第32話

 長尾が計画の進展を耳打ちしたのはそれから五日ほどあと、鮮やかに色を変えた街路樹が葉を散らし始める頃だった。そろそろ、コートなしでの休憩はきつい。

「本部長から、探りが入りました。高瀬さんが社長相手に妙な動きしてねえかって。娘さんのことで慌ただしくはしてます、て言ったら『それならいい』と」

「やっぱり繋がってたな」

 予想どおりではあったが、時間は掛かった。手応えのなさに、読み間違えたかと不安になり始めていたくらいだ。

「なんで分かったんですか」

「社長に娘と俺をくっつけろってそそのかしたのは本部長だ。社長だって俺との縁は欲しいけど、継がせたいのは長男なんだよ。娘が俺を婿に取れば、脅威になるのは確かだろ? 本来なら、それほど気乗りしない人事だったはずだ。ただそこを本部長が、『高瀬を確実にうちに繋ぎ止めておくには結婚しかない、高瀬との縁があるのは強い』とでも言ってゴリ押ししたんだろ。フルコミなら一億プレイヤーなのを、三千万で我慢させてる状況だからな。俺が明日競合のスカウトに靡いても、恨み節吐ける立場じゃねえよ」

「ですよね」

 長尾は苦笑して、寒風に身を震わせたあと煙草を噛んだ。

「でもお前が本部長の立場なら、『社長の娘』ってだけでよく知らねえ女を送り込むか? 『会社の素晴らしい未来』のために」

「まあ自分と通じていて、送り込めば何かしらメリットがあるからって考える方が妥当ですね。じゃああの二人、付き合ってたってことですか」

 俺の読みではそういうことだ。ただ、大崎から仕掛けた関係ではないだろう。

「中学とか高校とか、中途半端なお嬢が付き合ってんのって大体ヤンキーだっただろ」

「俺の学校、ヤンキーいなかったので」

 長尾の答えを鼻で笑い、煙を吐く。

 そういえば、長尾は賢い奴専用の公立出身だった。俺は、金さえ積めば入れる中高一貫私立の出だ。親が金持ちってだけのろくでもないクズと、頭の弱いお嬢様がごろごろしていた。

「周りの善意によって守られた籠の中でぬくぬく育つと、あの手の危険な臭いがする男に惹かれるんだろうよ。じゃなきゃホストはまだしも、河田みたいな腥えのにコロッといくかよ」

「そういえば、マダムは商談を覗きながら『やだわーああいうのはクズの極みよー』って言ってましたね」

「辛辣だからな」

 辛辣だが、真っ当な評価だ。さすが県職員を夫に選んだだけのことはある。どれだけ働いたところで給料が変わらないつまらなさに、俺が真っ先に候補から排除した仕事だ。でもその手堅さを好むのが、真っ当な女なのだろう。

「助かったわ。あとは様子見て、SESC証券取引等監視委員会に仕事してもらうだけだな」

 業務提携の話は今頃、両社の主要部門で動き始めているはずだ。本部長が俺を疑っているとしても、これ程でかいことを仕掛けるとは思っていないだろう。うちと高瀬の業務提携が発表されれば、株価は爆上がりだ。本部長は、必ず食いつく。

 ただあの女が俺の願いに従うかどうか、保証はない。まあ俺の名前さえ出さなければ何をしたって構わないが、それは楽観的すぎる。

――あなたは私のものよ。

 あんな台詞を吐く女は、あいつだけだ。

「長尾は徹底して知らないフリしろよ。まとめて引っ張られるぞ」

「はい、気をつけます。じゃあ俺は戻ります」

 煙草を携帯灰皿に突っ込んで、長尾は戻って行った。

――長尾は数字上げられねえから、そこ売り切ったら配置に戻して入居までのフォローにつかせる。

 長尾に替わる駒を見つけたらしい本部長は、あっさり長尾を切り捨てる決定をした。とはいえ俺がこの先二戸回せば、配置に戻す理屈は通らなくなるだろう。それに、残留の枠は大崎が間違いなく願うはずだ。そろそろ河田が牙を剥く頃だし、こちらも地獄が始まっている。

 休憩を終えてモデルルームへ向かうと、客を見送ったばかりの大崎がいた。

「おつかれさまです。手応えはどうでしたか」

「割と、良かったと思います。また来てくださると思いますので」

 大崎は俺を見ないまま答え、一足先に中へ入って行く。当然、嘘に決まっている。

 ここは俺ですら売りにくい土地で、しかも硬直した現場だ。営業ノウハウもろくに知らない、所長の肩書を引っ提げた若い女が簡単に売れるような場所ではない。二戸目が売れない焦りと不安は相当なものだろう。ハリボテのプライドが崩れ始める時期が来た。本当にプライドの高い奴なら、あの申し出の時点で無礼だと突っぱねている。

 仕事がうまくいかなければ、ほかに救いを求めるのは人間の性だ。大崎には、一見うまくいっているように見える恋がある。河田はテコ入れの名目で店に出ているらしいから、順調に搾り取っていくだろう。

 とはいえこちらも、河田がこのまま大崎を沈めて素直に俺を見送るとは思えない。店長がたまに動向を連絡してくれるが、これは俺から吹っ掛けたことだ。あまり危ない橋を渡らせたくはない。

 一筋縄ではいかないことばかりで息苦しいが、今度の日曜には皐子の生活発表会が待っている。昨日ダンス踊っている姿をこっそり見ただけで、泣きそうになってしまった。晴れ舞台を映像に残したくて、ビデオカメラも購入済みだ。保存用と観賞用にDVDを焼かなくてはならない。

 持ち直した胸に安堵して、深呼吸をする。落ち葉の張りついた玄関前を掃除したあと、中に戻った。

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