第2話 ――ど、どこ見てるのよっ!

「おはようございます。ご主人様……?」


 月曜日の朝、いつもの時間より少し早く、美雪は貴樹の部屋に行くと、まだぐっすりと寝ている彼の耳元で囁いた。

 しかし彼は目を覚まさない。


「ねぇ……起きて……」


 もう一度、耳に息が掛かるほど顔を寄せて言うが、ピクリとも反応しなかった。

 予想通りのことだったが、美雪は「はぁ……」と、小さくため息をついた。

 そして――。


「――さっさと起きろっ! このバカ貴樹ッ!!」


 耳元に大声で怒鳴りつけると、貴樹はビクッと身体を震わせて目を覚ました。


「……あ、美雪か。――って、なんで今日もソレなんだよ! 制服は⁉︎」


 学校に行く朝だというのに、美雪は今日もメイド服を着てきていた。

 とはいえ、腰に手を当てて仁王立ちしている様子は、いつもと変わらない彼女の姿だ。


「私の服なんてなんだっていいでしょ! ――ほら、さっさと起きる! 早く顔洗って! 目ヤニだらけでだらしない!」

「あ、ああ……」


 一気に捲し立てる美雪を見て、いつもと同じだということに安心する。

 ただ、目が覚めてくると同時に、徐々に疑問が湧いてきた。


(……っていうか、美雪のヤツ、その格好でうちに来たのか?)

 

 いつもはもちろん、制服姿だ。

 そう思いながらよく見ると、彼女の後ろにロングコートが置かれているのが目に入った。

 ――なるほど。

 来るまではそれを着ていたのか。全然気づかなかったけれど、昨日もそうだったのだろう。

 納得した貴樹は、眠い目をこすりながら、顔を洗うために部屋を出た。


「…………はぁ」


 それを見届けた美雪は、さっきまで彼が寝ていたベッドに腰かけて、小さくため息をつく。


(なんでいつもこうなるんだろ……)


 彼の顔を見ると、ついガミガミ言ってしまう。

 いまさら変えられないとはわかっていたけど、こう言う格好をしてきても結局同じ。

 このまま何も変わらずに高校を卒業して、そしていずれ違う道を歩むことになるかもしれないと悩む。


(あ……まだあったかい……)


 ふと彼が寝ていた布団に手を遣ると、残っていた彼の温もりが伝わってきた。

 ダメだと思いながらも、美雪はついベッドに寝転がってしまう。


(あ……。これは……ダメだ……)


 まだ暖かい布団に潜り込むと、その気持ち良さに一気に身体の自由が奪われる。

 ……美雪はしばらく我慢していたが、すぐに限界がきて――瞼が落ちた。



「……すーすー」


 貴樹が顔を洗い、トイレを済ませて部屋に戻ると、トレードマークのフチ無し眼鏡を掛けたまま、自分のベッドで可愛らしく寝息を立てている彼女が目に入った。


(おいおい……)


 自分を起こしに来たくせに、人の布団で豪快に寝ている幼馴染を見て、最初は少しイラッとする。

 ただ、目を閉じて気持ちよさそうにしている顔を見ていると、だんだんと溜飲が下がってきた。


(……黙ってれば可愛いんだけどな、美雪は)


 小学生の頃からずっと眼鏡をかけている彼女は、中学校に上がった頃から、ずっとこんな調子でいつもガミガミ言ってくる。

 それまでは内気でクラスでも影に隠れているような性格だったのに。


 貴樹はベッドに腰掛けると、美雪が寝ているのを良いことに、間近でじっと彼女の顔を眺める。

 そして、まだ見慣れないメイド服姿ということもあって、無意識に手を伸ばし彼女の髪に触れた。


「…………んぅ」


 そのとき、美雪が小さな声を出して身じろぎした。

 それが妙に艶っぽく見えて。


(……にしても、こんなに可愛かったっけ?)


 メイド服の補正が掛かっているのか、ふとそんなことを思って、彼女の頭を撫でる。

 そのとき、美雪の目がうっすらと開き、まだぼーっとしている様子で貴樹の顔を眺めていた。


「……んん……貴樹……?」


 鼻にかかったような声で、美雪が口もとを緩める。


(――ヤバっ!)


 うっとりした表情も可愛くて、貴樹が見惚れていると、もう一度美雪はゆっくり目を閉じて――。


 一瞬の間のあと、パチッと美雪の目が開いて、今度はしっかりと間近で目が合った。

 しばしキョトンとして目をしばたたかせた美雪だったが、みるみるうちに頬が朱に染まる。


「――なっ、なんでっ⁉︎」

「な、なんでも何も……美雪が俺のベッドで寝てたんだろが……」


 貴樹もまだ胸の高鳴りが収まらぬまま、それを隠して答えた。

 その言葉に、自分が完全に寝てしまっていたことに気づいて、美雪は慌てて取り繕う。

 もちろん、先ほどの自分が彼に会心の一撃を繰り出していたことなど全く気づかずに。


「――た、た、貴樹が遅いからっ! ついっ!」

「い、いつもと一緒だって。――ほら、そろそろ朝メシの時間だぜ?」

「わ、分かってるわよっ!」


 そう言って美雪は勢いよく体を起こす。

 ベッドから降りようと足を上げたとき、ちらっと見えた太ももの奥の白い布に、貴樹はついつい目が釘付けになった。

 その視線に気づいた美雪が急いでスカートを手で押さえた。


「――ど、どこ見てるのよっ! このスケベっ!」


 ◆


 貴樹が食事をするために部屋を出ると、美雪もコートを羽織って一度自分の家に帰っていった。

 そして、しばらくして家を出る時間になると、制服に着替えて、薄手のコートを羽織った彼女が玄関で待っていた。


「ほら、早く行くわよ。弁当は持った? 鍵は忘れてない? あと、今日は数学の提出物があるから、ちゃんとカバンに入ってる?」

「あ、数学か。ヤベ、忘れてた」

「相変わらず貴樹はダメね。こんなんじゃ、将来が思いやられるわ」


 指摘してくれるのはありがたいが、一言余計な美雪に少しムッとする。

 そんな美雪が学校ではかなりモテるのを貴樹も知っていた。時折呼び出されては告白されているのを聞くが、全て丁重に断っているようだった。


(まぁ、こんなに細かい性格じゃ、もし誰かと付き合っても、すぐ別れることになるだろうけど)


 自分はもう慣れてしまったけど、ことあるごとに口を挟む細かさには辟易する。

 ただ、美雪のことをよく知らない人からすれば、成績優秀で可愛らしく、愛想も良い彼女に惹かれるのはわからなくもない。


「さ、早く行きましょ。学校着いたら間違い直しね!」

「ああ……」


 先導する美雪に続いて貴樹も家を出た。

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