二、
第46話
最後の一戸を売り、配置営業への引き継ぎを済ませて東京へ戻ったのは十二月下旬だった。
「娘を連れて本社凱旋とは、さすがトップはやることが違うな」
本部長室へ報告に訪れた俺に、本部長はデスクから少し身を乗り出すようにして皐子を見る。
「向こうは認可外ならすぐ空いてたので良かったんですけど、こっちは待機児童がすごいんですね。明日からはベビーシッターを頼みますが、今日は予定が合わなくて」
鋭い視線に怯えたのか、脚にしがみつく皐子を抱き上げて背をさする。皐子は俺の首にしがみつきながら、本部長をじっと見つめた。
「瓜二つじゃねえか。将来が楽しみな別嬪だな」
古臭い表現に、ふと久我を思い出す。
――こんな話、そのまま外に漏らすわけにはいかんのでね。
苦渋の表情で、煙草の煙を長く吹いた。
土着神信仰がカルト化し、信者達が教義に従わない住民を殺戮したのち集団自殺。
これが、狃薗で起きたあの事件の「表向きの内容」だ。
もちろん俺と河田の言い分だけでこうなったわけではない。あの時、河田の手榴弾と車の爆発で起きた黒煙がパトカーと消防車を呼び寄せていたが、邪魔をされたくなかったらしい猿神が配属していた残りの住民達に襲われていたのだ。
俺が河田と皐子を連れて入口まで戻った時には、警官一人と消防士一人が倒れて、残りは車の中で缶詰になって応援を待っていた。あいつらは俺達に気づくと牙を剥いたが、すぐに大人しくなって四つん這いで山の中へと消えて行った。
ようやく出てきた警官達に河田を任せ、集落最後の姿を一瞥した。燃えろ、と呟いた瞬間爆発した河田の車に、弔いと後始末は全て託した。黒煙を噴き上げた爆炎は山へ燃え移り、最終的に集落のほぼ全域と猿神の祠辺りまで焼き尽くしてようやく鎮火した。住民は全員死亡、俺達が殺した連中も司法解剖の結果、死後数年は経っていたことが判明した。通常なら死体損壊罪に当たるところだが俺も河田も罪に問われることなく、無罪放免となった。
狃薗跡地には、今もマスコミやオカルト系のライターがひっきりなしに訪れているらしい。でも、真実が漏れ出ることはないだろう。
あのあと沙奈子の祖父から連絡が来て、噂を聞いた相手を探したが見つけられなかったと詫びられた。まあそうだろう、セイミョウは最初から「どこにもいなかった」のだ。そのあと、二度と沙奈子と接触しないようにと念を押された。
――もう二度と、沙奈子んとこに「それ」を寄越さんといてください。あの子には、幸せになってほしいがや。
沙奈子が最後まで守られたのは、祖父のおかげだったのだろう。聞き慣れない方言交じりの願いに頷いて、電話を終えた。
河田は失明し、今はまだ治療とリハビリを続けている。そのうち義眼もできると話していた。まあそのうち、セイミョウよろしく「見える」ようになるはずだ。
――寂しいから、たまには顔見せに来いよ。ああ、そういや福原に飛ばした女が首吊ったってよ。
ついでのように報告された大崎の死は、別に意外なものではなかった。中途半端にプライドが高い大崎には耐えられなかっただけの話だ。そのうち社長も知る日が来るだろうが、多分その頃にはそれどころではなくなっているだろう。
「では、私はこの辺で。営業部に挨拶してから帰りたいので」
「ああ、ご苦労さん。『これから』も、娘のためにもしゃんしゃん売ってくれ」
含んだ物言いをして煙草に手を伸ばす本部長に頭を下げ、絨毯張りの部屋を出る。
「次は、お仕事の部屋に挨拶に行くよ」
皐子を連れて歩く俺を、行き交う社員が少し驚いたように見ていく。皐子はこくりと頷き、おさげの先を揺らした。稚い頭を撫でた時、向こうでエレベーターの扉が開く。中から数人、険しい表情の男達が足早に降りて来るのが見えた。
察して少し脇に避けた俺達を、彼らはやはり珍しいものを見るように眺めながら行き過ぎる。そして、さっき俺が出たばかりの部屋へと入って行った。さすが、SESCは優秀だ。
俺に向かい手を伸ばす皐子に気づき、抱き上げる。マダムには最後まで厳しく言われて終わったが、かわいいのだからどうしようもない。
「多分、もう少ししたらさっきのお部屋に入れるよ」
思わず口の端に出てしまう笑みを収めて、止まっていたエレベーターに乗る。向こうの扉はまだ、開く様子はない。
「俺の娘に、手を出そうとするからですよ」
ぼそりと呟き、少しずつ途切れていく腐れ縁を眺める。扉が閉じるとともに深くなった息を、大きく吸った。
予想どおり大騒ぎになっていた営業部では挨拶する間もなく、総務部長に呼ばれて皐子とともに臨時のヒアリングを受けたあと、ようやく解放された。総務部もまだ全容を把握できてはいないらしいが、「予定どおり」本部長にインサイダー取引の嫌疑が掛けられているのは間違いなかった。高瀬との業務提携を公表する前にある政治家に情報を流し、株を大量買い付けさせた疑いだ。
――また改めて社として謝罪させていただくけど、ひとまず高瀬社長に謝罪をお伝えしてほしい。君にも本当に、申し訳ないことをしてしまった。
沈痛の面持ちで深々と頭を下げる総務部長にはこちらが申し訳なくなって、「大丈夫だと思いますよ、うちの義母は優しいので」と言っておいた。まあどのみち行かずにはいられない場所だから、さっさと済ます方がいい。
アポなしで社長室を尋ねた俺達を、義母はすぐに招き入れて腰を上げた。有閑マダムだった頃はカーブを描いていたロングヘアは、社長の座に就いた時から前下がりのストレートボブになった。丁寧に染め上げた髪に白いものはなく、金で磨いた肌も同年代に比べれば若々しい方だろう。でも皐子に比べれば見劣りするのはどうしようもない。
「この子ね、噂の娘は」
日本人同士の挨拶らしからぬハグで俺を確かめたあと、隣に佇む皐子の前に腰を屈める。体に沿う質の高そうな紺のスーツに白いフリルシャツの組み合わせも、髪型と合わせて制服みたいなものだ。その野心と覚悟、女の勘だとしても経営手腕そのものは今も尊敬している。
「やあね、そっくりじゃない。あなたの子じゃないわって言ってやろうかと思ってたのに」
品定めするように皐子を眺めたあと、怯えて俯く皐子の顎を指先で持ち上げた。
「気弱な娘なので、どうぞお手柔らかに」
救いを求める視線に応えて皐子を抱き上げると、義母は分かりやすく機嫌を損ねる。眉間の皺を深くして腰を上げ、それはそうと、と手を払ってデスクへと戻った。
「例の件は、順調に進んでるみたいじゃない。さっき、社長からなるべく早く詫びに行くって連絡があったわ」
「おかげさまで、助かりました。あとはもう、いつ引き上げてくださっても構いませんので」
「引くつもりはないわよ。ほかでもない、あなたが出したアイデアですもの。それに」
予想していた返答を投げて、義母は重厚なデスクに頬杖を突く。俺をベッドに誘う時の、粘りつくような視線を向けた。澱んだ、光のない目だ。皐子には見せたくなくて、抱き直して後ろを向かせる。
「そろそろ傍にいてほしいのよ。一人は寂しいわ。あなたは結婚しないから、最期まで一緒にいてくれるでしょ?」
俺は確かに「結婚しない」が、義母のそれは「結婚させない」だろう。高瀬に呼び戻して社長付の秘書辺りにするつもりだろうが、実際には昔と同じ慰みものだ。この女が生きている限り、俺は自由にはなれない。
「そうですね。私もそろそろ全国を飛び回るのも疲れましたし」
「嬉しいわ。じゃあ今度のクリスマスは、お祝いの食事でもしましょう。二人きりでね」
皐子にちらりと冷ややかな一瞥をくれたあと、俺に微笑みかける。脳裏に浮かぶのは、薄闇で俺の肌を這う手だ。ぞわりと肌を這い上がる悪寒から意識を逃し、一息つく。
「承知しました。しばらくは本社にいてこの件に関わると思いますので、よろしくお願いします」
儀礼的に頭を下げて、踵を返す。しがみつく手に力を込める皐子の背を撫で、地獄のような部屋を出る。ドアを閉めて溜め息をつくと、全身がじわりと汗を滲ませたのが分かった。だめだ、耐えられない。同じ女で、なぜこうも違うのか。
「おとうさん」
気づくと、体を起こした皐子が不安そうに俺を見ていた。「だいじょうぶ?」と手話で尋ねた皐子に頷き、頭を撫でる。まだ「おとうさん」と「ごはん」「おいしい」くらいしか話さないが、これから少しずつ増えていくはずだ。皐子の口にはもう、二枚目の舌はない。
額の汗を拭い、窓のない廊下をゆっくりと先へ進む。辿り着いたエレベーター前で、一階ずつ上がっていく電光掲示板の数字を皐子に声にして聞かせる。
「じゅう、じゅういち、じゅうに。さあ、開くよ」
到着の音を鳴らすエレベーターに、一歩脇へと退いて開くのを待つ。やがて重い扉が開いて出てきたのは、「兄と姉」だった。二人は驚いたように俺達を見たあと、複雑な笑みを浮かべて奥へと向かう。ここで「お前のせいで」と言える度胸があればあの女も俺にここまで執着しなかっただろうが、仕方ない。牙のないご令息達には無理な話だ。それでも。
エレベーターに乗り込み、社長室を目指す背を眺める。目撃者になるくらいなら、できるだろう。少しは役に立ってもらわなくては。
「大丈夫だよ、皐子が心配することなんて何も起きない。あの人は、胸がぎゅっと痛くなって死ぬから。もうちょっとしたらね」
閉じていく扉の向こうに予言を投げ、皐子を抱き締め直す。
「ほら、今度は数字が下りていくよ。じゅう、きゅう、はち」
読み上げる数字を、皐子もじっと見据える。
「さん、に、いち。ほら……もう、大丈夫だよ。ここからは、手を繋いでいこう」
ゆっくりと開く扉に皐子を下ろし、小さな手を握り締める。乗り込む波に先んじて箱を出て、美しく磨かれたロビーをまっすぐに外へと向かう。吹き抜けの中央には美しく飾り付けられた大きなクリスマスツリーがあって、皐子の視線を釘付けにした。このサイズは無理だが、俺もきちんと準備している。今年は、二人で過ごす初めてのクリスマスだ。
多分、そろそろ騒がしくなる頃だろう。自動ドアの磨かれたガラスに映る目が、ふと金色に光る。小さく湧いた笑みを収めて、寒風の吹き荒ぶ外へと逃れた。
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