第28話

 俺はあのあと長尾と二軒目に行って帰ったが、大崎の方はアフターを選んで河田と消えた。あまりにチョロすぎてむしろ心配なレベルだが、河田はうまく大崎の弱みを突いたらしい。あれ以来大崎は毎日そわそわしていて、マダムとともに定時で帰って行く。河田から『まだヤってません』と下衆な報告が届いたのは一昨日だったか。もちろん、それを依頼した俺の方が下衆なのは分かっている。本人は幸せそうだからいいとしよう。そんなことより、今はこっちだ。

 久我から遺体引き取りの要請が届いたのは、残戸数五戸となった現状に「完売は近い」と月初ミーティングで気合を入れ直していた時だった。

――歯型で本人確認が必要になるような仏さんなんで、棺を開けんようにするか骨葬でええと思いますよ。子供には見せん方がええです。

 事前に契約しておいた葬儀屋には、棺を開けない方で頼んでおいた。きよが対面を選ぶなら、いきなり骨壷はショックを受けるだろうとの判断からだったが。

 どう切り出せばいいんだ、これは。

 保育園から帰り夕飯を食べ風呂に入って、今は一人遊びの真っ最中のきよを眺める。洗濯物を畳む手を止め、溜め息をついた。それでも、「言わない」選択肢はない。

「きよちゃん、おいで」

 畳み終えたタオルを脇に置いて呼んだ俺に、きよは人形遊びの手を止めて駆け出して来る。身を投げ出すように飛びついてきた体を抱き締め、清潔な髪を撫でた。傷つけたくないが、逃げてはいけない場面だ。

「きよちゃんの、本当の名前が分かったよ。皐子ちゃんだね」

 背中をあやすように叩きつつ尋ねると、きよは肩口で小さく頷く。

「本当の名前が知りたくて、皐子ちゃんのお母さんを探してもらってたんだ。それで、見つかりはしたんだけど」

 抱き締めて、長い息を吐く。往生際の悪い何かを抑え込み、唾を飲んだ。

「お母さん、死んじゃってた。住んでたお家の中で」

 少し待っても返ってこない手応えに、体を起こして視線を合わす。まだ、死がピンと来ないのかもしれない。

「死ぬっていうのは、もう会えなくなることなんだ。こんな風にお話したり抱っこしたり、一緒にご飯食べたりできなくなる。会いたいと思っても、もうどこを探しても会えないんだ。俺のお父さんとお母さんも、俺が子供の時に死んで会えなくなったよ」

 メルヘンな表現を好まないきよには、ちゃんと伝える方がいい。

「明日と明後日で、お母さんの葬式をしよう。もう顔は見られないけど、最後に会って、バイバイしよう」

 きよは俺に抱きついたまま、小さく頷く。全てではなくても、理解できたのだろう。

「今年が終わる頃には、ここから引っ越して東京に行く。今は、お友達が『きよちゃん』で覚えてるから保育園ではその名前だけど、東京に行ったら全部『皐子』に戻そう。高瀬皐子になって、ずっと俺と一緒にいよう」

 腕に力を込めるきよを抱き締め直し、目を閉じる。いざとなればいつでも投げ出せる軽い命だが、これ以上、この子に喪わせるわけにはいかない。

 俺も、必ず生き延びる。

「さあ、寝ようか。お布団敷くから、お片付けしてきて」

 腕を離した俺にきよも応えて離れ、おもちゃの片付けに向かう。俺も洗濯物を片付けて、腰を上げた。


 今日から取得した二日間の有給を利用して、あらゆることを片付けていく。笹原の部屋の後始末を依頼した業者と会って貴重品を受け取り、市役所の浅月を尋ねて笹原の死後処理と任意認知の手続きを済ませる。

「すみません、いろいろと融通をつけてもらうばかりで」

「いえ。私達の仕事は子供達の幸福を最優先にしています。ここで事実を要求することが、あの子を幸せにするとは思えませんから。それに」

 浅月は、提出した書類を一通り確かめたあとで、一息つく。

「高瀬さんはあの子が現れた日からずっと、こうして手を尽くしておられます。たとえそこにあるべき事実がなかったとしても、親として一番必要なものを持っていらっしゃると思うので」

 笹原の部屋に足を踏み入れているから、どんな環境で育てられていたのかは浅月も知っている。部屋は小綺麗に整えられていたが、おもちゃや絵本は一切なかった。その代わり、押し入れの中に薄汚れたベビー布団が敷かれていた。周りには、菓子パンとパックジュースの空。そして、幼児向けアニメが流れるDVDプレーヤー。きよはそこで、そのアニメだけを繰り返し観て過ごしていたのだ。

「あの子は救われたと、信じたいんです」

 抑えた浅月の声に、頷く。笹原はおそらくずっと、猿神の力で宿った命を恐れていたのだろう。だから堕ろすことも殺すこともできず、かといって我が子のように抱き締めることもできず距離を取って育て続けた。そして俺に渡す役目を済ませたところで、殺された。

「娘は、何があっても守ります。このまま話せなくてもうまく人と付き合えなくても、私は傍にいます」

 ここで誓うことではないかもしれないが、関わってくれた相手にはできる限り誠実でありたい。東京へ立つ前にもう一度、次は「皐子」を連れて挨拶に来よう。

「お手伝いできることもあると思いますので、何かあればまたご相談ください」

「ありがとうございます。お世話になりました」

 新しい戸籍謄本の受け取り札をもらいながら礼を返し、腰を上げる。続いて立ち上がった浅月と頭を下げあって、ブースをあとにした。

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