第15話
店長は車で帰宅中、突然倒れてきたガソリンスタンドの看板に潰されて死んだ。即死らしい。彼女の職業や住所などを問われるままに答えたが、「ご家族は」で止まった。母親とは絶縁して、死んでも葬式には行かないと言っていた相手だ。
――私が殴られとっても、平然と横で酒飲んでテレビ観とった女よ。
「両親は死んだと聞いています」とだけ答え、束の間の願いを叶えて帰った。
「さて、どうするかな」
ぼそりと呟き、いつもの場所でグラスを傾ける。冷えた口で煙草を咥え、古びた椅子に凭れた。
あのあと目覚めたきよとファミレスで夕飯をとり、遅い風呂に入って寝かせた。きよの様子はいつもどおり、三人殺しても……いや、きよが殺したわけではない。俺の首を絞める時に泣いて抵抗した、あれが「本当のきよ」だ。
『なんかイヤなこと起きてない?』『お前が連絡してきたこと以外には』『ほんとに? 例の件でこっちは被害が連続してる』『マジか 死人出た?』『出た 3人 全部俺と付き合ってた人』
そこまでメッセージのやり取りが続いたところで、電話が鳴った。
「あんた、大丈夫なの?」
「俺は大丈夫だよ、ありがとう。でも、娘になんか憑いてるんだよね」
「『憑いてるんだよね』じゃねえよ、寺か神社行ってお祓い受けろよ」
「それは、そうなんだけど」
煙草を弾いて、言葉を濁す。考えないようにしていた策を突きつけられて、視線を落とした。
「……怖いんだよね。もし憑いてるんじゃなくて娘自体が邪悪ですって言われたら、存在をどうにかしなきゃいけなくなるだろ。猿みたいな二枚舌なのも目が金色に光るのも、あとで憑かれて、こんな器質の変化が起きる? まるで邪悪なものから産まれてきたみたいだ」
不安を吐露した俺に、沙奈子は黙る。そんなこと知らねえよ、と突き放す人ではない。それを知っていて零してしまったのは、俺の余裕が尽き始めているからだ。
「あんたに聞いた話をあちこちに撒いたら、じいちゃんがどっかで聞いたことがあるって。今探してくれてるとこ。確定するまで黙ってようと思ったけど、言っとくわ」
「ありがとう、助かるよ」
初めて見えた光に礼を言う。どんな可能性でも、たとえあとで覆されるようなものでも、今の俺には救いの言葉だ。一息ついてグラスを傾け、熱っぽい息を吐いた。
「やっと最愛の女を見つけたとこに水を差すようだけどさ、親にしかできない決断ってのもあるんじゃないの。このまま放置して、子供が自分のしたことを理解する歳になったらなんて言うの? 『確かに人を殺しまくってきたけど、どうせ捕まらないから気にしなくていいよ』とでも言うつもり?」
相変わらず手厳しいが、間違ったことは言わない。母親が決断を放棄したのなら、「父親」が下すしかないのだ。俺が、決めなければ。
「そうだね。いつもありがとう、言いにくいこと言ってくれて」
「お前のためじゃねえよ」
悪態も相変わらず、心底いやそうに告げて通話を終える。
苦笑して携帯を置き、短くなった煙草を弾く。親にしかできない決断を噛み締めながら、酒を呷った。
週明け、浅月が電話を鳴らしたのは契約業務を終えた直後だった。まるで図ったかのようなタイミングに、煙草を噛みながら休憩に向かう。
「すみません、お仕事中に。今お時間よろしいでしょうか」
「はい、大丈夫です。こちらこそ、ご連絡ありがとうございます。何か分かったんでしょうか」
はい、と返った肯定に安堵で煙草に火を点ける。とにかく、母親を見つけるのが最優先だ。
「名前を手がかりに探してみたところ、市内で今年五歳になる女の子に『きよちゃん』は二人いらっしゃいました。ただ、詳細は申し上げられませんが、どちらのお子さんにも当てはまりませんでした」
「そうですか」
「ただ……すみません、これは本当はしてはならないことなんですが、どうしても気になって。もし違ったら、この件は忘れて口外しないでください」
ためらうように間を置いた浅月に、承知しました、と了承を返して煙を吐く。契約日専用の銘柄は若い頃に吸っていたやつだから、今の俺には少しキツい。
「予防接種や健診を全く受けていないお子さんの保護者に、お一人だけ『きよさん』がいらっしゃいました」
控えめに続いた口調に、血の気が引く。誰だ。
「ササハラキヨさん、という方に心当たりはありませんか」
ササハラキヨ。与えられた名前に、脳裏に大人しそうな女の姿が浮かぶ。あの、「笹原希世」か。
「あります。大学時代に付き合っていた人の、親友でした」
「じゃあ」
笹原は、沙奈子の大学時代からの親友だ。でも、手を出したことは一度もない。手を出そうと思ったことも。
「いえ、それはありえません。私も、のべつ幕なしに手を出すわけじゃないんです。彼女の友達には絶対手を出さないし、店の一人に手を出したらほかの連絡先は受け取りません。そこを崩したことはないので」
つまり、これが事実なら「きよは俺の娘ではない」ということだ。想像以上に堪えた可能性に、煙草が効いてくらりとする。
「笹原さんに、会うことはできませんか」
「これから電話などで、事実確認をしたいと思っています。確定した時にお話してみますので、お待ちください」
「すみません、よろしくお願いします。それと」
冷えた風に煙草の灰を散らして、久し振りに晴れた空を眺める。晴れなんて、何日ぶりか。
「必要であれば、この子の未成年後見人になります。俺が、このまま育てます」
違うと知れば離したくないと思えるほどには、俺の娘になっていたのだろう。親の決断を放棄した奴に任せたくはない。
了承を返して、浅月は通話を終える。役所の人間はろくに動いてくれないと思っていたが、そうではなかったらしい。踏み込んでくれた浅月に感謝し、沙奈子に『夜電話する』とだけメッセージを送った。
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