3. 雅
「ご苦労であった、依夜」
退魔の報告を終えると、
後ろで結んだ髪は亜麻色。色素が薄いほど
現に雅は婚姻、出産を経ても優秀な力ある神官として勤め、神官長に上り詰めた才女だ。
「生霊か。この間も生霊だったな?」
「ええ、そうでしたね」
生成が頷く。確かに最近生霊を祓うことが何度かあった。
「生霊だけではないが、ここ最近魔の出現が多いとは思わないか」
「確かにそうですが……なにか?」
雅は齢四十を越え、退魔の先頭に立つことは少なくなった。とはいえ数少ない退魔の力を持つ力の強い神子だ。加えて神官長になるには、神子としての力が強いだけでは務まらない。
雅がそう言うのなら、なにか意図があるはず。
「まるでなにかに呼び寄せられてるようだ、とでも?」
生成の瞳が細まる。
「なにを言っている」
「依夜殿にはお分かりにならないか」
「なんだと」
依夜を見下ろす瞳が嗤っている。気に食わない。
「まあ私がお側におりますから、あなたはわからなくても問題はありませんよ」
「言わせておけば!」
もう一言言い返そうと口を開きかけたとき、雅がおかしそうに笑い声を上げた。言葉を発する機会を失う。
「いや、すまない。この歳になると若者のことは可愛く見えるものなんだ」
「清藍殿!」
「だがそうだな、依夜、其方は少し冷静さが足りぬな」
「——なっ」
それは生成が煽るからだと言い返そうとして、ぐっと唇を噛む。それは言い訳でしかないのはわかっている。冷静さが足りないのはその通りだ。相手が誰であれ、冷静でいられないのでは話にならない。
「お前は仮にも天緑の長だからな」
「……はい」
きっと今生成はこちらを見下ろしてほら見たことかと嘲っているのだろう。
天緑の長は、生成の方がふさわしいという声も多かった。それなのに依夜が抜擢されたのは、依夜が数少ない退魔の力を持つ神子だからだ。しかも退魔の力だけを見るなら雅よりも上、その力が目立っていたに過ぎない。
「まあ側近が生成なら問題はないだろうがね」
「……」
そう、生成は雅にも信頼されている。悔しいがそれは事実。
「しかと勤めます」
生成の返答もそつがない。それが余計に腹立たしい。
「うん。話を戻そうか」
「はい」
「呼び寄せられてるかどうかは置いておいて、ここ最近は異常なほど魔が多い」
それは依夜も感じていることだ。生霊や死霊のみならず、人の集合念のようなものから妖に近いものまで出現している。
しかも、この「桜の宮」内部で、だ。
「桜の宮」は帝の住まう政の中心部だ。対人の警備はもとより、「桜の宮」内部に神殿を持つ神官たちの護りも手厚い。
それなのに魔が出る。こんなことは今までなかった。出るとしても弱いものばかりで、依夜が直接対処しなくても問題はなかった。力は依夜に劣るが、他にも数名いる退魔師で十分だったのだ。
「現実的ではないのは重々承知の上です。ただこうも集中されると、呼び寄せられていると考えたくもなるというもの」
「ふむ。確かに、桜の宮に集中しているのはおかしい。町などにはあまり出ていないというじゃないか」
「たしかに……」
それは依夜も聞き及んでいる。ここ最近はむしろ町に出る魔は減っているという。その分が「桜の宮」に出ているのだろうか? こんな神官たちが最も手厚く守る国の一角だけに?
「生成は、そういう勘は外さないからな」
「ありがとう存じます」
「なにかあるなら芽は摘まねばなるまいが……」
魔を呼び寄せる。そんなことが可能なのだろうか。
(意図的でないなら……)
意図して呼び寄せるのは、生成も言ったようにさすがに現実的ではない。だが、魔がなにかに吸い寄せられて来ているなら話は別だ。
その原因が「桜の宮」にあるとしたら……。
「こればかりはまだ推測の域を出ぬからな。なにか気になることがあれば教えてくれ」
「はい」
「引き留めて済まなかったね。生成、
「はい、すぐに」
「それから、依夜。
(
今日はなにか予定のある日だっただろうか。それともなにか依夜に腹を立てているのだろうか。
乳母として依夜を育て、今も身の回りの一切を取り仕切ってくれているのが紫上だ。さすがの依夜も、母親がわりだった彼女にだけはいまだに説教をされる。それが、貴族としては上に立つものが帝とその子だけの依夜には心地良かった。
「ありがとうございます。これで失礼いたします」
雅に深々と頭を下げ、踵を返す。生成がどうしているかなどは見なかった。それでも耳が後ろを向こうとする。
幸いにも足音は追って来ていなかった。そのことに心底安堵する。
(そうか、生成は薬を……)
あの女官の顔が思い浮かび、舌打ちをする。生霊に憑かれて痛い目を見たはずなのに、その場で生成にも色目を使っていた。そういう人物だから助けないという事はない。彼女は被害者には違いないのだから。
それでも、生霊の想いが視えてしまう依夜には割り切れない気持ちがわくこともある。
(こんなこと、生成は思わないのだろうな。冷淡な男だ……忌々しい……)
両頬を叩いた。気を切り替えて紫上局のところへ向かわなければ。
ひとつため息をついて、依夜は步を進めた。
* * *
「生成」
「はい?」
自分も薬の調合に行こうと背を向けようとして、雅に呼び止められる。すっと上がった雅の眉がその下の瞳の真剣さを物語っている。
「神託が
「……なんと?」
「帝の意向のままにと」
「……」
ついにこの時が来てしまったのか。小さくため息をつき、生成は顔をこわばらせた。
くつがえる可能性は低いと思ってはいた。だが、万に一つの可能性があるかもしれないという期待もしていたのだ。帝の意向とは違う神託が
「お前はそれで良いのか?」
「良いもなにも。神のご意向に不満などございませんが」
雅の眉がぴくりと震える。これが嘘だということを彼女はわかっているだろう。
「私は帝の……
「……神託は、真に神の意向だと信じているのか?」
「どういう意味でしょうか」
「お前は
「……」
神を疑う。それ自体は罪ではないが、神官長がそんな発言をするとは。
「あなたが神を愚弄なさるか」
「それは違うな。神はいらっしゃる。間違いなくだ。だが、神託はどうかな」
雅の瞳が冷たく光る。
「依夜は魔の声を聞く。それは真実魔の声か?」
「なにが言いたいのです」
「神をも視るようだな。だが、本当に神を視ているのか?
揺さぶりをかけられている。それがわからないほど自分は愚かではない。そう思うのに微かに眉が動いた。雅の瞳はそれを見逃さなかったようだ。
「私の息子は神託により遠方へ出向させられている。桜の宮から追い出されたようなものだ。これは誰のご意志だ? 神か?」
「個人的な恨みを仰られても困ります」
「我が息子を邪魔だと思い神に伺いを立てたのは鈴鳴家の家主だ。神はその通りに神託を降された」
「それが?」
「神託に人の意思が立ち入る隙がないなどとはお前も思っていないだろう?」
「そのようなお話でしたら申すことはございません。失礼致します」
今度こそ雅の瞳をふり切り、踵を返した。大股で外へ踏み出す。
雅は政にも神事にも精通している神官長だ。なんの考えもなく個人的な恨み言を、しかも神を疑うような発言をしたとは思えない。
(なんの意図が————)
その意図がなんであれ、生成にわかった事はひとつ。雅は依夜の病に気がついているのだ。
たとえ依夜に視えているものがなんであれ、退魔の力を使えるのだからそれで良いのだ。それをわざわざ指摘してくるなど。
(面白くないな)
弱味を握られているのは不味い。自分の今後のためにも。依夜は自分の妻となるのだから。
(厄介なことにならねば良いが……)
* * *
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