第23話
翌日の午前は早速、所長となった大崎に引き継ぎとモデルルームの案内をデモンストレーションをする。客となった大崎を最初に俺が案内し、今度は大崎が俺を客にして練習だ。高瀬の実子と同じ社長令嬢のはずだが、おっとりとして世間知らずなあれと比べると所作は粗野で品に欠ける。よく言えば庶民的で現実的だから、マンションを売りつけるのにも抵抗はないだろう。
――やっぱり、世襲はダメね。夫も「ただ創始者の血を受け継いだだけ」の二世だったけど、あの子達もそれ以上の利点がないの。せめて外に出て、武者修行してくるくらいの気概があればねえ。
含んだような義母の台詞は、聞こえないふりで通話を終えた。
「いいですね、習得がとても早い。聡明ですね」
「ありがとうございます。まだまだですが、少しでも追いつけるようにがんばります」
卒なく、殊勝な言葉にも口が回る。実際仕事はできるようだし、それなりの野心が垣間見えてプライドも高い。こういうのは足元を掬われやすい。簡単に転がせるタイプだ。
ドアを開けた今日一人目の来客に、デモンストレーションを終えて場を整える。新規来店の客は、身に沿うチャコールグレーのスーツを着てネクタイを締め、オールバッグの七三を整えた四十代半ばの男……つまり、河田だ。身なりは洗練されているが、醸し出すものが腥すぎる。
俺がメインで接客する席に大崎をサブでつかせ、モデルルームの案内からクロージングまで、実際の接客パターンを傍で吸収させた。
「気に入りました。残ってる一番高い物件を、現金一括で購入しましょう」
一通りの営業トークを済ませた俺に、河田は四千九百六十万の部屋購入を決めた。
大崎は驚いたが、俺はもっと驚いて河田を見据える。昨日の電話では、買う素振りで引っ張る予定だった。
「……所長、すみません。お手数をお掛けしますが、現金払いについての書類一式を揃えて持ってきていただけますか」
「は、はい」
狐につままれたような表情の大崎は慌てて席を立ち、バックヤードへ向かう。ドアが閉まるのを待って、一息ついた。
「本気で買うつもりですか?」
「あなたには恩義があると言ったでしょう。私は、警察とも割と仲がいい方でしてね」
取り出された煙草に手をもたげると、ああ、と気づいて素直にしまう。
そういうことか。おそらく、久我はあの辺がシマなのだろう。河田と「裏」で繋がるのは、絶対に避けたかったことだ。これは、死ぬほど面倒くさいことになった。
「ママを亡くして路頭に迷う子達に手を差し伸べて世話代まで積んでもらった上に目障りな売人まで潰してもらった礼が、女一人沈めるんじゃ割に合わないんですよ。一方的にいただくばっかりってのはね」
当たり前のように裏の話を口にする河田を、じっと見据える。これ以上深入りしたくはないが、「偶然気づいただけです」が通用する相手ではない。
河田は組んだ手を叩きつけるようにテーブルに置いて俺を見据え、よく似合う下卑た笑みを浮かべる。びくともしませんねえ、と低い声で嗤った。
「足を突っ込んだんなら、ちゃんと浸かっていきましょうや高瀬さん。あなた、こっち側の目をしてますから。目の前で五、六人死んで血飛沫浴びても、びくともしないでしょう? ああ」
気づいたように続けて、視線をふと緩めた。
「もう二人くらいは、殺してるかもしれませんね」
殺したのは一人だけだが、そんな話ではないと分かっている。
――あんたは、自分の残酷さを『誰かのため』って大義名分で正当化するでしょ。そういうとこが、すごく怖かったし嫌いだった。
あれからずっと、沙奈子の言葉がじわじわと効き続けている。あれは沙奈子しか言えないし、沙奈子以外に言われても効かない言葉だった。
お待たせしました、と戻って来た大崎は書類一式を俺に手渡す。受け取って内容をざっと確かめ、表情を整えて河田の前に並べつつ説明を始める。うちは現金一括で購入する場合はモデルルームではなく、銀行の一室で契約を結ぶことになっている。この物件で俺が担当するのは初めてだった。
「ご説明は以上です。ご質問などは」
「今のとこは大丈夫です。金が準備できたらまた連絡しますよ。それと、私はいろいろと飲み屋を経営してましてね。面接がてら、うちのホストクラブにも遊びに来てください」
名刺入れから差し出されたホストクラブオーナーとしての名刺は二枚、向けられた大崎は少し驚いた様子で受け取った。
「ありがとうございます。スカウトにはお応えできませんが、お礼には伺います」
「残念ですね。あなたなら、間違いなくナンバーワンになれるのに」
書類をまとめながら、河田は含んだ視線を俺に向ける。冗談だろう、俺は女に貢がれる趣味はない。
腰を上げた河田のあとに続き、見送りに向かう。
河田が乗り込んだ車は国産メーカーのセダンで、五、六百万のクラスだ。金があるのに見栄を張らない、こういう手堅いタイプが一番厄介なのは分かっている。
「ああ、是非そちらのお嬢さんもどうぞ。あなたのような洗練された方には似合わない場かもしれませんが、息抜きにはなりますよ。おいでになったら、私もお出迎えしますので」
女好きのする顔に年相応の貫禄が乗って、色気のあるタイプだ。微笑み掛けられた大崎が顔を赤くしたのは好都合だが、まさか河田が直々に手を下すとは思わなかった。外堀を埋めきられる前に逃げ出さなければ、いよいよ面倒なことになる。あと、二ヶ月。
窓から挨拶を済ませ、河田は俺を一瞥したあと帰って行った。
「すごいお客様でしたね。現金一括で買ってくださるなんて」
「幸先いいですね。今回の売上は、就任祝いで所長に差し上げますよ。河田様の担当もお任せしますし」
「そんな、これは高瀬さんの」
慌てたように返す大崎に、笑う。大崎には善意ある取引に見えるのだろう。でもそうではない。選択によっては、ここが地獄の始まりだ。
「私は一戸くらい他人に譲ったとこで揺るがないほど売ってますから。本社で『どうせ売れるわけがない』と思ってる連中を、ひとまず黙らせるくらいの威力はありますよ。まあ『あれはまぐれだった』と言われる前に、自力で次を売る必要がありますが」
「……ありがとうございます、いただきます。その代わり、次は必ず自分で売ります」
目先のプライドを選んだ大崎は、予想どおり地獄の門を開けた。でも自分で選んだ地獄に落ちるのだから、本望だろう。
「高瀬さん、本社ですごく話題なんですよ。営業部の人は神扱いですし、経理部は『フルコミにされたら死ぬ』って言ってますし、女性陣はキャーキャー騒いでます。あの高瀬グループの息子さんって噂は、本当なんですか?」
地獄には地獄の臭いが引き寄せられるのだろうか。都合よく高瀬の名前を出した大崎に、少し手順を短縮することにした。
「そうです。私は次男なので、割と自由が利きまして。それで……ちょっと今、お時間いいですか?」
はい、と応じた大崎を連れて、モデルルーム脇へと向かう。缶ジュースを一本与えて切り出した話は、義母に持ち掛けた例の件だ。もちろん、全ては話さない。
「他言しないようにお願いしたいのですが、実は母が社長と周囲に知られず会える席を設けてくれないかと言ってるんです。内密に仕事の話がしたいようで」
「え、まさか業務提携とかそういう話ですか?」
当たり前のように口にされる危機感のない言葉には、さすがに苦笑した。
「私からは言えませんが、所長も発言にはご注意ください。聞かれていい話ではありませんので」
「ごめんなさい、つい」
まあ、それを期待して浮き立つ気持ちも分かる。高瀬の引き立てを受ければ、注目を浴びるだけでなく企業としての信用度も上がる。ヤクザのごとき一マンションデベロッパーが「跳ねる」には、喉から手が出るほどほしいチャンスのはずだ。社長がきよを排除して俺と娘をくっつけようとしているのも、俺を通して高瀬と縁を作るためだろう。きっちりと、足下を掬わせてもらう。
「私が会社を挟むと話が漏れる可能性があります。所長が身内として、プライベートでそれとなく尋ねてみてもらえませんか。問題がなければ、私も母に伝えて段取りさせますので。ただ、うちの母は信頼関係を何より重要視しますので、くれぐれも内密にお願いしますね。所長と社長以外、知る人がいないようにしてください」
「分かりました、父には念を押しておきます」
神妙な表情で頷く所長に頷き返して、話を終える。ふと思い出したふりでポケットの名刺を取り出し、いつ行きますかねえ、と曇天に翳した。
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