第43話

「……済んだか」

 荒れた息を吐く河田が、袖口で血に塗れた顔を拭う。

「ここのはな。でも、全部で三十人はいるはずだ」

 俺も血と汗で濡れた額を拭い、血腥いコートをようやく脱いだ。少し涼しくはなったが、まだ顔は燃えるように熱い。

「まだいるのかよ。残りはお前がしろ、俺は四十肩が疼く」

「死ねば疼かなくなるぞ」

「高え代償だな」

 河田は鼻で笑いながらコートを脱ぎ捨て、一仕事を終えたあとの一服に火をつける。同じように咥えた俺に火を差し出した。久し振りに、沁みる一服だ。

 つまりは、とやがて切り出した河田に煙を吐きつつ隣を見る。

「こっから向こうの山まで行く間に、あと十五人殺せってことか」

「まあそういうことだな。ご丁寧に第二幕が用意してあるんだろ」

 猿神が俺を生かしているのは娯楽のためだ。俺が追い込まれて足掻くさまを、心ゆくまで楽しみたいのだろう。

「一旦車に戻って、行けるとこまで行って乗り捨てりゃいい。燃料積んでるから、まとめて吹き飛ばせば済むだろ。車ん中にRPGも積んでる」

 河田は猿神の趣向を台無しにする提案をして、煙をたなびかせた。

「派手好きだな」

「年取るとせっかちになるんだよ。年がら年中、誰かが『世界の半分をやろう』て言ってくれねえかなと思って生きてる」

 世界の半分? 訝しげな視線を向けた俺に、河田は苦笑して煙草をにじり消す。

「分かんねえか。ゲームのネタだよ」

 転がる死体の頭を小突くように蹴り、再び上へ向かって歩き出した。俺もそこら中に転がる無惨な死体を眺めて手を合わせ、あとを追う。

「あの尼さんは何する気だ」

「詳しくは知らねえよ。何するかも聞いてねえし。猿神殺すって言うんだから、殺すんだろ」

「女には甘えな。その優しさを半分俺にも回せよ」

「生かしてんだから十分だろ」

「edgeのママには『あいつはやめとけ』って言ったんだけどな。地方妻にもなれず捨てられる未来しか見えなかったし」

「惚れてたのか」

「惚れてはねえな。店の居心地は良かったけど、女としてはもうちょっと頭と勘が鈍い方が好みだ」

「なら、大崎とそのまま納まりゃ良かったじゃねえか。祝儀くらい出してやったのに」

 煙を吐きつつ嗤うと、前を行く河田が肩越しに俺を一瞥した。

「一応『金が作れたら迎えに行く』って送り出したぞ」

「それは飛ばねえようにだろ」

 河田は、好きで溺れる俺とは違うだろう。商売や金を絡めずに女を見たことは、抱いたことはあるのだろうか。

「ちょっとは理解してんだよ。結婚や妻はいらねえガキだけほしいってのは。まあ俺は、きっちり俺の血を継いだ人間のガキがいいけどな」

「背中ががら空きだな」

「ここでぶっ刺してくるようなバカじゃねえよ」

 河田は一足先に辿り着いて車に乗る。視線に促されて、俺は助手席に乗った。振り向いた後部座席には本当にRPGがあって、苦笑する。

「ロシア系と繋がってんのか」

「いや、親ロシア派の中華だ。親父の縁でな。お前がチクった板前は、本国の組織に捨てられた奴がごろつきを寄せ集めて日本で作ったエセ中華系組織の末端だった。自分らは筋を通さねえくせに相手には求めるクソどもでな。ほかの組織の人間がチクってたら、こんなど田舎で戦争が起きてたわ」

 車は砂利を踏みながら空き地を出て、道を下り始める。

「自力で抑えきれるもんならそうしてえけど、近年日本海を渡ってくる奴らが多すぎてな。こんな田舎なんぞ簡単に荒らされる。手え組んどかねえと治安が維持できねえんだよ」

 河田は容赦なく死体を踏み越え、未だ黒い煙を上げて燃え続ける車の傍を抜けた。この先は俺にとっては未知の場所だが、河田には覚えがあるのだろう。河田の親は、まだ生きているのだろうか。さっきの中にいたとは思いたくないが、三十年も経てば見分けがつかないかもしれない。

「あんたが死んだら街は一気に『外資系』になるわけか」

 だから、久我を始めとした警察は見ないふりをしているのだろう。必要悪だ。

「ストッパーがいないわけじゃねえけど、俺が一番『お行儀がいい』からな」

 静まり返った不気味な集落の中を、車はゆっくりと進んで行く。残り十五人はどこに隠れて、と民家を窺った視線が止まった。

「おい、ちょっと戻れ」

 俺の声に河田は素直に車を止め、少し下がる。改めて見た民家の玄関に、血に染まった体が倒れていた。逃げようとしたところを、操られた家族に襲われたのか。

「全部操られてるってわけじゃねえみたいだな。操られた奴とそうじゃねえ奴の差はなんだ」

「猿神に願った奴とそれ以外の奴だろ」

 ああ、と気づいて頷く。猿神に願った奴の全部が、河田のように自白したわけではないだろう。不本意な状況を口にせずじっと耐えていた連中もいたはずだ。それがあの十数人、か。ただ猿神に願った奴が操られるなら、河田も。

「あんた、猿神の駒になってねえよな」

「殺すぞ」

 即座に否定された疑いに苦笑して、再び座席に凭れる。それでも、猿神の指先一つで動かせるはずだ。

――あの男と殺し合う様も見てみたいしな。

 まあ、今は言わない方がいいだろう。

 再び車を走らせ始めた河田に言葉は足さず、フロントガラスの向こうを見る。皐子が向かい、セイミョウが追って行った山だ。

「いよいよ、本丸だな」

「ああ。やっと殺せる」

 呟く俺に、河田は不穏な言葉を吐く。今のところ共同戦線は張れているが、状況によっては躊躇いなく皐子を殺すのは分かっている。先に殺しておくべきか。

「一緒に戦った同志に随分な殺気だな。フロントで家売るよりバックで土地転がせよ。地面師やらねえか」

「やらねえよ。客を騙すのはポリシーに反する」

「血だらけで言うセリフかねえ」

 河田は笑い、腰ポケットを探る。取り出した煙草のボックスを開けたあと、舌打ちをして握り潰した。

「一本恵んでくれ」

 窓の外へ投げ捨てられるゴミに苦笑し、内ポケットから煙草を取り出す。俺の方も、あと三本になっていた。縁を叩いて一本河田に引き抜かせたあと、俺も一本咥えて引き抜く。二人分に火をつけると、車内には同じ臭いが充満した。

「きっついの吸ってんな。ガキかよ」

「初めて契約取れた日から、契約の日はこれ開けるようにしてんだよ。昨日契約だったからな」

 しょっぱい顔で煙を吐く河田を鼻で笑う。まあ一ミリメンソールに慣れた身に、タール十四ミリはきついだろう。俺も普段は七ミリだ。昔は開けた日に吸い切っていたが、今はもう二日掛かるようになってしまった。

「お前みたいなばけもん営業でも験担ぎか。まあ俺もデカいヤマの日は、左から靴下を履くけどな」

 想像した姿が笑えて、仰ぐように煙を吹く。

「笑わせてんじゃねえよ、いいおっさんが」

 肩で笑いを刻み、煙草を噛む。染みる煙に、瞬かせた目元を拭った。なあ、と聞こえた声に、煙を透かして運転席を見る。

「俺が猿神に乗っ取られたら、迷わず殺せよ」

「言われなくても躊躇しねえ」

「慈悲深くて涙が出るな」

 河田は鼻で笑い、辿り着いた山の麓に車を止めた。

 無言で降りた河田に俺も続くが、河田は山ではなく民家の方へ向かって歩き出す。なんとなく予想できる行き先に、黙ってついて行く。やがて河田は古びた家の前で足を止め、煙草を落としてにじり消す。トタン張りの小さな平屋だ。門扉もなければ表札もなく、玄関戸は大きく引かれていた。

「ここが、本当の実家だ」

 河田はぼそりと呟いて、不気味なほどに静まり返った中へと向かう。近づけば、血をまとう足跡がいくつか見えてくる。これは「どちらのもの」だろう。やがて少しずつ明らかになっていく玄関の上がり框に、夥しい血を流しうつ伏せで倒れている老人の姿があった。血に染まっているが、痩せた首が噛み千切られているようにも見える。上がり框から伝い落ちてできた血溜まりは、まだ乾いていない。煙草を携帯灰皿に押し込むと、鉄くさい血の臭いが鼻を突いた。

「母親だろう。てことは、さっきのクソどもの中に親父がいたんだな。どうせなら顔を見て殺したかったけど、仕方ねえな」

 べったりとたたきに残る血の足跡は裸足で、意外に小さい。手を合わせる河田に倣い、俺も手を合わせる。踵を返した河田に続いて、家を出た。弔いは「あとでまとめて」するのだろう。

 寄り道を終えた足取りは、迷わず山へと向かう。麓からは自然石の、狭い階段が続いていた。集落の入口は照葉樹が冬枯れしていたが、こちらの山は針葉樹が多いらしい。清々しい香りは漂うものの、目指す先は鬱蒼とした暗がりだ。ぞわりとするのは、汗で濡れたシャツのせいではないだろう。上っていくほどに澄むはずの空気が、明らかに澱んでいる。

「こんな禍々しいもん、よく祀ってられるな」

「そうか? 俺はなんも感じねえ性質でな」

 河田は足を止めて荒い息を吐き、腰を伸ばした。さっきの一幕で体力が切れたらしい。日頃の不摂生がたたっているのだろう。

「なんでこんな遠いんだよ、クソが」

「何ちんたらしてんだ、先行くぞ」

「行くんじゃねえ、ふざけんな」

 追い抜いて上って行く俺を、荒い息の間に呼び止める。

「上に着いたら、殺す前に猿神に猶予もらえよ。このままだと即死だぞ」

「お前もあと十年経ったらこうなるんだよ」

「やがて行く道だな。肩貸すか?」

 鼻で笑うと、河田は舌打ちで応えてまた歩き出した。俺を追い抜き、前を行く。

「帰ったら節制しろよ」

「帰れたらな」

 嘲笑交じりの答えになんとなく未来が透けて見えて、思わず黙る。もしかしたら、河田の人生の本懐は猿神を殺すことなのかもしれない。実の両親も死んだ今、それが達成できればもう。振り向かない背に溜め息をつき、少しぬかるむ段を急いだ。

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