第18話

 きよは今日から一日保育になったが、初日から延長だ。ママの通夜には、さすがに連れて来られない。

「どうも、おつかれさまです」

 待ち構えていたように入り口で声を掛けたダークスーツ姿の久我は、さすがに黒ネクタイを締めての参列だった。

「おつかれさまです。すみません、教えていただきまして」

「いや、私もお話したいことがありまして。しかしほんに、彼女以外の連絡先を知らんかったんですね」

「店で気に入った人ができたら、その人以外の連絡先は受け取らないようにしてるんです。友達にも、手は出しません」

 揃って向かった受付で頭を下げ、記帳する。予想外に達筆だった久我の筆跡を確かめたあと、会場へ向かう。それほど大きくないホールは「家族葬」のせいだろう。ホールの中には見知った店の子や客が数人、一番前の席には女の子と男性が並んで座っていた。娘と元夫かもしれない。

「先日、国道沿いで起きた事故のことなんですが」

 一番後ろの席を選ぶと、久我は隣に陣取る。

「ご協力いただいたおかげでスムーズに進んで、仏さんもはようにお返しできました。祖父母が引き取って帰られたと聞いてます」

「そうですか、良かった」

「引き取り手がなければ自分が、と申し出られたそうですが」

「ええ。それくらいには惚れてましたから、当然でしょう」

 数珠を取り出した俺に倣うように数珠を取り出し、手元で揉んだ。

「ママや小料理屋の女将の周り、誰に聞いてもあなたを悪う言わん。口を揃えて『女泣かせ』とは言いますけど、みんな困ったように笑うだけでね。大した度量をしとられる。だけえ、よその子供の父親にもなろうとされとるんでしょうが」

 揺さぶるような言葉を投げて、久我は椅子に凭れる。ぼんやりとママの遺影を眺めて、優しい顔立ちの人ですなあ、と言った。白百合に囲まれた遺影では、険のない造作が穏やかに笑っている。いい写真だ。

「あなたがこちらに来て二ヶ月、と仰いましたか。その間はなんも起きとらんのに、あの子が現れた日から、あなたの周りではように死人が出とる。十日も経たず五人は、偶然で片付けるにはおかしい数字でしょう」

 前を向いたまま切り込んできた久我の本題は、予想どおりのものだった。

「ちいと、『こちら』に預けてもらえませんかね」

「きよが直接関わった明確な証拠がない限りは、お断りします。まさか警察が、幽霊が殺したなんて非現実的な証言を信用したと?」

「現実的とか非現実的とか、そういう問題ではないんですわ。うちには脅威から市民を守る義務があるんです」

 司会席に立った葬儀社の社員に、少し居住まいを正す。抑えた声が、開式を伝えた。背後から袈裟姿の僧侶が登場し、席へと進む。

「この世には『外に出したらならんもん』も、存在するんですよ。それはあなたより、うちの方がよう知っとりますんで」

 数珠の手を整え、隣で不穏なことを言う久我に溜め息をつく。我関せずの顔は得意だが、今回ばかりはそういうわけにもいかないだろう。

「おたくの課長さん、SMがお好きだそうで。まあ性癖に文句をつけるほど野暮ではありませんが、公僕が平日の真っ昼間に公園で犬になるのは、ちょっと問題があるんじゃないですかね。あとは誰でしたかね、警ら課の」

「ええ度胸しとるな」

 不意に凄みを利かせた久我の声が始まった読経と交じり合う。どちらも胡散臭いことこの上ない声だ。小さく笑いそうになった不謹慎に、表情を整える。

「一度でも、私が警察を怖がっているように見えましたかね」

 ゆっくりと隣を向くと、久我が俺を鋭く睨み返す。大抵はそれで怯えるのだろうが、生憎そんな上品なお育ちではない。俺が埋めたのは、女達の死体だけではない。女を追ってきたチンピラの首にノミをぶっ刺したのは、十歳の時だった。きよを守るために手を汚すことくらい、今更なんのためらいもない。

「できれば、久我さんとは今後も平和な関係でいたいんです。その代わり」

 少し顔を寄せて耳打ちをした俺に、久我は表情を変えた。

「『取らんと欲するものは、まず与えよ』って言うでしょう。俺の信条なんですよ」

 参列もそこそこに、久我は腰を上げて表へ向かう。まあ、手柄に繋がるのだから当然だろう。

 女将の店で働いていた板前は、薬の売人だ。女将はまさか自分の大事な店が薬のやり取りに使われているなんて思っていなかっただろうが、馴染みの客が来ると調理場から出てくるのは、薬を渡すためだった。皿の下に添え、おしぼりに仕込み、と女将と話しながら目の端で何度かやり取りを見た。女将は裏の世界にはまるで馴染みのない育ちだから、薬物なんて遠い世界のものだと無意識に信じていた。身近で薬がやり取りされるなんて、想像したことすらなかっただろう。その無防備さを利用されたのだ。

 まあ、ママの通夜でほかの女のことなんて考えるべきではない。ごめんね、と呟いて数珠を持ち直し、美しい遺影を見つめた。


 通夜を終えてホールへ向かう喪服の中に、目当ての背を見つけてあとを追う。河田かわたさん、と呼んだ俺に前を行く男が足を止めて振り向いた。

「ああ、高瀬さん。お久し振りです」

 薄く笑んで迎えた河田は、こんな場でも相変わらずだ。四十半ばと思えないギラつきと腥さは、喪服でも包み隠せないらしい。店以外では関わりたくない人物だが、今回ばかりは致し方ない事情があった。

「お久し振りです、ご無沙汰してます。お忙しいところ申し訳ありませんが、少しお時間よろしいですか」

 尋ねた俺に頷き、ホールのソファへと歩き出す。派手な顔立ちの宿命か、横顔にはいくつか皺が刻み込まれている。酒に飲まれた肌は浅黒いが、色艶は良く目も濁っていない。それがまた、胡散臭さに一層の拍車を掛けていた。

「突然の訃報で驚きました。行きつけの店が減るのは寂しいもんですね」

「ええ、本当に。いい店でした」

 河田に答えて、改めて寂しさを噛み締める。

 河田もママの店の常連客で、俺とはまあ……広義の「飲み友達」だ。同じ空間にいながらそれほど一緒に飲んだことがないのは、俺の勘が敬遠を選んだからだった。

 河田は「一応」実業家で、表向きはあの繁華街でスナックやホストクラブを数店舗経営している。その経営手腕はかなりのもので、衰退する繁華街の中で唯一堅調な売上を誇っているらしい。あの街では、相談役のような存在でもある。

 ただどう見ても、醸し出すものと視線が堅気のそれではないのだ。俺の勘を裏付けるような噂もちらほら入ってきたが、真偽は確かめないようにしてきた。世の中には、近づいてはいけないタイプの人間がいる。河田は正に「それ」なのだが。

「早速なんですが、ママの店に勤めていた子達の面倒をお願いできませんか。私では相談には乗れても力不足で、あの街では役に立ちません。でも河田さんの紹介なら、次の店も悪いようにはしないでしょう」

 ソファへ座るやいなや切り出した内容にも、河田は驚く様子を見せない。ソファへどさりと凭れて、行儀悪く脚を組んだ。磨かれた革靴が、鈍く照る。こういう横柄な態度が抜群に似合う男だった。

「彼女を幸せにできなかった罪滅ぼしってやつですか」

「いえ、そんな美しいものではないです」

 腹を探る声に苦笑して、内ポケットから引き抜いた小切手を差し出す。河田は体を起こして受け取ると、少し距離を測って額面を確かめた。老眼か。

「一人二百万とは、積みますねえ」

 粘りつくような声と視線に、背がぞくりとする。でも、後悔はしていない。

「これくらい払っても惜しくない子達なので。足りなければ、こちらに連絡を」

 懐から取り出した名刺入れに、河田も察して自分の名刺入れを取り出す。今更の名刺交換を終えて、揃って腰を上げた。

 玄関ドアをくぐれば途端に吹きつける寒風にも、もう慣れてきた。暗闇に煌々と照る街灯に、きよのことを考える。早く迎えに行かなくては。

「あなたに言われなくても面倒を見ていたとは?」

 別れの挨拶をしようとした俺に、河田は尋ねる。即座に「思わない」と弾き出された答えは、素直に口にしない方がいいものだ。

「どうでしょうね。俺の方が惚れてたと思いますけど」

 それとなく的を外して答えると、河田は満足した様子で帰って行った。一息ついた背が、冷えた汗を感じる。できれば二度と会いたくないが、いやな予感はする。

 きよには悪いがこのままではとても迎えに行けなくて、煙草を取り出した。


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