第24話

 今日は女将の通夜で、また久我に会った。

「河田さんとご縁があったとは、知りませんでしたね」

「あの辺りの店に懐を開かせるには、協力者が必要なんですよ。毛嫌いされとりますんでね、我々は。『清濁併せ呑むお付き合い』ってやつですわ」

 久我は事もなげに認めて、隣で数珠を揉む。そうは言っても、まことしやかに流れる噂では、河田の裏稼業は薬と武器のブローカーだ。それが本当なら警察が見ないふりをしているのは相当な問題だが、それだけ河田から「何か」を得ているということか。聞かなかったことにした方がいい。気を取り直して、祭壇に視線をやった。

 今日の葬式はママの時より一層ひっそりとしたものだ。親は母親だけで、兄弟もなし。店員はいないし、板前は既に留置所だ。店が使えなくなって裏通りで渡したところを、現行犯逮捕された。部屋からも少なくない薬物が見つかったが、ルートは口を割らないらしい。河田は目障りだと話していたし、おそらく中韓あたりだろう。口を割ったら、出た瞬間に殺される。

「さわこちゃんは、その後お元気ですかね」

 聞き慣れない名前だが、「ちゃん」づけで呼ばれるような存在は俺の周りに一人しかいない。思わず見据えた俺に、久我は薄笑いを浮かべた。

「ああ、あの市役所の方はわざと隠しとるわけじゃないですよ。捜査情報なんで、こちらが許可出すまでは話せんのでね」

 変死体である以上、事件扱いとなるのは致し方ない。俺が浅月に話したことも、もうとっくに流れているだろう。俺が「きよの父親ではない」ことも。

「お嬢さんの本名は、笹原皐子。『皐』の字は、あなたの名前にある『皐』の字ですよ」

「父親は」

 始まった焼香に腰を上げて、久我と共に列の最後尾へと向かう。

「それが、分からんのですよ。以前笹原は東京に住んでいて旦那がいましたが、笹原に問題あっての不妊だったそうです。まあ結果として笹原は妊娠したわけですが、旦那が海外に単身赴任してた最中なんですよ。自分の子じゃねえってんで、旦那は親子関係不存在確認の訴えを起こして離婚してます。それで笹原はこっちに戻ってきたようですね。なんで、あの子の戸籍の父親欄は空欄です」

 短い列の最後に並ぶと、俺も久我も黙った。

 やがて対面した遺影は、店を開いた頃のものだろうか。今より少し痩せていたが、ふっくらとした目元がいつものように柔和な笑みを浮かべていた。

 手を合わせ、ほかに伝えようのない詫びを胸に浮かべる。あれがきよと分離できる何かなら仇討ちを誓いたいが、今は無理だ。誓えないことを、伝えるべきではない。

 ごめんね、と呟いて手を下ろし、あとにした。


「彼女の親族は、なんと」

 会場を出て、裏の駐車場で久我と煙草を吹かす。久我はちゃっかり、俺の一本を奪っていった。

「笹原は県境にあるナラソノって限界集落の出なんですが、だいぶ排他的なとこでね。親に死亡を連絡しても『そんな人間は知らん』の一点張りで。デリヘルで働いとったようですが、店が引き取るわけもありませんし。このままだと本人確認ができ次第、行旅死亡人こうりょしぼうにん扱いで無縁仏ですわ」

 親が受取拒否、か。まあど田舎の限界集落だ。夫以外の相手の子供を妊娠して離婚された娘を快く迎え入れられない「事情」があるのだろう。煙を吐きながら一瞥した久我が、思惑ありげにこちらを見ていた。……仕方ない。

「分かりました、私が引き取りますよ。どんな女でも、あの子の母親には違いありませんから。本人確認が済んだら、連絡ください」

「どうも。歯型をざっと調べたらもう返しますんで、葬儀屋への連絡と部屋の始末も頼みます。不動産屋に話は通しときます」

 溜め息交じりに受け入れた俺に、久我は後始末を押しつけて煙を揺らした。

「じゃあ、私はこれで」

「はい。ごくろうさんでした」

 手掛かりがまるでない「お蔵入り」案件でも、捜査は必要なのだろう。ご苦労なのはお互い様だ。

 駐車場を横切りながらホールを眺めていると、携帯が鳴る。見覚えのない番号は、客か。

「はい、高瀬です」

わたくし、コウエイジの副住職をしておりますツガワセイミョウと申します。猿の化物についての情報をお探しとのことで、ご連絡申し上げました。今、お時間よろしいでしょうか」

 澄んだ声が耳を清めるかのように流れて、思わず足を止める。……そう、猿、猿の化物だ。沙奈子が直接連絡するように交渉すると話していた相手だろう。尼僧か。

「申し訳ありません、今は少し急ぎの予定がありまして。三分ほどでよろしければ」

「では、詳細はまた後ほど改めてお話いたしますね。今は質問を一つお許しください。不躾ながら、奥邨おくむら六觀師はご存知でしょうか」

 車に乗り込みながら答えた俺に、セイミョウは久し振りの名字と名前を口にした。驚きでまた、動きが止まる。

「六觀は、私の父ですが」

「やはり、そうでしたか。私はかつて、六觀師にある仏像の製作をお願いした者です。それが理由で、六觀師は命を落とされました。事のあと、お詫び申し上げねばと改めて訪れたのですが、お住まいは既に無人になっておりました。あなたの行方も知れずで……ご無事をお祈りしておりましたが、まさかまたこのような形で繋がることになろうとは」

 声のトーンを落としたセイミョウは、俺より遥かに多くのことを知っているのだろう。ただそれを聞くには、今は時間がなさすぎる。きよが待っているのだ。

「続きはまた、娘を寝かしつけたあとにお電話しますので」

「ええ、お待ちしておりますね。ではまた」

 相変わらずの声が柔らかに答え、大人しく通話を終えた。

 あの頃に依頼に来るくらいなのだから、既に大人だったはず。五十代くらい、にしては声が若くて透き通っていた。あんな声で経を唱えられたら昇天してしまう……などと言っている場合ではない。頭を現実に引き戻し、保育園へと急いだ。

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