第42話

 適当な空き地に車を停めると、河田も少し離れたところに停める。俺は笹原の生家に一件を報告する目的で来ているからスーツにコートだが、現れた河田は殺し屋そのものだ。黒のタートルネックに黒のロングコート、黒の革手袋の出で立ちに、目を覚ましたばかりの皐子が怯えた。

「冷えますね」

 河田は懐から煙草を取り出し俺に勧めるが、手で断ると自分だけ咥えて火をつけた。

「ここで見下ろすのは三十数年ぶりですかね。あなたも狃薗の出だそうですが、何年ぶりですか」

 目を細めて煙を吐きながら、セイミョウに話を振る。

「随分昔のことですので、もう覚えておりません」

 素っ気なく返すセイミョウの息が白くて気づく。今日も黒の法衣に頭巾姿で、何も羽織っていなかった。頭巾から覗く肌は青白く、唇にもあまり血色はない。

「セイミョウさん、寒くありませんか。もしよければコートを」

「いえ、大丈夫です。寒さには慣れていますので」

 皐子を下ろしてコートを脱ごうとした俺を止め、俺の脚にしがみつく皐子を見下ろす。まるで、見えているかのようだ。

「お前の邪悪な手遊びに、どれほど多くの魂が惑わされたか」

 セイミョウの声に引き出されるようにして現れた猿神が、金色の目を光らせてにやりと笑う。次には、すうっと俺達を見下ろすほど高くまで浮いた。

「皐子!」

「我が器をここまで運んでくれて感謝する。せっかく、このような辺鄙な地まで足を運んだのだ。歓迎してやろう、楽しむが良い」

 猿神はまた笑ったあと、体を翻して宙を滑るように飛んでいく。皐子、と呼ぶ俺の隣で、河田は懐から銃を取り出した。

「ふざけんな」

 迷わず銃口を手で塞いだ俺を、河田はぎろりと睨みつける。殺意しかない視線だった。

「殺さねえなら殺すって言っただろ」

「殺すのは猿神だけにしろ、皐子は俺の娘だ!」

「いつまで血の繋がらねえ化物とままごとを」

「争っている場合ではありません」

 嘲笑を浮かべる河田に蹴りを入れようとした時、ぴしゃりと冷たいセイミョウの声が割り込む。河田から離れ指差された方を見下ろすと、老人達がわらわらと家から湧いて出てきていた。不意に、銃声が響き渡る。改めて目を凝らし確かめた連中の手には鉈だの鎌だの猟銃だの、河田と負けず劣らず物騒なものが握られていた。

「どういうことですか」

「猿神が操っているのです。私は猿神を追いますから、彼らはあなた達に任せます」

 セイミョウは当たり前のように始末を俺達に託し、消えた。悲願の仇討ちを前に、もう隠す気もないらしい。

「化物と幽霊か。てめえのままごとにちょうどいい面子だな」

「黙れよ。あんたはもう客じゃねえ」

 睨み返して煙草を出し、一服吹かす。猿神のせいで彼ら全員が殺戮マシーンと化していたところで、ほぼ老人だ。全部で十五、六人か。早足でこちらを目掛けているのだろうが、子供の足と変わらない。猿神は、虐殺が見たいのだろう。趣味が悪い。

 高瀬、と聞こえて視線をやると、河田が棒切れのようなものを投げる。受け取って確かめた合口あいくちは、冴え冴えとした輝きだった。

「準備がいいな」

「皆殺しにして火をつけるつもりで来たからな。まさか『殺しは初めてです』とは言わねえよな」

「言わねえけど、あんたよりは殺してねえよ」

 どうだかな、と河田は鼻で笑い、また銃を構える。一発撃ったのが外れたと見えて、舌打ちした。今更だが、あの噂は事実だったらしい。

「やっぱ粗悪品か。高え金取りやがって、帰ったら沈めねえとな」

「老眼のせいだろ」

「老眼はな、遠くはよく見えるんだよ」

 河田はぼやくように言って、車へ戻る。

「結局ヤッパ頼みか。血が飛び散って汚えんだよなあ」

 戻って来た手には、俺に渡したものと似たような合口が握られていた。

 麓までようやく辿り着いた先頭集団に、ネクタイを引き抜いてポケットに突っ込む。煙草をにじり消して肩を回し、合口の鞘を抜いた。

「今更だけど、死ぬほど趣味の悪い神様祀ってんだな」

「そうか? 生贄が必要な神なんて、珍しくねえだろ」

 嘲笑で歩き出した河田に続き、俺も道を下りて行く。俺達を見つけた連中は途端、金色の目を光らせて牙を剥く。一気に、足取りの勢いが増した。ああ、これは。

 来た道を戻りながら、銃を取り出した河田が全弾消化する。一、二発は当たったのか、呻き声が上がった。

「下手な鉄砲だな」

「俺のせいじゃねえ」

 河田は銃を投げ捨てたあと、ポケットからとんでもないものを二つ取り出す。銃は見たことも撃ったこともあるが、手榴弾は初めてだった。そんなものまで扱っているのか。

「戦争する気かよ」

「戦争みてえなもんだろ。目え閉じて耳塞いで口開けよ」

 おい、と止める間もなく河田はピンを抜いて次々と連中の方へ投げる。慌ててガードレールを乗り越え、茂みに飛び込んで背を向ける。言われたとおりに身を守ってすぐ、何かが爆破されたような轟音が響き渡り爆風が木々を揺らした。

 風が収まるのを待って体を起こし、なんともいえない臭いを嗅ぎながら道へ戻る。さすがに、と確かめた下を見て、愕然とした。横転して燃え上がる車を背後に、ゆらりと立ち上がる影があった。

「……残ってんじゃねえか」

 起き上がらない奴もいるから、全員ではない。でも頭が欠けた奴や腕がもげて血を滴らせている奴、全身が爛れたようになっている奴が、何事もなかったかのように再び牙を剥いて駆け上がってくる。

「ゾンビかよ」

 遅れて戻ってきた河田が、コートを軽く払いながら悪態をついた。

「どうだろうな。案外もう、全員死んでたのかもな」

 ああ、と納得する河田に一番手が大きく跳ねて飛び掛かる。高齢者と思えぬ俊敏さは、まるで猿のようだ。河田は焦る様子もなく蹴り倒し、合口を首の根本にぶっ刺す。ぎぃぃ、と獣のような雄叫びが上がった。

「じゃあ、どうすりゃいいんだ。埒が明かねえぞ」

 河田の声に応える間もなく、俺にも飛び掛かってくる。乱れた白髪を引っ掴んで首に合口を突き刺したが、動きが鈍くなる程度だ。九十も近そうなばあさんが間近で鋭い牙をがちがちと鳴らしながら唸り、威嚇するように息を吐いた。

 枯れた体を思い切り蹴り飛ばすや否や飛び掛かってきた次の奴には、腹にぶっ刺してみる。でもこちらは大して動じる様もなく、俺の首を痩せた手で掴もうとした。まだ首の方が手応えありか。合口を引き抜いて蹴り飛ばし、まとわりつく血を払って荒い息をつく。

 確かにこのままだときりがない。でも「動かなくなった奴」がいるのだから、息の根を止める急所が必ずあるはずなのだ。

「下の動いてねえ奴を確かめたら、急所が分かるんじゃねえか」

「マジで言ってんのか、クソが!」

「だったら代替案出せよ、出さずに文句言ってんじゃねえぞ!」

 河田の悪態に言い返し、俺を目掛けてくる奴らに構える。

 さっきの爆発が効いて動きは多少鈍っているが、二体まとめて飛び掛かって来るのはさすがにきつい。一体に合口を刺して鉈を奪い、もう一体の首に振り下ろした。派手な血飛沫が上がる。

「どうせならショットガンくらい持って来いよ」

「猟銃持ってるジジイから奪え」

 ああそうか、と探した先で構えた奴を見つける。慌ててぶん投げた合口は、うまく脳天にぶっ刺さった。飛びつこうとする腕を払って辿り着き、奪ったショットガンで飛び掛かって来た奴に撃ち込む。

「急所確かめるから、下りてこい!」

 踏みつけた奴のベストから弾を仕入れ、河田を呼ぶ。唸り声を上げて飛び掛かってきた奴の頭に一発打ち込んで蹴り倒し、河田が下りてくるのを待って更に下へ向かった。

 奴らが飛び掛かって来づらいように林の中を選んで下り、どうにか動かなくなった死体まで辿り着く。

「早く確かめろ!」

 開けた場所に出れば、当然奴らの動きも戻る。

 急いでうつ伏せになった遺体をひっくり返すと、顔が潰れていた。顔か? でも焼けただれていた奴は……ああ、そうか、目だ。

「目だ、両目を潰せ!」

 セイミョウは、目を焼かれたことで猿神との繋がりが途切れていた。間違いないだろう。近づいた奴の顔を目掛けて最後の一発を撃ち込むと、呆気なく倒れて動かなくなった。

 弾の切れたショットガンで次の奴を殴り飛ばし、杜撰に突っ込んでいたポケットの合口を取り出す。容赦なく襲い掛かってくる金色の目を、片っ端から潰していく。手に伝わるいやな感触を振り切るように、次々ととどめを刺した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る