第22話

 本屋のあとファーストフードのドライブスルーで昼食を調達し帰宅すると、居間に長尾と社長の娘がいた。さすがに男の中で生活するわけにはいかないからマンション住まいだが、到着の挨拶だろう。

「お待たせして申し訳ありません。初めまして、高瀬です。遠路、おつかれさまでした」

「初めまして、大崎おおさきです。お世話になっております。お噂は本社でもかねがね」

 大崎は笑顔で定形の挨拶をして頭を下げる。逆三角形の小さな顔に、主張の強いパーツが詰め込まれた今時の顔だ。世間的には美人の扱いでなんら問題はないだろうし、本人もそれを理解しているように見える。

「こちらが、お嬢さんですか? かわいいですねえ」

「あ、今は歯医者帰りで不機嫌なので、すみません」

 俺にしがみつきながら大崎を見つめていたきよの目が、一瞬光る。

 まずい、と思ったが、俺が後ろを向かせるより早く、きよは後ろを向いて俺にしがみついた。安堵して、小さな背中をぽんぽんと叩く。

――きよちゃん、誰も死なないように一緒にがんばってみようか。

 あいつの「大人しくしている」が信じられなくて、きよとそんな約束をした。きよは頷いたものの、それが守られているのかは分からなかった。でも、がんばっているのだろう。きよも、必死で抗おうとしている。大丈夫だ。俺はあいつより、きよの意志を信じる。

「所長仕事の引き継ぎや現状の報告は、明日モデルルームで行いますので。明日から、どうぞよろしくお願いします」

 一礼して踵を返し、長尾に目配せして廊下を奥へ進んだ。

「じゃあ、手を洗ってお部屋でお昼ごはん食べようか」

 下ろすなり洗面所へ走って行くきよに続く。遠くで玄関戸の閉まる音を聞きつつ、踏み台を出すきよの後ろ姿を眺めた。

――社長は、娘を高瀬さんとくっつける算段だそうです。きよちゃんのことは「どうにでもなる」と言ってたみたいで。

 社長も決して高潔とは言えない男だ。裏との繋がりは噂で聞いている。おそらくそっちを利用するつもりだろうが、そっちがその気なら俺にも考えがある。目には目を、娘には娘だ。

「お、すごい。一人でできるかな?」

 ぎこちなく袖をたくしあげて手洗いに挑むきよを、手を出さずに見守る。もうすっかり日常となった一コマだ。でもそのうち、こんな声掛けもいらなくなってしまうのだろう。

 美しく育ったきよの将来が脳裏に浮かんで、ふと目元が緩む。

 俺は、生きてその姿を見られるのだろうか。今は、俺を守って死んだ親父の気持ちが、全てではないまでも理解できる。あの人の、気持ちも。

 水を滴らす手をタオルで拭い、きよは評価を待つように俺を見る。よくできました、と声を掛けると、誇らしげに笑んで部屋へ走って行った。


 歯医者での疲れが効いたのか、今日のきよは絵本二冊で眠りに就いた。

 安堵して、暗がりの中で携帯に久し振りの番号を探す。できればこれ以上借りを作りたくない相手だが、致し方ない。深呼吸をして、アドレス帳から『高瀬』を選んだ。

「久し振りじゃない、皐介。元気にしてるの?」

「はい、おかげさまで。夜分に申し訳ありません」

 しっとりと粘りつくような声に返すと、やあねえ、と義母は笑う。

「相変わらず堅苦しいわねえ、母親に要らない遠慮よ。それで? つれないあなたが電話をかけてくるんだから、ご機嫌伺いじゃないんでしょう?」

 義母は六十六歳、俺を「買った」時は高瀬ホテルグループの社長夫人だったが、十年ほど前に義父の急死を受けて社長となった。ただの有閑マダムと思いきや経営手腕はあったと見えて、ホテルは義父の時代よりも堅調な成長を続けている。現在は実子である息子と娘が経営中枢に入っているが、誰に継がせるかは不明だ。ただ、俺がどれだけ稼いでいるかを知らない女ではない。深い話はしたくなかった。

「実は、お願いしたいことができまして」

「なあに、一棟買い取って社宅にしてほしいの?」

 それくらいはできる財力は余裕であるし、俺が頼めばこの人はする。でも、面倒ごとはごめんだ。

「いえ。うちの会社と業務提携して、高瀬ブランドのウィークリーマンションを建てるフリをしてほしいんです」

「フリなの? 本当に検討してもいい企画よ。いいの持ってくるじゃない、さすが野に放った虎は違うわねえ」

 予想外に食いついた義母に、内心舌打ちをする。

 本当に通ってしまったら、俺の名が後継者に上がるだろう。横から入って手柄を横取りすれば、実子達の印象は良くない。下手に揉めたくはないのだ。

「まああなたのことだから、『面倒ごとはごめんだ』くらい思ってるんでしょう。で、目的は?」

 見透かすように続けて、義母は続きを促す。相手は、俺を隅々まで知っている女だ。下手に隠すよりは転がされた方がいい。静かな寝息を立てるきよを一瞥し、計画を話すことにした。


 無事に義母との話を終え、次の連絡先を選ぶ。俺はよほど縁があるのか、次も化け物みたいな相手だ。もう二度と関わり合いたくなかったが、致し方ない。汗に濡れる額を拭いながら、繋がるのを待つ。やがて途切れた音の先で、河田です、と落ち着いた男の声が応えた。

「高瀬です。その節は、いろいろとお世話になりました。実はもう一件、頼みがありまして」

「お伺いしましょう。あなたには、恩義がありますから」

 河田は義理堅い言葉を選んだが、引っ掛かるものがないわけではない。ただそれでも、飲まなければ先に進まない。切り出した俺の頼みを聞き遂げた河田は、「うちに損はありませんから」と躊躇う様子もなく快諾した。

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