと前から、彼だけしか見ていないのに。

 鈍感すぎるのか、それとも分かっていてこうなのか。正直美雪にはわからなかった。

 とはいえ、自分から聞くなんて、図々しいことはできない。


「絶対、告白させるんだから……!」


 彼は誰にも譲らないし、自分は彼以外の告白なんか絶対に受けるつもりはない。

 改めて心に誓うと、真剣な顔でベッドから起き上がった。


 そして、スマートフォンを出すと、動画検索をする。「メイド喫茶」と。

 ずらっと出てきた動画の中から適当に選んで視聴し始めた。


「ふむふむ。なるほどなるほど……」


 実際に行ったことがない美雪は、どんなところなのかわからなかった。

 敵を知らないと戦いようがない。孫氏も言っている。彼を知り己を知れば百戦危うからず、だ。

 まずは事前知識を身につける必要があった。


 ひと通り動画を見終えた美雪はぽつりと呟く。


「――これは、実際に行ってみるしかないわね」


 確実に彼を手中に収めるために、なりふり構っていられないとメイド服まで買ったのだ。

 美雪は次の一手を定めて、スマートフォンを置いた。

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