18. 歌会
控えめな
しかし、今瞳を開くと見えるのは真っ白な散切り頭。
婚姻の儀までにはいくつかの神事が行われる。この歌会もその一つだ。これから夫婦になる二人が歌を詠み交わして神の前で縁を結ぶという意図がある。
帝の公務を行う紫神殿。神事にはここを解放して使うことも多い。特に帝の血筋である依夜の婚姻となると当然の流れだ。
一番上座に帝の
依夜と生成は御帳台のすぐ下に向かい合って座していた。
帝の前で行う正式な神事のため、依夜は
その生成の姿は見たくなくとも目に入る。凛とした佇まいは、余裕すら感じさせるものだ。直視できずに視線を泳がせてばかりいる自分とは大違い。そのことに苛立ちが募り、つい顔の筋肉がかたまってしまいがちになる。
御帳台の兄の方を向けば、その瞳が心配そうに依夜に注がれている。
(兄上はなぜ、生成とこれほど婚姻させたがるのだろうか)
自分は生成に騙されていたのだと、婚姻は嫌だとすぐに訴えた。だが、困った顔をした兄は、それでも生成との婚姻を覆すことはなかった。神も。
下座の貴族たちが和歌を詠んでいる声が響く。それを心から楽しむことができないのが悔しい。
しばらくすれば、自分の番が回ってくる。それでも、依夜の心にはなんの歌も浮かんでいない。
本来婚姻前の歌会では、夫婦になる二人が事前にどんな歌を詠むのかすり合わせて出席するものだ。だが、それを申し出た生成の遣いは
(良いんだ、これで。見せかけの睦まじい歌を用意するなどできるはずがない)
それはきっと生成も同じだろう。
中央に巫女装束の桜が進み出る。祝いの神楽奉納だ。演目は、先日依夜が指導した中の一曲。その手に握られているのは模擬刀。
桜が依夜の方を見た。ふわりと愛らしい笑みを浮かべて頭を下げる。同じことを生成にもすると、生成の表情に笑みが浮かんだ。
その笑みに小さく胸が疼いた。笑みを浮かべる余裕がある生成が恨めしい。その笑みがもう自分に向けられることがないことなどとうにわかっているのに痛む。依夜への妬みや恨みを隠して、その笑みを向けてきていたことが本当に憎い。
軽やかな龍笛の音が楽隊から流れ出す。それに合わせてすうっと桜の腕が流れる。腕だけではなく、身体全体が流線形を美しく描いた。
(少し軽いな……やはり……)
楽隊の
なにもかもが生成には及ばない。生成を今更遠ざけたところで、結局は夫婦になるのだ。より苦しい道になることは目に見えている。それなのに、そんな相手の奏でる龍笛の音を愛しているのだ。
桜の舞を見ている生成の瞳は優しい。彼の視力でははっきりとした表情までは見えないだろうが、動きだけでも十分に桜の努力を感じている様子だ。
(あぁ、そうだな。昔はあんな顔をしてわたしの舞や演奏を見ていたな)
依夜も桜の舞に集中する。教えたところは綺麗に修正されている。終始笑みを浮かべて楽しそうに舞っている姿は齢十二とはいえ美しい。見ている方も自然と相好が崩れる力がある。
そうして桜の舞が終盤に差しかかった頃だろうか。依夜の耳がそのごく小さな異音を捉えたのは。
周囲を見渡す。
(どこだ……?)
魔の気配だ。だが、今すぐ心配するほどのものではない。だからこそ逆に見つけることが難しかった。
この気配の小ささであれば、魔を退ける楽の音で侵入すらできないはずだ。
(誰かに、憑いているのか……)
この場にいる誰かに憑いて隠れているのなら、その肉体を障壁として楽の音くらいなら耐えられるだろう。
御帳台の横に控える雅に視線を動かす。反応していない。まだ気がついていないのだ。
今すぐに祓う必要はないくらいのものだ。先日、
その異音に意識を向ける。まだ本当に微かな、嫉妬のようなもの。貴族の世界ではよくある、ありきたりな感情。
はっきりとはわからないが、音は下座の方から聞こえているようだ。
桜の舞が終わる。帝に一礼をしはけていく桜に、貴族たちが拍手を送った。
雅が依夜の名を呼ぶ。次は自分が歌を詠む番だ。
(なにも浮かばないな)
心の中で苦笑する。そんな依夜に、生成の視線が動いた。
魔の気配が小さく鳴る。
(お前は神の元へ行かなければならぬ……わたしも、そのうちに)
そう思えば少しは気が紛れる気がした。しばらく辛抱すればいい。口を開く。
「後の世は————」
依夜の声に合わせて、天から退魔の光が降る。その光を目にした雅と生成が瞳を見開いた。思いがけない退魔の光に驚いたのだろう、楽隊の音も少しだけ乱れたようだ。
「鳥にならばや笛の音と」
異音が消滅していく。生成の視線を感じた。その瞳が鋭くこちらを睨みつけている。
生成の詠む歌は依夜への返歌になる。だが返しようもない歌を詠んでいる。それが逆に気を晴らしてくれるようだ。
「共に歌うはうたたねの夢」
退魔の光がきらきらと輝きながら消えていく。
生まれ変わったら鳥になりたい。そうすれば愛した龍笛の音と共に歌えるだろう。鳥ならば自由だ。龍笛の音がする時だけ庭で鳴き、飛び去ればいい。
生成の顔色が変わったのが見えた。婚姻の儀を前にして来世の歌を詠ったのだから当然だ。婚姻の相手としては面目を潰されたようなものだ。帝も、貴族たちも困惑した顔をしている。
「依夜、魔がいたのか?」
静かな兄の声が問う。それに小さく頷く。
「はい。祓わなくとも害はないほどのものでしたが、祝いの席……でしたので、祓った方が良いかと思いまして」
祝いの席だと声に出すのにのどがつかえた。
「そうか、大義であった」
頷いた帝が、先を促す。次は生成の返歌だ。
生成が顔を伏せた。しかしすぐに顔を上げ、依夜をまっすぐに見つめてくる。
「————っ」
視線が交わる。これだけ離れていれば生成からは依夜の表情までは見えないはずだ。それなのに、全て見透かされているような心持ちになる。
生成が息を吸った。
「うたたねの夢に迷はばもろともに」
その声は朗々として力強い。依夜を見つめる生成の瞳が細くなる。
「飽くまで行かむ比翼のゆくへ」
「———ッ」
それは依夜の面目を潰したような歌への返事としては完璧だった。
来世で鳥になって歌う夢を見た、ならばそこへ一緒に仲睦まじく行きましょう、と。
(なんのつもりでそんな歌を……)
胸が苦しい。
御帳台の方から、美事な歌であったと帝の声がする。その声を合図に、なんと仲睦まじいことだという囁きが大きくなる。
(虚しいものだな……)
上辺だけの言葉だとわかっている。それでも胸が締め付けられるようだ。
そんな未来は依夜には与えられなかった。最初からありもしない幻想だった。そのありもしない幻想を、今ここにいる貴族たちは褒め讃えているのだ。
皆、騙されているとも知らずに。
(それを望んだことがあったなんてな……)
のどの奥が熱くなる。そのことに自分でも戸惑った。
かつての依夜の想いは、そうなるように唆された結果だった。あの時間はなにもかもが嘘で、無駄で、空っぽだった。
まぶたが熱くなり、慌てて袖で顔を覆う。怪しまれるだろうが仕方がない。
——お前の気持ちなど誰も護らないぞ……。
ぞっとするような声が頭の中に響いた。同時に耳障りな高い異音が鼓膜を揺さぶる。立ちあがろうとしてふらつき、両手をついた。下にぽたりと雫が落ちる。
途端に息が苦しくなり胸を押さえた。今すぐに退魔の光を降ろさなければと思うのに上手く思考が働かない。
(またか……まさか……)
これはあの、生霊だ。
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