第26話

「寺の伝手を頼りに猿神を討つ方法を探し求めるようになった私は、あるお寺でほかとは違う仏像に出会いました。私の見えない目にも、その観音像だけは見えたのです。それが、六觀師の仏像との出会いでした。あなたは、六觀師がかつて僧侶だったのはご存知でしたか」

「いえ、全く。ただ、意外とは思いません。子供ながらに父の仏像には得も言われぬものを感じていましたし、無口で淡々とはしていましたが慈悲深い人でしたから」

 大人になって振り返れば、あの頃には忌々しかった木の粉すら懐かしい。俺がチンピラを殺した日、親父は「忘れるな」と言った。俺の残酷さを、もう知っていたはずだ。

「依頼を選ぶ方で、受け入れてもらえても数年待ちだと伺いました。それでも目に見えぬ私にできる方法は、あれを仏像に閉じ込め御仏のお力をお借りして燃やし尽くすのみ。六觀師に受け入れていただくしか道はありませんでした。そして、六觀師はお応えくださったのです」

 親父は困っている女を全部助けてしまう人だったから、そんな特別なことではない。働かなくても薬から抜け出せなくても一切責めることはなく、死ねば淡々と弔った。

「しかし私は、未熟でした。猿神に気づかれたと察知した私は、あなたに償うことより猿神を封じることを優先させ、途中までできていた仏像を持って逃げてしまった。あとで改めて詫びに来れば良いと、己の都合を優先させたのです」

 苦しげな告白に視線を落とし、当時のことを思い出す。ただ俺も呆然としていて、警察の問いにも答えられなくなっていたくらいだ。いつ誰が忍び込んであれを持って行ったかなんて、考える余裕はなかった。

「結局、未完成の仏像で封じ込められたのは右腕のみ、猿神を討つことはできませんでした。そしてあなたへと、災禍の根を残してしまいました」

「私自身のことは、もう過ぎたことです。でも娘は今、苦しんでいます。救うために、力を貸していただけませんか」

「はい、もちろんです。ただ、今度こそ間違いなく封じるために準備が必要です。仏像は準備できない分、私自身が修行をしなければなりません。一ヶ月ほど、待っていただけますか」

 一ヶ月か。俺は問題ないが、きよは大丈夫だろうか。『12月初旬?』とメモに書きつけてペンを止める。

「承知しました。あと、娘の予言を確実になくすことはできませんか。本人と約束はしたんですが、うっかりの可能性はなきにしもあらずなので」

「御仏のお力を借りることはできますが、策を施せば私の関与に気づかれます。そうですね……お嬢さんは、おいくつですか?」

「五歳です」

「それなら、命の大切さを学んで理解できる年齢です。自分の命がかけがえのないものであるように他人の命もかけがえのないものであることや、予言がその命を奪うものであることを伝えてください。自分の意志で抵抗するよう、辛抱強く教えるのです」

 俺がですか、と素で聞き返しそうになるのを堪え、そうですね、と苦笑で答える。どちらかに振り分けるなら奪う側の俺には皮肉な話だ。とはいえ、きよには俺のような人間になってほしくはない。必要な教育ではあるだろう。

「猿神を討つには、お嬢さんの中から猿神を追い出す必要があります。それには、お嬢さん自身の猿神を拒む強い意志が不可欠です」

 以前、猿神がきよの体を利用して俺を殺そうとした時、きよは必死で抵抗していた。猿神と一心同体ではない。俺を殺したくないと思ってくれている限り、俺に分がある。

「娘は私を慕ってくれていますから、そこは大丈夫だと思います」

「お嬢さんのこと、大事にしてらっしゃるんですね」

 穏やかな声に、ペンを置いてグラスを掴む。水滴の浮く冷たい肌を撫で、氷を揺らした。

「最初は、自分の子供かもしれないと思っていたからでした。でも今は、そんなことは関係なく傍にいたいと思っています。幸い父親の名前が空欄らしいので、任意認知で収まれるのではないかと」

 「自分の子供ではない」と言い切ってしまったが、相手は久我と浅月だ。任意認知をすると言えば、きよの将来を考えて聞かなかったことにしてくれるだろうし、してもらわなければ困る。

「私には血の繋がった父がいましたが、自分の保身のために躊躇いなく私と母を捨てました。母が殺されても微動だにせず、泣きながら伸ばした私の手を払い除けたんです。親子の形に、血の繋がりが必要な理由などありません。血が繋がっていようと、決して親とは呼べぬ鬼もいるのですから」

 実際のところ、我が子を殺す親と我が子のために他人を殺す親ではどちらが罪深いのだろう。何人、どのように殺せばそのラインは覆るのか。まあ提示されたところで、俺は躊躇しない。

「一つ気になったのですが、お話を伺った感じでは、今のお嬢さんには母親も憑いているように思えます。猿神に引きずられたのか本人の念が強すぎたのかは分かりませんが、なるべく早くお弔いをなさってください」

 ああ、そういうことか。予言は猿神の質だが、ママ達が死んだのは。

――どうしてほかのおんながひつようなの。

 あれは、笹原だったのだろう。死んでいるのが残念で仕方ない。

「分かりました。ただ私が遺体を引き取ることにはなっているんですが、また本人確認が終わらないようで」

 久我は歯型が一致すれば返すようなことを言っていたが、どれくらい掛かるのかは聞いていない。

「そうですか。私が祈祷できればいいのですが、やはり介入に気づかれてしまう可能性があります。猿神は己の力を過信しているでしょうから気に留めない可能性はあるものの、用意のできていない状況で危険な橋を渡りたくはありません」

「以前、娘を連れて寺の祈祷を受けに行こうとしたら抵抗されて叶いませんでした。私に降り掛かるものであれば問題はありませんから、慎重にいきましょう」

 きよさえ無事ならそれでいいし、笹原が出てくる気なら望むところだ。

「大抵、霊や祟りに関するご相談を持ち掛けられる方は怯えて疲れ切っていらっしゃるんですが、あなたはそうではないようですね」

 もっともな指摘に、思わず苦笑してしまう。確かに俺はきよへの影響を恐れてはいるが、それだけだ。

「まあ、そうですね。私が怖いのは、どちらかといえば幽霊よりも人間なので」

 俺を含めて、地獄落ちを受け入れている連中はろくなことをしない。また思い出した沙奈子の言葉が胸に堪える。

「自らを貶めても、救われることはありませんよ。ではまた、何かあればご連絡ください」

「……はい。どうぞよろしくお願いいたします」

 沙奈子の言葉に引きずられていたせいか、セイミョウの言葉もじわりと効いた。普段なら鼻で笑っている類のものだ。俺は、救いなんて望まない。

 通話を終え、残っていた酒を一息に飲み干す。滑らかに角を落とした氷が、軽い音を立てて回った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る