巡礼記~旅で会った、男と司祭~

天川

「巡礼の日々」

 人によってその旅立つ時期は様々だが、僕の場合は他の巡礼者と比べて、ずっと幼い頃に旅に出た。普通なら、多感な13~16くらいの歳に出る者が多いのだが、中には高齢になってから旅立つ者もいる。


 この星に散らばる、聖地と修道院と教会とを結ぶ、大いなる旅路を……自らの心の求めるままに旅をする。

 信仰と共に己を見つめ直す、一族で古くから現在まで変わらずに行われている

 一生のうちで、一度だけの、命を辿る旅──。


 旅立つ理由も様々だ。

 大過たいか無く過ごしてきた者は、修道院(他民族で言うところの義務教育課程)の卒院とともに旅を始める者が多い。前述の歳に旅立つ者が多いのはそのためだ。

 僕は、修道院の中での暮らしに身体が合わなくなったため、10歳に満たない頃に旅を始めた。

 他にも、心に変調をきたした者、院の中での暮らしに馴染めなかった者、なにか目的を見つけ、それに向けて旅立つ者もいる。



 ───────────────



 あれは、旅が終盤に差し掛かっていた頃だった。……旅を始めて、もう5年ほどが経っていた。


 旅の途中で出会った、年配の巡礼者の男がいた。


 その歳になるまで切っ掛けが無く、巡礼に出ていなかったという。

 我が一族としては珍しい、血縁に依るファミリーで過ごしてきたそうだ。

 山の恵みを採り、畑を耕し、動物と暮らす。

 そんな、旧き良き一族らしい暮らしを続けてきたそうだ。


 その男の旅の切っ掛けは、発症した病──。


 利き手が、うまく使えなくなってきたことに気付いたのが半年前。そのうち、脚も背中も衰え始め、今では、食べ物を口に運ぶのがやっとだという。

 杖をつき、ゆっくりと歩くその姿は、なにがしかの罪を背負わされて、放逐された者を連想させた……。

 彼は、それほど信心深いわけではないと言っていたが、それでも女神の教義には逆らわず理解も深かった。


 運命を悟ったのか、何かの導きか……。

 男は、これまで共に過ごしてきたファミリーに別れを告げ、旅に出たという。


 出会ったその年配の男と僕は、しばらく共に旅をし、とある村に立ち寄った。

 そこには聖地も修道院もなかったが、ごく小さな女神の教会があり、僕たちはその敷地に場所を借り天幕を張って、一時の宿とした。

 路銀も少なく、手持ちの食べ物も乏しかったため、ここにしばらく滞在し、仕事をさせて貰いながら路銀を稼ぐつもりだった。


 僕は薪割り、丸太曳き、荷物運び……力仕事なら何でもやった。

 一方の彼は、病のため重い物を持てる身体ではなかったが、手先が器用であったため、縫い物や細工物の仕事を、女や子供に混じってこなしていた。


 ───その中に、一人の女性がいた。


 歳は30前後、長い黒髪の肌の浅黒い豊満で美しい女性だった。

 その人は、女神の教会で司祭を勤めており、日中はここで、村人たちと作業をして暮らしているそうだ。

 驚いたことに、その女性は目が見えないという。

 生まれついての盲目か、後天的なものか。


 彼女は……朝、祈りを捧げ教会から出てくると、村の子供の誰かしらが手を取り作業場までつれていく。

 一日の作業がおわると、また誰かが教会へつれて帰っていく。

 村の中は一人でも歩けるというが、彼女の行く先では、常に誰かが手を取って導いていた。

 他民族では、こういった身体に弱いところがある者は、迫害されたり差別されたり腫れ物扱いされたりすることもあるらしいが、我が民族では、それもその者が背負った役目、という考え方が根付いている。


 ────己の、でき得るところを行いなさい


 女神の教義として伝わっている、もっとも基本的な教え。

 ………この女性は、正しくそれを行っていたように見えた。



 …………………………………………



 村に滞在し始めて二週間ほど経った、

 ある日の夜のこと──



 僕は夜中にふと目覚め、教会の敷地の自分の天幕から、起き出した。

 隣の天幕に寝ていたはずの、あの年配の男の姿は無かった。

 星明かりの中を、教会の建物の方へ足を向ける。


 ……教会の入り口には、松明が焚いてあった。


 夜遅く、巡礼やお祈りに来る者もいるのだろう。

 その扉は、開かれていた。


 予感がして、僕はそこに足を踏み入れる。

 小さな教会は小屋と言っても差し支えないほど、小さく粗末であった。

 奥に進むと女神の像があり、そこは礼拝所になっていた。

 その礼拝所の隣には、司祭の私室と思しき小さな部屋があった。


 その、部屋の方に目を向ける。


 灯明に照らされたその場所で、

 ……あの男と、司祭は、抱き合っていた。

 司祭は胸をはだけ、そこに顔をうずめた男は、……かすかに震えていた。


 僕は、そっと立ち去り、夜風を浴びて気持ちを冷ました。

 天幕に戻り、寝床にもぐってしばらくすると、

 隣の天幕に、男が戻ってきた気配がした──。



 次の日の晩、

 何やら暗い予感めいたものがあり、

 ……僕はまた、寝床を抜け出した。

 隣に、やはり男の姿は無かった。


 松明に照らされた入り口をくぐり、

 そうっと教会の中を覗くと、

 礼拝所の女神像の前に、隣で寝ていたあの男がいた。

 跪き、祈りを捧げているようだった。

 その姿に、僕は安心して帰ろうとした……


 しかし、……別な気配を感じ司祭の部屋の方を伺うと、

 既に、司祭は胸をはだけていた。

 その胸には────、

 ────別の男が顔をうずめていた。


 どくどくと、ぐるぐると……

 胸の中を這いずる悪い蟲のようなものが、

 頭を揺さぶり、心を揺さぶり、

 ……逃げ出すように、僕は天幕に戻った。


 ──噂には聞いたことがあった。


 女は対価を貰い、男は欲望を吐き出す。

 そのような生業の者や、或いは自らの欲望、

 中には、お互いの欲望のためにそうする者もいる……。

 そして、目の見えない──あの女性のような者に、

 そんな役目を負わせるということも、人の世ではありうるのだ。


 優しさで繋がっていたと思っていたこの村と司祭は、歪んだ男の都合と、それに見合う「対価」として、司祭の日々の暮らしとの取引で縛られていた、

 ……そういうことなのだろう。



 ────時々見かけた、夜の来訪者は、

 隣で寝ている男の事もあれば、別の知らない男のこともあった。



 それから、数日後の晩────



 ………悪魔の誘いに惑わされたのだろうか、

 それとも、

 僕の内に、首をもたげた歪んだ欲望が目を醒ましたのか


 僕は再び、

 ──教会に足を踏み入れていた。


 礼拝所には人影がない、

 香が焚かれて、灯明が暗く灯っている。

 司祭の部屋を窺うと、

 そこにはがいた。

 いつも隣で寝ている、あの男だ。


 司祭は服を肩に戻し、腰紐を結び直している。

 どうやら、のようだ。

 このままここで、男の出てくるところを

 待ち受けていてやろうか。

 それとも、隠れていて、

 いなくなったところを部屋に忍び込もうか………。


 そんな奸計かんけいをめぐらせていると、

 様子が違うことに気付いた。


 男は跪き、

 床に頭を擦り付けて、

 肩を震わせ、

 嗚咽を漏らしていた。


 そして、

 女神への祈りの一節を口にした。


 司祭は、静かに、

 男に声をかけた。


「あなたがここに来たのは、女神に導かれたため……

 そして、私がここに遣わされたのも、また同じ……

 ………

 あなたには、まだ役目があるのです。

 旅は、まだ……終わりではありませんよ」



 ………………………………………



 その日からだった。

 男の身体は病を遠ざけ、その四肢には再び力が漲り始めた。

 力仕事もできるようになり、杖は要らなくなっていた。



 ──あれは、癒しの力、

 ……そして、癒しの務めだったのであろう。



 男は一足先に、旅を再開し故郷へ帰っていった。


「────また、ファミリーが私を迎え入れてくれるか……それはわからない。だが、私は彼らに恩返しをするつもりだ。たとえ、同じ場所ではなくても、……遠くからでも」


 そう微笑んで、彼は自らの足で歩いていった。


 僕は、男を見送った後、

 朝日が差し込む教会の礼拝所を訪れていた。

 夜に見た教会、今見る教会……。

 人の世のように、別な顔を隠していると思っていたが、

 どちらも同じ、ひとつの教会だった。


 僕は、ゆっくりと

 女神の像の前へ歩み寄る。


 ひざまづいて、祈りを捧げた。

 そして、

 深く、深く、懺悔ざんげ……いや、

 謝罪をする。

 癒しを求めた男たちに、

 そして、司祭に。


 ………


 長い祈りを終え、静かに立ち上がる。




 ふと気づく……祭壇には、

 あの男が使っていた、

 ……杖が奉納されていた。





 「……っ」





 知らぬ間に涙が溢れていた。

 肩が、身体が震え、抑えられない。

 嗚咽も漏れ出す。

 だが、視線は落とさずに必死にこらえた。

 目を伏せることは、

 自らの汚さから目を背けることだと思えたから。




 ───不意に、背中に気配を感じ、振り返る

 そこには、あの司祭の女性が立っていた。




 こちらを見ている、

 だが、……その目は光を捉えてはいない。


 「……ぼっ、ぼくは…っ!」


 震える声で慚悔を吐き出す。


 「……あなたを、冒涜しました………」


 黙ってはいられなかった。


 「……そして、あの人の事も…」


 罪は償わねばならない。


 「……そして、…そんな汚いものに……っ…」


 邪なものは罰せられなければならない。


 「…うっ……ぇっ……、僕は、……っ……自らなろうとしたんです……」


 この人の、裁きを受けなければならない。


 もう耐えられなかった。

 膝から崩れて顔を覆う。


 「僕には……生きる価値などありません……」


 どうか、このまま……

 我が身を消し去ってほしい

 そう願った。



 不意に、気配が近寄る。



 すっ……

 髪に触れられる。




 その手が、探りながら、耳に触れ、

 頬に触れ、涙をそっと拭った。

 そして、肩に触れ、腕に触れ、


 やがて、

 跪いて、僕の手に触れた。




「気付いておりましたよ……。

 あなたの葛藤も、苦しみも。

 痛みも、欲望も……。」




 静かに、おそるおそる、顔を上げる。

 司祭は、穏やかに微笑んでいた。


「司祭…様……」


「恥じてはなりません、それが生きるということなのです……。

 私の目は見えませんが、私には人の心が見えます。

 私は、手を取って歩かせてくださる人たちに、恥じてはおりません。

 ただ感謝することだけを、忘れずに生きるのです。

 そして、でき得るところを成すのです……。」


「……っ」


「あなたの内側は混沌としています。

 今はまだ、自らに仇成すこともあるでしょう、

 でも……それを棄ててはいけません。

 その内に宿るものには、きっと意味があるはずですから。」


「で、でも……」

 ……僕は、……あなたを汚そうと………


「それも同じことです。

 今はまだ形作られていない欲望かもしれません。

 ……でも、あなたは……いつも思っていましたね……?」


「……?」


「……私を、美しいと」


「……!」


 そう、……なのだろうか

 あれは、黒い欲ではなかったのか


「……人は、過ち、

 迷い、恐れ、哀しみ、……そして、想いがれて、

 今まで、命をつないできたのです」


 すっ、と手を取り、

 僕は立たされた。


 ふうっ、と力を抜き、急に砕けたように、

 穏やかに、司祭は話し出した。


「あなたがこれから生きて行く先では、様々な困難に出会うでしょう。

 時には、絶望にうちひしがれ、諦めるようなこともあるかもしれませんね…。」


 ゆっくりと振り返り、二人で朝日を浴びる。


「そなたの行く先

 争いてはならない

 でき得るなら避けよ

 できぬなら逃げよ……

 しかし

 運命を悟りたるなら

 その剣を手に戦いなさい」


 司祭は静かに、祈りの一節を口にした。


「人の世には、優しい人ばかりではありません。時には、人を欺き、奪い傷つけるような者もいるでしょう」


 僕は頷き……

 司祭は、それでも、と続ける。


「……あなたが信じた人が、手を差し出したなら、

 その手を拒んではいけませんよ……」



 ──僕が、女神から初めて癒しを授かったのは、

 きっとそのときだったと思う────





※F.D.外伝~ゆめうつつ~

 第9章 第82話より 

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