第20話

 ああ、そういえば。

 絵本四冊目でようやく寝かしつけたあと、思い出して常夜灯の下で衣装ケースの中身を探る。短期間での移動が多いしんがり部隊は、キャリーバッグや衣装ケースが収納家具代わりだ。衣装ケースを車に積んで運べば、異動も楽にこなせる。ただ、新たにきよ用の衣装ケースを二つは買い足す必要があるだろう。おもちゃと絵本は……家に送るか。

 予想以上に荷物の増えてしまったきよのスペースに苦笑した時、指先が久し振りの感触に触れる。引っ張り出した古びた布袋を開け、中から地蔵を取り出す。子供の頃は手のひらに余る大きさだったのに、今はすっぽり収まってしまう。

 明日の朝目覚めたら、喜ぶだろうか。不思議に感じるかもしれない。

 静かに這い寄り枕元に地蔵を置こうとした瞬間、きよの手が俺の腕を掴む。痛みに思わず顔を歪めた俺を、爛々と輝く金色の目が見据えた。次には跳ね起き、歯を剥いて威嚇する。常夜灯の下で露わになった牙は、普段のきよにはないものだった。でも、この前現れた奴だろう。

「お前は、誰だ」

「お前を苦しめるために生まれ出たものよ」

 人ならざる力で俺の腕を遠ざけながら、何かが答える。

「なぜそんな必要がある」

六觀ろっかんにもがれた右腕の痕が、今も疼いてならんのでな。子でも痛めつけねば憂さが晴れぬわ」

 「六觀」は親父の仏師としての呼び方だ。それ以外の場面では「むつみ」だったが、周りはみな「ロクさん」と呼んでいた。それはともかく、やはりあの。

「あの像のばけもんだな」

「お前の浅はかな嫉妬のおかげで完成はしなかったあの像の、な。そのおかげで右腕のみで済んだとすれば、お前には感謝せねばなるまい」

 嘲笑に舌打ちを返し、握り締めた地蔵を手の内に確かめる。これを嫌っているのは確かだ。

「無理すんな、こんな小さい仏像でも怖いんだろ」

「黙れ」

 俺の腕を離してすぐ、きよの体が宙に浮く。前回のように首を掴まれているのか、息苦しさに足をばたつかせた。まずい。

「忘れたのか。娘の生殺与奪は私が握っているのだぞ」

「離せ、何が望みだ。俺が死ねば気が済むのかよ」

 地蔵を手放してきよを抱き締めると、その手が俺の喉を掴んで力を込める。苦しげなきよは抗うこともできないのだろう。どうにかしなければ。

「それなら、とっくに殺している。私は楽しみたいのだ、人でなしのお前に灯った火を躙り消すのをな。それが何よりも六觀への復讐になろう」

 ふっと抜けた力に、きよを抱き締めたまま布団に転がる。荒い咳を繰り返すきよの背を撫で、宥める声を掛けた。

「娘を守りたいのなら、余計な真似はせぬことだ。まあそうだな、少しばかりは大人しくしておいてやろう。それでも人でなしは決して人にはなれぬことを、お前は思い知ることになるだろうからな」

 卑屈な笑いを刻みながら、気配が消えていく。恐怖に震えて泣き出したきよを抱き締め直し、落ち着かせるように背を叩く。

「大丈夫だ、きよ。俺がついてる。どんなことをしても、絶対に守るから」

 でも、どうやって。今は、沙奈子の言っていた筋だけが頼りだ。泣きじゃくりながら頷くきよに、やりきれないものが胸を占める。あいつは、「俺を苦しめるために生まれた」と言った。それなら、きよは俺を苦しめるためだけにこんな思いをしているのか。

 初めて知る胸の痛みに息を吐き、少し落ち着いたきよの頭を撫でる。だからといって「俺のせいでごめん」と詫びるのが正しいのか。生まれたことを、詫びるのか。

「好きだよ、きよ。大好きだ。ずっと、一緒にいよう」

 きよが生まれてきたことを決して悔いないように、それさえ叶えばほかのことなどどうでもいい。

――それでも、人でなしは決して人にはなれぬことを、お前は思い知ることになるだろうからな。

 今更、人になるつもりはない。地獄堕ちで上等だ。

 洟を啜るきよを少し抱え上げ、布団の中に入る。いつもは絵本の読み聞かせで撃沈させているから、こんな風に寝かしつけるのは初めてだ。顔をこすりつけるきよの頭を撫で、沁みていく熱に俺も目を閉じる。今日はこのまま、眠ることにした。


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