23. 痣

 それどうしたの、大丈夫? 遠くでそんな自分の声を聞いた気がして依夜は目を覚ました。

 生きている。そう悟ったと同時に、依夜の視界に入ったのは白く生気をなくした生成きなりの首筋だった。

 瞬間、なにが起こったのかを理解し全身から冷や汗が吹き出す。いまさら胸が早鐘を打ち始めた。

 依夜と生成は、薄暗い場所に倒れているようだ。


 屋根が落ちてきた。動けなかった依夜の元に生成が駆けてきたことまでは覚えている。円錐状の屋根の中央にはわずかに空間があり、また倒れた柱が屋根の下に入ることで潰されずに済んだようだ。

 生成の左半身は依夜の上に覆い被さっている。

 生成はおそらく、自分を庇ったのだ。生成自身の命が危険に晒されるという事がわかっていてなお。


「生成」


 呼んでみるが返答はない。息はしているようだが、その身体はぴくりとも動かない。

 胸の鼓動がさらに速くなり、上手く息が出来ない。自分を庇ったせいで生成にもしもの事があったら……そう思うと憎いはずなのに瞼が熱くなる。


「なぜだ」


 依夜の中に言いようのない恐怖が一気に這い上がってきた。頭が混乱する。


「生成、お前、なぜ……」


 臣下だから、依夜に危険があれば助けないわけにはいかない。そうしなければ自分が罰せられるのだと確かに言っていた。それは間違いではない。だが、自分の命を捨ててでも護らなければならないわけではない。その証拠に、神官は周囲にたくさんいたが、助けに駆けて来たのは生成だけだったではないか。

 ましてや、生成が舞台から退け、危ないと叫んだ声はしっかり耳に届いていた。それでも舞い続けていたのは依夜の責任なのに。


(馬鹿なことを……ッ)


 あの時、これで終われるのだ、楽になれると思った。「桜の宮」に出る魔を祓えていない事など思い出しもしなかった。生成が助けに来るかもしれないという事など、考えもしなかったのだ。

 ただ、自分のことだけしか考えていなかった。なんと愚かだったのだろう。


「生成‼︎ 目を覚ませ‼︎」


 のどの奥が急激に熱を帯びた。迫り上がってくる熱いものをぐっと歯を噛み締めてこらえる。

 生成は、依夜を助ける。どんな思惑であろうとも、その行動は一貫していた。それを自分は知っていたのに。

 涙がこぼれた。


「依夜殿! 生成殿‼︎」


 二人を呼ぶ声。それに答えると一気に外が騒がしくなる。


「お怪我は⁉︎」

「わたしは大丈夫だ! だが生成の意識がない。動けないから怪我を、しているかもわからない。急いでくれ……」

「承知。しばしお待ちを!」


 ざわめき、そして大勢の声。それらも依夜には遠く聞こえる。


「生成、しっかりしろ」


 やはり返事はない。呼吸音も微かだ。

 その首には、ずれた狩衣の襟が食い込んでいる。


(いけない、首が)


 そっと生成の身体を動かさないように注意して比較的自由な右腕を伸ばす。襟の受緒うけおから蜻蛉玉とんぼだまを抜いて首元を解放しようとして指が震えた。焦れば焦るほど指が上手く動かせない。

 ひどく緩慢な動きで蜻蛉玉を抜き、首元を解放する。


「生成、おい……」


 その首はやはり白を通り越して青いほどだ。角度から顔は見えない。それが余計に焦りを生む。

 楽になりたいと思った、それはこんな形ではない。生成が憎くてたまらなかった。騙されて好意を抱いていた事が許せなかった。だが、生成の命を奪って自分が楽になることを望んでいたわけではない。

 前の開いた狩衣を避け、胸元に手を当てる。鼓動は打っている。


「怪我は……」


 悪戯に生成を動かす事は出来ないし、目視できる場所も少ない。それでもなにかしなくてはという気が依夜を焦らせる。

 視線を下へずらし、覆い被さった左手をそっと触る。袖を上へとずらしながら中に手を入れ、肌を撫でながら上へと伸ばす。

 腕に目立った怪我のような感触はない。

 ほっとしたのも束の間、依夜の瞳に飛び込んで来たのは、変色した生成の腕だった。


「なん……ッ」


 怪我がないか目視しようとずらした袖から伸びる白い腕。そこに無数の痣が浮かび上がっている。


「まさかここに屋根が落ち……違う……これは、今、じゃ、ないのか……?」


 赤黒く変色した痣。触るだけでも相当痛みのありそうなその痣は無数にある。色の濃いものから、もう治りかけなのだろうと思われる薄黄緑のものまで様々だ。


「どういう事だ……?」


 もしやと思い、単の合わせをはだける。


「————ッなんだこれは……」


 胸元にも、多数の大きな痣がある。胸は依夜を庇っている、今打ちつけたものではない。この様子なら、きっとほかの場所にもあるのだろう。


「こんなに……」


 息が詰まる。あまりにも酷い。

 どうしてこんなに痣だらけになるのだろう。自分でやったのでないなら、誰がこんなことを?

 視力に問題があるとはいえ、生成は臣下としてそれなりに武芸の腕も磨いている。見えないからこそ視えるとも言えるほどには心得があるはずだ。その生成をここまで痛めつけられる人物がいるとは考えにくい。ましてや生成は臣下に降ったとはいえ帝の血筋。さらには依夜との婚姻が控えている。

 生成に取り入ろうとするならともかく、痛めつける理由がある人物などいるだろうか。


「わたしになにか、隠している事があるのか」


 もちろん、全てを話せとは思わない。言う必要のない事だってある。生成にとってはこれがそうなのかもしれない。だが……。

 なにかが引っかかる。なにか大切なことを忘れている気がしてならない。

 外から屋根の隙間に棒が差し込まれた。掛け声と共に屋根がわずかに上がり、出来た隙間にさらに大きな木が差し込まれる。

 それを数度くりかえし、依夜の胴ほどの丸太が差し込まれたところで、外から人の顔がのぞいた。


「依夜殿! 動けますか!」

「なんとか」

「そのままこちらへ。外へ出られてください! 生成殿はその後我々がお助けします!」

「————ッ、わかった」


 依夜がここにいてもなにも出来ない。それどころか邪魔なだけだ。ここは男衆の力に頼った方が良い。

 そう判断して、生成の腕の下から抜け出した。

 やっと見えた生成の顔は、やはり生気がない。ぐったりと瞳を閉じたその姿に胸が締め付けられるように疼いた。


(こんなことを望んだんじゃない……)


 ぎゅっと唇を噛み締め、側を離れた。外へと這い出す。

 神官に手助けされて立ち上がると、目の前には不安そうな顔をした臣民たちがいた。

 魔を祓おうという時にこんな事故があったのだ。不安にならないわけがない。


「皆、心配をかけたな! 魔はわたしが祓う、力を貸して欲しい。鈴を鳴らしてくれ!」


 声を張り、楽隊へ目配せする。自分は生成を助けるために出来ることはなにもない。出来ることは臣民の不安を取り除き、魔の障りを祓うことだけだ。

 依夜に鈴をつけてくれた女性神官が新しい大麻おおぬさを持ってくる。その瞳にはありありと心配と不安が浮かんでいたが、なにも言わずに大麻を依夜に差し出した。

 大麻を受け取り、天にかざす。臣民たちが手に持った鈴を遠慮がちに鳴らし始めた。それを合図に、楽隊が演奏を始める。


(わたしは、わたしに出来ることをするしかない)


 大麻をふる。天からの光を降ろす。今はそれしかできない。


(生成、どうして)


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